井田博『日本プラモデル興亡史』
2006年06月11日
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玩具(おもちゃ)と模型は似ていて異なる面がある。遊び道具では同じだが模型には工作という側面がともなう。どちらもコレクションの対象になるが精密さも違う。日本のプラモデル(和製英語、プラスティック・モデル)は模型と玩具の両面で進化してきたようだ。これは井田博さんの『日本プラモデル興亡史』(文春文庫・文藝春秋、2006年5月)からえた知識だ。この本は2003年に単行本として出版されたものの文庫化である。
著者の井田さんは大正9年生まれの86歳。九州の小倉で模型店を開業し、模型博覧会を企画してプラモの普及に努め、模型雑誌『モデルアート』の社主としてプラモ業界とかかわってきた方である。模型飛行機作りが高じてプラモの販売から雑誌の出版に至る道のりを語りながら業界の盛衰や消費者である子どもの好みの変化も描いている。そこが単なる模型マニアの思い出話(ノスタルジー)と一線を画している。
ちなみに、文庫の「はじめに」には次のように記載しているので紹介しよう。
「「プラモデル」とひとくちに言ってみても、さまざまな流行り、廃りがあり、いくつものメーカーが誕生しては倒産していく一方で、世界的に認知されるまでになったメーカーもあります。何十年も市場で売れ続けている模型キットもあれば、ほとんど顧みられることなく消えていった商品もあります。
この歳月の流れを俯瞰することで、プラモデルの来し方行く末、ひいては日本社会を取り巻く風俗のありようの変化というものもとらえられるのではないかというのが、この本の目的です。」
わたしはすでにプラモ業界の本を読んでいる。『マルサン・ブルマックの仕事
いしづき三郎おもちゃ道』(くじらたかし著、文春文庫)と『田宮模型の仕事』(田宮俊作著・文春文庫)である。マルサンとタミヤはプラモでは忘れられないメーカーである。こちらは生産者の視点で書かれていて製造にまつわる苦労談が伝わってくる。
この本は5章に分かれ、田宮模型の社長(上記した著作あり)との対談と著者の模型年譜がついている。この年譜だけでも昭和5(1930)年以後の模型の流れが俯瞰できる資料である。でも、第1章の「プラモデルとの出会い」と第3章の「プラモデル黄金時代」がわたしが工作にかかわったゆえに印象深い。プラモを作るたのしさがあった時代だろうか。息子が読むとしたらガンダムやミニ四駆が出てくる第4、5章だろう。第2章は「プラモデル前史」とあるように戦前の模型飛行機に対する著者の思い入れである。
わたしはくどいのを承知で日本のプラモメーカーを記録しておきたい。すでに倒産して去った会社も多いが忘れられないのである。この本は各々の会社を平等に扱っているのが嬉しいし、そこに価値がある。マルサン商店、ニチモ(日本模型航空機工業)、三共模型製作所、三和模型、タミヤ(田宮模型)、ハセガワ(長谷川製作所)、イマイ(今井科学)、アオシマ(青島文化教材)、フジミ模型、ニットー(日東科学教材)、エルエス研究所、トミー、ラベル(グンゼ産業)、ミドリ(緑商会)、オータキ(大滝製作所)、東京プラモ、三共ポリマー、童友社、レベル、コグレ、学研、東宝模型、バンダイ、東京マルイ、永大である。そして、井田さんも強調するように日本のプラモに「動き」を与えたのはマブチモーターだったことだろう。
【補記】
同じ大正生まれの父は今年去った。貧乏に追われ、兵隊としてフリピンまで行かされた父には花いじりと老人会活動のほかはとりたてた趣味がなかった。趣味を活かした井田さんの人生は父には羨ましかったことだろう。そんな思いで読み始めたが、参考になることが多すぎてまとめきれない。
なお、「プラモデル」は商標なので「プラモ」としました。