15 伊勢正三の詩
フォークのことあれこれ
トップページに戻る 目次ページに戻る
前頁へ 次頁へ
目次 ●都会とふるさと
●東京1975をネタに
●ふるさとと東京 ●暮らしを営む場所
●愉快な街
●ふるさとと海
●海風
●追記
(1)都会と「ふるさと」
長い付き合いをしていると、色々な側面を知るがために、1つにまとめようとすると、《いや、こんな側面もある。決してこれだけじゃない》などと思い直し、結局なにも書けないことがある。伊勢正三もそんな一人だ。もう4年近く彼の音楽に接していて、その音楽性にひかれつつ、詩のほうにもっと強く共感しているがために1つにまとめずらいのだ。もう1つの理由は、思い出にするには早すぎるほど今もってドップリ浸かっていることにある。
伊勢正三はシャレた言葉やフレーズをさりげなく詩に散りばめている。たとえば、「夜空の星が美しいのはほんの少し光っているから」(『ほおづえをつく女』)とか、「別れることが終わりならば別れることが始まりだと言えないだろうか」(『時の流れ』)とか、「悲しみなんて幸せの前触れ月が出るまでこのひとときを君に」(『曙』)といったフレーズに僕はひかれる。さりげない文句にすぎないものの、男の1つの側面を言い切る冷静(クール)さを僕は感じる。
かぐや姫の頃の伊勢正三の詩は、どことなく育ちの良い坊っちゃんの世界を感じさせたものだ。『なごり雪』、『置手紙』、『あの頃の僕は』、『22才の別れ』などはその代表例である。だが、僕は、彼が大久保一久と組んだグループの風(KAZE)とのかかわりで綴っていく。ここには、@ふるさとと都会の暮らし、A時の移り変わり、B男と女のかかわりの3つが混在しているのだ。メロディもアコースティック的なものからエレクトロリック的に変化していくし、そこに違和感も味わされるものの、詩の内容は上の3つの世界に集約できる。
目次に戻る
●東京1975をネタに
僕の数多いコダワリの中で最も大きいものは《東京》あるいは《東京育ち》に対する反発である。この2つは別々のものだ。《東京》は場所であり、《東京育ち》は環境にもとづく人間類型にすぎない。伊勢正三の詩には、東京を《都会》として象徴させ、《ふるさと》と対比したものが多くある。このとらえ方が、僕に反発させたり共感させるのだ。まず、彼の東京観(感)をとらえるには次のフレーズがいいだろう。
東京はとても淋しい街 そして愉快な街
今日もぼくは生きようとしている
こんな大きな街で ♪
(『東京1975』第3節)
ここには東京に対する単純な拒絶がない。「淋しい街」と「愉快な街」が東京の各々の側面、むろん他所者(よそもの)が東京で味わされる側面だが、ここには彼が東京で暮らすうちに味わされる何かを感じる。
こういう発想や感じ方は《東京育ち》に決してないはずである。生れたときから《東京》にどっぷり浸かり、何もかもが当然と映るはずの彼らに求めること自体が無理だ。このことは、《東京育ち》だけのことではないはずである。いわゆる《いなか》から一歩も外へ踏み出したことがない者や観光旅行でしか東京を知らない者にもいえる。土地柄の比較はできても、日常生活レベルでの比較ができないからだ。日常生活レベルでの比較は、いずれの場所に根を下ろして暮らすだけでなく、そのいずれの場所を突き放してとらえる《眼》がなければならないはずである。どちらか一方を判断の基準に置くとき、お国自慢と拒絶反応だけしか残らないはずである。
目次に戻る
(2)「ふるさと」と東京
伊勢正三にはアイマイな概念の使用がある。東京と《ふるさと》の対比にそれを感ずる。彼の詩に戻って、それが僕にどう感じさせるかをこれから綴ろう。フレーズは、風の「ファーストアルバム」の中にある『東京1975』から引用する。まず、登場人物の設定がされてから、《都会》である東京が語られるから長い引用を我慢してほしい。ちなみに、この唄は相棒の大久保一久が作曲して歌った。
雨に煙った 都会の朝に
目覚めて そして 1人です
いつもよりずっと静かな朝に何をしよう
あの頃いつも東京は ぼくの夢をやぶり
そしていつも ぼくは東京へ向かって歩いてた ♪
(『東京1975』第1節)
ここで注目したいのは、東京があこがれの場所であったことであり、それを「いつも」感じていたことである。また、「夢をやぶる」のも東京の暮らしだったことである。それでも、「東京へ向かって歩いて」しまうのは何かがあるからだろう。
