丸山健二と安曇野
2006年09月14日
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今どき書店で見かけるのはガーデニングのエッセイしかないのが作家の丸山健二である。物見遊山で北アルプスを歩き、安曇野をうろついたのがきっかけで彼の小説を読んだことがある。うろ覚えだが『イヌワシ讃歌』というのがあった。広々とした安曇野の空を優雅に舞う孤高の鷲を描いていた。
田舎育ちの青年が東京で暮らしながらイヌワシの自由を讃える内容だった。「飛ぶ」のでなく、「舞う」ことにこだわっていたのもおもしろかった。そのころ、五木寛之が訳した『カモメのジョナサン』を読んでウサン臭く感じていたから、同じように田舎から出てきて仕事をしている身には丸山が描くイヌワシにひかれた。
ワシ、ハヤブサそれにトビさえ区別がつかない鳥嫌いがなぜ興味を持ったのか自分でも解らない。身近に見かけるハト、カラス、スズメと違って高い位置に飛翔するからだろう。その中間を飛ぶカモメやウミネコは群れるからなじめない。そういうわけでイヌワシに惹かれたのも孤高な行動にあったようだ。
とはいえ、同じ田舎育ちにしても田畑にかかわらず育たせいか違和感も感じた。わたしはワイワイ騒いで生きるのを拒む気は起こらない。山を歩いても仙人になる気はなく、たちまち焼き鳥屋に向かうわたしには煙たい世界であった。
自分と歳も変わらない作家の作品を見かけないのも寂しい。早逝した中上健次は作品集を残したが、丸山健二にはそれがあったかもわからない。どちらも文学指向が強い作家だったから忘れられてしまったのだろうか。
今年の夏は16年ぶりに子どもを連れて上高地から安曇野を通って黒四ダムへ出向いた。横浜育ちの子どもには、小さい頃から連れまわされたありふれた田舎の風景で何の印象もなかったようだ。山歩きだけでなくスキーや散策のために行き来して空を眺めたわたしとズレがある。それも時の流れと関心の違いだろう。