出雲神話の攻略本
2006年08月31日
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日本の神話といえば『古事記』と『日本書紀』だろう。まとめて「記紀」といわれ、長たらしい神様の名前がウジャウジャ登場するセットのパズル本である。物語としてなじみやすいといわれる『古事記』にしても素人には歯がたたないから攻略本が多いのも人気ゲームに似ている。これから取り上げるのは『出雲国風土記』に立った土俗性あふれる出雲神話の攻略本(?)だ。松前健さんの『出雲神話』(講談社現代新書444)は1976年に発行されてから2000年で35刷されているロングセラーである。
●古代史は苦手
日本のサラリーマンに受けるのは古代史と戦国時代と幕末のようだ。下克上やロマンへのあこがれの反映だというが、わたしは想像力が欠けるから古代史に近寄らない。遺跡や遺物をあれこれ調べたり解釈するのも気が滅入る。だから、わたしが興味を持つのは文字が残っている時代に限られる。でも、文字で表現されたものは書き手の偏り(かたより)がつきまとう。そこで、数冊を比較して読み進むのもおっくうだ。松前さんの攻略本を読む前に、歴史学者の門脇禎二さんの『出雲の古代史』や評論家の梅原猛さんの『神々の流竄(るざん)』も読んだがさっぱりわからなかった。松前さんは民俗学や神話学の立場に立つから歴史との関わりが希薄でやや物足りないが論旨はすっきりしていてなじみやすい。
●古事記への入門書
松前さんの本は専門書ではない。素人向けの攻略本である。でも、日本史や『古事記』のあらましを知っておいたほうが理解を深めることができそうだ。そこで、読んだことのない人に簡単に読める入門書を紹介したい。第1は鈴木三重吉『古事記物語』である。童話作家であり「赤い鳥」運動もした明治生まれの作家の作品である。昭和30年に角川文庫から発行され、昭和60年で26版となっている古本屋で手にいれた本だか読みやすい。次は『ビギナーズ・クラッシックス古事記』である。平成14年に角川文庫からで発行され、18年で11版になる。こちらは文字も大きく、写真や解説も多いので楽しく読める。
●論点を絞る
あれもこれもと触れるときりがないから、これから論点をあらかじめ絞ろう。かいつまんで言えば、天つ神(あまつかみ)と称する神々に国譲りする国つ神(くにつかみ)の代表と扱われる出雲の神々はどんなものだったのかというのがわたしの関心である。ポイントは次のとおりだ。
(1)なぜ「記紀」では出雲が別格に扱われるのか
(2)出雲民族というのは存在したのか
(3)実際の出雲はどういう場所だったのか
(4)出雲大社はどういう位置づけになるのか
●ふたつの系譜
まず知っておきたいのは、出雲神話には『風土記』と『出雲国風土記』の系譜があることだ。前者はヒエダノアレが語ったものをオオノヤスマロがまとめたもので大和朝廷公認のゲームである。天つ神の立場から諸国を平定してゆく国取りゲームだ。後者は出雲支店長(国造=くにのみやつこ)が家伝を取り混ぜてまとめたトラべルゲームである。同じ出雲であっても登場する神の名前も異なり、評価もずいぶん違う。
公認ゲームは自分たちに都合のよい神話ということで信用されていないが、トラベルゲームにしてもお国自慢がたっぷり含まれ史実を反映しているわけでもない。松前さんはそういう偏りが交ざっているのを前提にして後者を取り上げる。『出雲国風土記』がなぜ書かれ、そこに出雲の古代を解釈しようとつとめる。その点では門脇さんの『出雲の古代史』のほうが地域の歴史に個別・具体的に触れているが分析が細かく専門的すぎて論旨がぼやけるのも皮肉だ。
●なぜ「記紀」では出雲が別格に扱われるのか
国取りゲームの『古事記』には出雲が占める部分が多いといわれる。『古事記』に描かれる出雲は大和、北陸、諏訪、筑紫まで勢力下に置いた政治上の一大中心地として映る。一地方にすぎない地域がなぜ別格扱いされのか。考え方には、最大の抵抗勢力だったとみなす説、朝鮮との接点にあることと強調する説、ヨミの国や根の国への入口にあたる方位を重視する説などがある。
松前さんは出雲から発した最大の新興宗教を無視できなかったという説を持ち出す。「フゲキ(巫覡)」という精神的かつ実利的なミコ(巫女)集団を持ち出し、出雲支店長の売り込み活動をあわせて説明する。前者は出雲から大和に広がる影響度を無視できない勢力というがわたしにはなじめない。むしろ、中央への食い込みを謀ろうとする支店長の努力が本店の意図に合致したのではないか。
●出雲民族というのは存在したのか
日本史の中には騎馬民族侵略説というのがあった。土着の日本人を騎馬民族が辺地に追いやり、服属させたという説だ。天つ神が国つ神に国譲りを強いるのも公認の国取りゲームに通ずる考えだ。単一民族を受け入れがちな考えと相反しているが南方系と北方系の複合民族である今の日本人には受け入れられる考えである。
でも、同じ民族にしても氏族の争いはあったわけで、出雲を従属させられた集団とみなす考えもある。 松前さんは出雲民族などなかったという考えである。なぜなら、出雲は早くから大和勢力の軍事担当であった物部氏の影響下にあったという。これは歴史学者の門脇さんも指摘している。
●出雲と熊野の結びつき
松前さんの説でおもしろいのは「根の国」と呼ばれるのは出雲だけでなく熊野もあるという指摘だろう。ヨミの国というのは異境への出入口であり、瞑界(死の世界)につながる場所だ。これは今は亡き作家の中上健次が「紀州 木の国・根の国物語」(小学館文庫、中上健次選集3)と論じていた。最近話題の熊野古道もそういう場所への巡礼である。大和からみればまったく方向が異なる場所につながりを持つのは熊野から出雲への人の移動があるとする。地図を確かめると出雲には熊野神社もあり、突飛な説ではない。陸の続きで眺めるのでなく、海との関わりでとらえることも忘れてはなるまい。