ガルブレイスの『満足の文化』
2008年03月07日
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おととし亡くなったJ・K・ガルブレイスの『満足の文化』(中村達也訳、新潮文庫・平成10年)を読んでいる。カナダ生まれで、ハーバード大学教授、ケネディー政権のブレーン、インド大使、アメリカ経済学会の会長などを務めながら経済学では異端扱いされた学者である。彼を「名文を書くほらふき」(言葉はもっと婉曲な言い回しだったが)と皮肉を並べた経済学者もいたくらいだ。正統派の経済学を批判し、『ゆたかな社会』『新しい産業国家』『不確実性の時代』などのベストセラーも多かったからだろう。
それはともあれ、「満足の文化」というのは、有利な経済・社会・政治状況にある個人や集団が、自ら享受しているものを社会道徳に敵い(かない)政治的永続性があるものとみなしている社会である。少数の裕福層でありながら実際の投票行動では多数派となり、政治家も支持を得るために従わざるを得ない圧力階層だ。彼らは自由競争を称えながら、その失敗のツケを国家に負わせるとしてガルブレイスは指摘する。そして、この社会は下層階級なしに社会が機能しないのである。誰からも嫌がられる辛い仕事を、恵まれた人々がやらずに貧しい人々が行う社会だ。
肉体的にきつく、社会に受け入れない、快適ではない職業といって思い出すのは、飲食業や建設現場に外国人労働者が従事している日本も同様だろう。彼らは不要になれば強制送還までされて経済の安定にも使われる。ガルブレイスは経済システムに組み込まれたものとして描くがアメリカやヨーロッパの現状であって、それを歴史的必然とみなしたり社会システムに組み込まれたものとしていいかはわたしにはわからない。