浴場から見たイスラム文化


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 西欧を中心にした入浴の歴史(注1)を読んだついでに杉田英明さんの『浴場から見たイスラーム文化』(世界史リブレット18、山川出版社、1999年)を読み終えた。82頁の薄い冊子だが写真やイラストが豊富で先にあげた本より風俗や風呂の構造が具体的につかめる本だ。また、西欧よりも日本に似た入浴法であり、明治時代の日本人も親しみを感じた記録も紹介されている。

    細部にふれる前にあらかじめ目次だけを取り出しておこう。
      イスラーム文化を読み解くために
      1 古代ローマ文化の遺産
      2 イスラームの入浴文化
      3 詩と物語のなかの公衆浴場
      4 ヨーロッパとイスラーム
      5 日本人とイスラーム文化

 なし崩し的にキリスト教を受け入れているわが国では西欧の価値観を基にイスラム教を文化の破壊者とみなす傾向がある。過激な活動も伴うイスラム教内部の争いに惑わされ、融合文化であるイスラム社会が古代のギリシャやローマ文化を受け入れたことを忘れがちだ。西欧のルネッサンス(文芸復興)はイスラムに保存されたギリシャ哲学やローマの風俗を取り込んで成り立し、数学にしても数字の表記はイスラム文化を抜きにして語れない。

 イスラム社会が受け入れたのはローマの風呂の構造と入浴法である。ローマの浴場は脱衣室・冷浴室・温浴室・熱浴室の四室配列だったが、イスラムは脱衣室・余熱で暖かくなる部屋・中間室・熱浴室の配列である。また、浴室は健康や衛生よりもくつろぎや娯楽、社交と情報交換の場であった(注2)。各都市には礼拝所とともに公衆浴場が建設され、女性や異教徒も入浴が許されたという。男女に区別された浴場は女性にとってはかっこうのたまり場で女湯は全裸だったそうだ。

 イスラムの浴場は男女に区別され、入浴は秘部を腰布で隠したところが特色のようだ。浴室には壁画も描かれたという。十字軍で訪れた西欧人も日本人もそれを知らずイスラムの人々のヒンシュクをかったという。それはイスラムの戒律なのせいだろう。日本の風呂は昔から混浴だったから西欧人に野蛮と映ったというが、彼らの先祖のフランク人は全裸で入浴していたのである。

 余談になるが国辱と批判されて今は使われなくなった「トルコ風呂」の誤解についてこの本から得た知識を紹介しよう。入浴が衰退した西欧に異国趣味としてイスラムの浴場が持ち込まれ買春を売り物にしたようである。それで西欧ではいかがわしい買春浴場をトルコ風呂と呼んだようだ。アングルが描いた「トルコ風呂」はのぞき趣味をただよわす円形の絵である。日本の場合は北米から戦後に輸入された個室用蒸し風呂が「トルコ風呂」と呼ばれ、風俗営業の呼称となったものでこれはサウナにすぎない。

 ともあれ、イスラムの浴場は日本人になじみのある温浴であり、身を沈めて入浴するところが共通する。そして、くつろぎや娯楽、社交と情報交換の場というのも銭湯と通ずる。そこがシャワーで済ませる欧米とに違いでもあろう。イスラムの入浴方法は以外と日本と似ている。

 (注1)ドミニック・ラティ著、高遠弘美訳、『お風呂の歴史』、文庫クセジュ、白水社、2006年
 (注2)西欧の国教となったキリスト教はローマ式入浴を堕落とみなして拒絶し、それが公衆浴場を衰退させたことも忘れてはなるまい。【 2007/05/31】