フェルマーの定理と「谷山=志村予想」
    2006年06月17日


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 アンドリュー・ワイルズによる「フェルマーの定理」の証明の物語をようやく読み終えた。17世紀にフランス人のピエルール・ド・フェルマーによって提起された数学の難問が300年もかかって証明されるまでの物語である。ワイルズの証明には1950年代に発表された日本人の論文「谷山=志村予想」が大きな貢献をしたほか、その他にも日本人が登場するので併せて紹介したい。

●読んだ本

 フェルマーの定理に関する解説本は2冊読んだ。アミュール・D・アクゼルの『天才数学者たちが挑んだ最大の難問』(吉永良正訳、ハヤカワ文庫)とサイモン・シン『フェルマーの最終定理』(青木薫訳、新潮文庫)である。前者は数学者による手軽な読み物、後者は物理学出身者によるテレビ番組用の解説である。どちらも難問に挑む数学者の個性が巧みに描写されている。これから紹介する内容は後者に基づくことをお断りしておきたい。

●フェルマーの定理とは

 簡単にいえば、ピタゴラスの定理を示す数式 X2乗+Y2乗=Z2乗の乗数が2より大きい整数はないということだ。あるという証明は1つですむが、ないという証明は無限が絡むから難しい。フェルマーはこの式の余白にないことを証明したと書くだけで証明を明かさずに去った。自尊心が強くて人騒がせなおっさんが残した問題に振り回されただけかもしれない。 いたずら好きの人の参考にフェルマーの思わせぶりなメモをあげておこう。「私はこの命題に真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」p118

●完全無欠の証明

 数学者というのは欲張りのようだ。観察や実験で得られたもので納得するわたしには煙たい人間集団のようだ。くどくなるが大切な指摘だからシンの説明を引用したい。「科学的証明と数学的証明とは、微妙に、しかし重大な点で異なっている。」、「典型的な数学的な証明は、一連の公理から出発する。公理とは、真であると仮定された命題、あるいは真であることが自明な命題のことである。そこから一歩一歩論理的な議論を積み重ねていって結論にたどり着く。公理が正しく、論理が完全であれば、結果として得られた結論を否定できない。こうして得られた結論が定理である。数学の定理は、この論理的プロセスの上に成り立っており、一度証明された定理は永遠に真である。」p57

●谷山=志村予想

 ワイルズの証明には1950年代の2人の日本人、谷山豊と志村五郎がたてた証明が「予想」としてとりあげられる。モジュラー形式といわれる内容はわたしにはわからない。ワイルズは楕円方程式の研究をしていて彼らの理論を知ったようだ。「モジュラー形式と楕円方程式とは、数学という宇宙のかけ離れた領域に浮かぶ別々の世界であり、この二つに多少とも関連があるなどとは誰も考えもしなかった。ところが谷山と志村は、楕円方程式とモジュラー形式とは実質的に同じではないかと言い出して数学界に衝撃を与えた」p288という。
 天才肌の谷山豊さんは恋におち自らの命を断ったが、志村さんは証拠を積み上げて彼らの理論を広く受け入れられるものにしたという。彼らの予想は異なる分野を結びつけるミッシングリングでありロゼッタストーンとみなされ、その理論をもとに多くの仮説が組まれたという。

●宮岡洋一の微分幾何学

 ワイルズがフェルマーの定理の証明に没頭している時期に彼より先に証明をしたとする日本人もいた。1988年3月に東京都立大学の宮岡洋一(当時38歳)さんがドイツのボンのマックスプランク研究所の会議であらましを説明したことがp358に出てくる。この方は20代の前半に「宮岡の不等式」まで作っていたほどの秀才のようだ。微分幾何学からの証明は結局不発に終ったが日本人の活躍に驚いた。

●ワイルズの証明の過程

 アンドリュー・ワイルズの証明は、それまでのアプローチが背理法によるものだったのと異なり、群論を利用した帰納法の証明という。背理法は数学特有の方法で、ありえないものを仮定して矛盾を提起して証明するものだ。個人的にはなじめないが広く受け入れられた証明である。ワイルズは証明の無限を避けるために一つの証明の正しさから次の証明に移り、それをすべてに展開する証明を選んだようだ。ここの説明に挿入される短命で去った天才ガロア(名前が似ているガウスも数学の天才だった)の生涯もなかなか面白い。楕円方程式や「谷山=志村予想」の説明はわたしには手が負えない。

●岩澤理論も役立った

 7年かかったワイルズの証明は口頭の説明後の論文作成で不備が見つかり、その補強で苦闘したようである。「岩澤理論はそれだけでは不十分だった。コウヴァギン=フラッハ法もそれだけでは不十分である。それぞれが相手を補い合ってはじめて完全になる」p415。でも、どこの岩澤さんなのかもこの本ではわからないのが残念である。

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