罰当たりが日本仏教史を読む
2007年11月29日
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ことしは宗教にかかわる読み物にふれる機会が多かった。−遍や空海の伝記を読んで念仏や密教に関心を持ち、流行映画や美術にかかわってユダヤ教やキリス卜教の歴史をたどり、経済思想の寄り道でマックス・ウエ−バ−の著作を読み、各宗教の経済観念を比べるためにイスラム教や仏教まで寄り道をした。信心などこれっぽっちも持ち合わせていない現実主義者のわたしにはなじまない分野だからうさん臭さがつきまとう。それもギタ−をいじったり温泉めぐりする合間のひまつぶしである。【読んだ本のリストは下にまとめました。】
仏教といってもインドではなく日本に限られることをあらかじめおことわりしたい。そして江戸時代までに限られ、特定の宗派をもてはやす気はない。また、宗派や経典の解説をする気もない。そんなことをするために読んだのではなく、−遍や空海の伝記を読むうちにわからないことばかり出てくるから泥沼に入りこんだにすぎない。わたしの関心は発生したインドとはまったく異なって日本に内在化した仏教にある。上山春平さんや梅原猛さんがかってとりあげた「土着の思想」のひとつとして日本仏教をとらえたい。以下は、末木文美士さんの『日本仏教史−思想史としてのアプロ−チ−』を読んで気づいたことだ。この本は5年ぐらい前に読んだときにさっぱり理解できなかったけど、日本人が仏教を自国に取り込んでいったかが明快にまとめられている。
話は変わるが中西進さんの『日本語の力』(集英社文庫)のP213〜230に、「外来語の受け入れ」という講演録が掲載されている。外来語の受け入れ方には<文明語>、<認認語>、<自国語化語>の3つの段階があるようだ。<文明語>というのは目分よりすぐれた文明を取り入れようとする受容力にもとづき、<認認語>はより深く積極的に受け入れ、そういうものを本来とは異なる変容や定着をして<自国語化語>するという。中西さんは日本人が中国文化や南蛮文化だけでなくオランダ語や西欧文化もそのように積極的に受け入れてきたと説明するが、この考えは日本人のポップ音楽やサブカルチャ−を受け入れ方に共通する。仏教もそういう過程をへて日本的に改変されたのだろう。
末木さんは曰本の経典が中国で翻訳された漢文をそのまま転用したものとする。そこにはインドとは異なる中国特有の文化の思考や風習による変形が含まれ、曰本の宗教家はそれに独自の解釈や変形されたとする。そういう確認をして論をすすめるのもくどいけれど、新しいものを受け入れる進取性や柔軟性をわたしたちの先祖が持っていたということだろう。それとともに受け入れるものと拒むものもつきまとったはずである。本来は出家者が修業により悟る個人的な営みであった仏教が在家者もなじめるような営みとなったように、国家鎮護のための加持祈祷や極楽往生のための念仏へ転化したのもそういう側面を反映するにちがいない。それはまた現世利益を求める日本人の思考や好みを反映するのだろう。神や仏にすがることにより救済を求めるのはわたしにもあるから批難はできない。
個々の思想にはふれないが、いろいろな宗派が生まれたのも現世利益だけでなく来世との結びつきを求める方向のちがいや実行方法の差ではないだろうか。末木さんの考えでおもしろいのは各時代の思想の純化と拡散の揺れかえしにふれているところだ。それだでなく、神道や修験道と仏教のかかわりのほかにフランシスコ・ザビエルやキリシタン改宗者、あるいは江戸時代の合理主義者まで登場させて曰本の仏教に内在する問題点を取り上げることだ。葬儀仏教に対する批判もただよう。
それはともあれ信心を持ち合わせていないわたしには煙たい内容も多い。末木さんの本に限れば終章の「日本仏教への−視角」が最もおもしろい。わけても3節の「仏教の土着と風化」で、遠藤周作の『沈黙』をとりあげてキリスト教の棄教を強いる宣教師が日本は「根を腐らす怖しい沼地だ」というのも笑えない。それはキリスト教ばかりでなく外来宗教である仏教の土着化にもつきまとう問いのようだ。それはまたわれわれ日本人が外国の文化や思考を受け入れたり拒む原初的なバリア−(垣根)なのだろう。
☆読んだ本のリスト
@末木文美士『日本仏教史−思想史としてのアプロ−チ−』新潮文庫・平成8年
A栗田勇『−遍上人−旅の思索者−』新潮文庫・平成12年
B柳宗悦『南無阿弥陀仏』岩波文庫・1986年
CNHK取材班『「空海の海」を旅する』・中公文庫・2005年
Dひろさちや『空海入門』中公文庫・1998年
E和歌森太郎『神と仏の間』講談社学術文庫・2007年
F鈴木大拙『曰本的霊性』岩波文庫・l972年
G中丸明『絵画で読む聖書』新潮文庫・平成12年
Hロバ−卜・R・遠山『アダムとイヴは−夫−妻ではなかった』知の雑学文庫・土屋書店・2007年
I白取春彦『世界四大宗教の経済学−宗教とお金、その意外な開係−』PHP文庫・2006年