目次に戻る
●暮らしを営む場所
第2は東京で暮らしてどのように感ずるようになったかである。ここには、彼が東京を拒絶していないことだけでなく、何らかの親しみを感じているのを味わう。ここでの東京は都会のイメージでなく、日々の暮らしを営む場所としてある。
ふと気づいた時に 慣れたふりして
コーヒー飲んでいたりする
知らない間にぼくは東京を通り過ぎていたりする
そんなとき東京はぼくの肩をたたき
ふり返り そしてすぐにでも引き返すだろう ♪
(『東京1975』第2節)
目次に戻る
●愉快な街
第3は、このことを明確にしているフレーズがあることである。住み心地にもとづいた東京のとらえ方が出ている。淋しさと愉快をあわせ持つのはそこで生活して感じるものであろう。物見遊山では感じないものである。
東京はとても淋しい街 そして愉快な街
今日もぼくは生きようとしている
こんな大きな街で ♪
(『東京1975』第3節)
引用した歌詞には、言葉として《ふるさと》は使われていない。しかし、この詩の根底にはそういうものと東京の絡みあいを抜きにできぬものを感じる。このように東京を多面的かつ内在的にとらえるには、対比するイメージがなければ成り立たないからだ。
目次に戻る
(3)「ふるさと」と海
伊勢正三は、都会の暮らしとともに《ふるさと》を多くの題材としている。説明を補うために、今度はフォースアルバム「海風」の中にある『酔いしれた男がひとり』から引用しよう。ちなみに、アルバム「海風」は、東京での暮らしが多く扱われ『冬京』という作品もある。
人は皆 淋しいその時 幼い日に帰り
今日もまた 酔いしれた男がひとり
海を見つめて 泣いている ♪
(『酔いしれた男がひとり』)
《ふるさと》は、淋しさをまぎらわすイメージとしてここに現れる。僕もそうだが、何らかの壁に突き当たったとき、「幼い日」を懐かしむのは人間の弱さかもしれない。登場する男も海に《ふるさと》を感じている。ここで注意したいのは、彼が思い浮かべるきっかけが「幼い日」の海だということである。それは、無意識に慣れ親しんだ《ふるさと》の海である。そういうことがなければ海を見て泣くこともないはずだ。
また、この詩の冒頭は次のような《ふるさと》が描写される。このフレーズの中に僕は、彼が《都会》にある種の複雑さを覚え、《ふるさと》にあった単純さや素朴さを価値づけるのを感じる。
ぼくの生れた港町では 男は海に出てゆく
女は帰りを待つ それだけで美しかった ♪
(『酔いしれた男がひとり』)
目次に戻る
●海風
同じアルバムにあるもう1つの唄『海風』には、海を通して《都会》と《ふるさと》の結びつきが直に表現される。
海風 吹いてた
今はここにいるけど
時の流れが ぼくを変えても
今も故郷に吹く
あの日の夢 とてもきれいな夢
今もぼくに何かを残してくれた ♪
(『海風』第2節)
僕は彼の《ふるさと》のイメージを否定しないものの、どことなく不自然さを感じさせられる。いわゆる転向に興味を持ってきた僕は、過去と現在、あるいは、都会とふるさとの対比をしていずれかを美化する思考の仕方に反発してしまう。こういうとらえ方は、回帰現象(情況)と結びつきやすいからだ。振り返るだけなら問題はないが、過去や《ふるさと》を実体以上の価値づけ=美化をするアナクロニズム(復古主義)を生むからである。もっとも、これは僕のコダワリや懸念である。伊勢正三がどう考えているかは分からない。しかし、僕のコダワリが彼の詩をそう読んでしまうのも事実である。
【追記】
この章の原文は、東京の対する私のコダワリが多く、伊勢正三とは関係ないことばかり並べていますので半分くらい削除しました。また、ここで取り上げた曲はあまりヒットしていません。なぜ、この章を書いたか弁解すれば、@東京に13年暮らしても「他所者」意識が抜けなかったこととA港町で生まれ育ったという2点が伊勢正三と似ていたという「共感」だけです。そういう側面を除いたら彼の詩は理解できない面があります。むろん、彼が作った詩はこういう側面ばかりでなく、男の意気がりや弱さもあってそういう唄がヒットしたことも否定できません。ファンの思い出として残しておきたいのであえて全文を削除するのは止めました。
目次に戻る