ケネーの経済表にとまどう
2008年03月05日
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資本論の再生産表式を復習したついでに根井雅弘さんの『経済学の歴史』(講談社学術文庫)でケネーの経済表を復習した。数式ではなく図表だからなじめそうでとっつきにくい。点線で結ばれた3つの階級の生産物と金の流れの説明をたどっていくのもおっくうだ。ジグザグの表を追っているうちに頭がくらくらしてきた。
フランソワ・ケネーは医師として身をたて、18世紀のフランスで活躍した人である。フランス国王の寵愛(ちょうあい)を受けたポンパドゥール夫人の待医となってからディドロやミラボー伯爵など著名な哲学者や知識人との交際を持ち、財政に関わったという。アダム・スミスはケネーと交際し、影響を受けて「国富論」を仕上げたという。《エコノミスト》という言葉の元祖であり、重農主義者と呼ばれるもののフイジオクラットは「自然の支配」をさすようだ。医師だったから血液循環をヒントに経済の流れを図表にしたそうだ。
ケネーの経済表は2種類ある。頭がくらくらするほど点線が込み入った「原表」とシンプルなものの説明がないとわからない「範式」である。いずれの表も、農業を行う「生産階級」、そこから収入を得る「地主階級」、それに商工業にたずさわる「非生産階級」との結びつきを表わしている。これらの図表については内田義彦さんや菱山泉さんなどの学者が独自な解釈をしている。根井さんは菱山モデルを補論でとりあげ、従来は単純再生産を表わすとされたものを拡大生産まで広げたものと評価しているがわたしはよくわからない。
それはともあれ、ケネーの学設は輸出に勝ち抜くために国内の生産価格を意図的に低価格に規制した重商主義を批判し、疲弊した国内生産をたてなおして自由な競争を主張したことにあるという。フランスが農業国だったからでなく、意図的な政策による国内生産のひずみを正すための提言だそうだ。工業生産を中心にして自由な競争を主張したアダム・スミスの経済学(その当時は道徳哲学と呼ばれた)との結びつきはこんなところにある。そして、経済をシステムとしてとらえる方法はマルクスに引き継がれたようだ。
とまどいつつもあなどれないのが経済表である。それは数式で展開するハロッドやドーマーの経済成長論のシンプルさはないものの経済システムを全体的に表現したものにちがいない。むろん、経済循環に時の流れを加味すれば成長論になるわけではない。似ていても違うものである。モデルで示したところにケネーの独自性があるのだろう。どうでもいいことかもしれないが、経済学の古典にはいろいろなアイデアがあっておもしろい。わたしは積み木くずしのフリーセルになじむのだがジグソーパズル解きはヒマつぶしだけでなく、頭の体操になる。