ヴィーナスと泡(バブル)
2008年06月29日
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長い髪や裸体に見とれて下まで見てないにせよ、ボッテチェッリの『ヴィーナスの誕生』は足元に大きな貝と泡が描かれている。また、紀元前5世紀のイオニア彫刻の『ルドヴィシの玉座(ぎょくざ)』というヴィーナスは水の中から引き上げられる場面だ。ヴィーナスは裸体ばかりでなく、『繁殖(はんしょく)のヴィーナス』と呼ばれる紀元前5世紀終りの彫刻は衣装をまとい、肌にぴったり接した衣の襞(ひだ)が肉体的欲望をかきたてる。裸にならなくても美しい女神にはかすかにセクシーさが漂うようである。あの『ミロのビーナス』だって上半身だけ裸で十分に妖艶さを漂わせる。これはケネス・クラーク著『ザ・ヌード 理想的形態の研究』(ちくま学芸文庫、2004年)で得た知識である。
ヴィーナスは英語で、ローマ神話の女神ウェヌス〔Venus〕に由来するが、ギリシャ神話の《アプロディ一テー》が元になっているそうだ。パリスによる三美神の審判で最高の美神とされるこの女神は、海の泡から生まれ、美と愛の女神のほか、金星の女神であり、キプロス島の守護神ともいわれ、俗信は売春婦の神ともある。売春の女神というのはギリシャ本上のコリントスでアプロディーテ神殿建設のために公認の売春宿を作ったからだろう。余談になるが古代ギリシャのアテネの守護神アテナイは兜をかぶった女神である。大地の神のガイアと同様に女神が守護神となるのは不思議ではない。
近代以前の西洋絵画に何が書かれているかを知るには画中の人物の《読ち物》を理解することにあるようだ。「高いおカネを払って見合うだけの、顧客と画家の間の取り決めというものが存在しており、その取り決めの基本は「何が描いてあるのか」がきちんとわかる」ようになっていて、《アトリビュート》と呼ばれる持ち物が一種の絵記号となっていたそうである。そういうア卜リビュー卜の約束をまとめた事典もあったという。たとえばフェルメールの『絵画芸術の寓意』に描かれる月桂冠をかぶった女性は右手に卜ラとぺット、左手に書物を持っているがこれは詩の女神ミューズのひとりで歴史を司るクレオーをさすそうだ。わたしはこの絵を見たとき、日本の浮世絵に刺激された画家が花魁(おいらん)芸者を描いた俗悪画だと錯覚していた。
ひまつぶしに古本屋で手に入れた別冊宝島の『絵画の読み方』(1992年1月発行)を眺めている。著者の西岡文彦さんは版画だけでなく映画や美術評論も手がけ、『五感で恋する名画鑑賞術』(講談社、2003年)という楽しい本を書いている。ともあれ、西岡さんは『読み方』でフェルメールの作品をタネにして「画面の感覚的な印象を、そのまま感覚的な言語に置き換える随筆まがいの解説文は、けっして私たちへの絵画への職見を養ってくれるものではない」(38頁)という。そこで昭和30年代に発行されたタイムライフ社の美術全集を持ち出し、「フェルメール作品の魅力を技術的に解明しようという合理的精神に基づいた情熱」と「旧式の暗箱カメラによってフェルメーに作品に登場するモチーフを撮影」して仮説を実証する姿勢をもちあげる。これは、疑似文学的絵画批評でなく製作手段に立ち入る技術的実証批評といえるだろう。こういうことは西欧の知識にうといわたしにはチンプンカンプンである。
というわけでギリシャ神話に手を出したが、あれこれ諸説があり、ローマ神話と混交されてますます分からなくなった。そこでヴィーナスの泡(バブル)に戻れば、意外や意外、この泡は母のガイアと交わった息子のウラノスがその息子のクロノスに陰部を切られ、海に投げこまれた陰部からわき出た白い泡だそうだ『豊田和二監修『図解雑学 ギリシア神話』(ナツメ社、2005年)〕。なんだか日本やアメリカ経済のバブル崩壊、あるいは泡沫会社のはしりである南洋商会と同様にうさんくさい話である。慌て者だから泡を食っている。またアフロディーテを調べれば、子のエロスとともに神や人の恋愛を仲介したり、自らもさかんに恋をし、醜男の亭主へパイストスを嫌ってたくましい軍神アレスと情事を重ね、焼き餅を焼いた亭主に真裸のまま網でくくられて笑いものにされたという〔吉田敦彦監修・木村千鶴子著『ギリシア神話がよくわかる本』(PHP文庫、1997年)〕。
ヴィーナスにひかれて、『ザ・ヌード 理想的形態の研究』のほかに『芸術新潮が選ぶヴィーナス100選』(芸術新潮2008年4月号)や『世界の名画 1000の偉業』(二玄社、2006年)まで買い集めてこんな解説に出会うと幻滅である。ギリシャ神話に限らず、旧約聖書や古事記にしても女神のご活躍は悲劇性が伴うようである。もっとも神話は人間の想像により、その社会を何らかの形で反映し、理想化や極論化されたものだから当然の帰結なのだろう。泡沫や嫉妬が人間につきまとってこの世を楽しくさせているのにちがいない。そういえば昔ヒットレたショッキング・ブルーの《ヴィーナス》という曲はどんな意味を含んでいたのだろうか。まさかやきもち焼きの亭主の恨みつらみではないだろう。