もしもあなたが猫だったら
2008年06月15日
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習性は思い込みを生むようだ。数ケ月前に洗濯乾燥機が見当らないとつぶやいたら「全自動洗濯機に換えて、もうとっくに捨てたのよ!」と妻に笑われた。洗面所と浴室の間の洗濯機と一体となっているとずっと思い込んでいた。興味や関心がなければ家の中にあるものさえ忘れる。反対に、クルマ、パソコン、無線で使い慣れた用語にもけっこう思い込みがある。電波といえば、光が電磁波で「周波数」・「振幅」・「偏波」と考えて「波長」や「色」を忘れがちだ。竹内さんの『もしもあなたが猫だったら?』(中公新書、2007年)でものの見え方が波長と色で語られて、無線にどっぷり浸かった思い込みを修正する始末である。
科学作家だから「シュレジンガーの猫」を持ち出すと思っていた竹内薫さんの本にはそんな話は出てこない。猫好き作家だからタイトルにしただけで、猫の話は人間と鳥の視覚に触れたついでに出てくるだけである。脳科学に出てくるクオリアは質感と訳されるものの、目の細胞の感じ方をさすようだ。その入口である錐体〔すいたい〕細胞は鳥に4つ、人間に3つ、猫に2つだという。進化論でいえば盲腸のような「退化」や「劣化」にあたる。鳥は3次元の視覚を持ち紫外線も認識して空間移動ができるが、人間の場合は紫外線と赤外線の間の範囲でしか見えないだけでなく見える色に偏りを伴うそうだ。そして猫はものの動きがとらえきれず臭覚にたよるようだ。人間の退化の理由を恐竜時代を生抜くために夜行性の活動をするしかなかったという説明は眉唾ものだが、猫の臭覚には驚いた。これが人見知りの激しい猫の習性なのだろうか。まぬけだが飼い主に従順な犬と違い、孤高で唯我独尊の猫なりの生きる知恵かもしれない。
それはともあれ、夕イトルにこそ出ていないけれど思考実験といえばやっぱり「シュレジンガーの猫」である。別名は「ケンブリッチの考える猫」で、物理学や数学の啓蒙書に必ず登場するし、わけ知りぶってボロを出すのも怖いから繰り返すのはやめよう。猫といい犬といい学者の実験に付き合わされるのも迷惑なことだ。思考実験というのは妄想ではなく、「一種奇妙な状況を作り出し、そのパラドックスを考えることで理論を発展させようという」考え方の手順である。弁証法や背離法と似ている。実験はできないが論理で詰めるから牽強付会も付きまとい、うさん臭さや退屈もつきまとう。でも養老先生の本のように人体や脳の解剖図を見ないだけマシかもしれない(最近『唯脳論』を読み直しているが図解が憂鬱である)。
竹内さんの本は7つの思考実験が出ていて、ひねりと落ちにおどろかされる。でもそこは口論体のくだけた解説だから教科書のような堅苦しさはない。構造や仕組みといった「モノ」よりも、現象やはたらきをさす「コト」に興味のある人には楽しい話が多い。「思考実験を通じて、固定化され惰性化したモノ的世界観さ脱却して、より自由闊達(かったつ)で無限の可能性を秘めたコ卜的世界観へと読者のみなさんを誘い(いざない)」というあとがきのとおりの作品である。後になるほど難しいのは物理学の解説だからしかたないだろう。参考までに各章の見出しを残します。
第1目目 もしもあなたが猫だったら
第2日目 もしも重力がちょっぴりだけ強かったら
第3日目 もしもプラトンが正しかったら
第4日目 もしもテレポーションされてしまったら
第5日目 もしも仮面をつけることができたら
第6日目 もしも小悪魔がいたならば
第7日日 もしもアインシュタインが正しかったならば