石川達三:気骨のある作家
2006年05月27日
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今では忘れられた社会派作家だが、五木寛之とともに忘れられないのが石川達三である。秋田出身で明治生まれの気骨あるリベラリズム作家を記録しておきたい。
手元にある小倉一彦さんの『石川達三ノート』(秋田書房・1985年)のあとがきに、「石川さんの作品は、あまりにも時代と密接に結びついていたために、後になって古い作品が読み返されることはあまり多くない。ベストセラーになっても、ロングセラーになりにくい作品が多い」(p123)とある。この本は朝日新聞秋田版に昭和60(1985)年1月から2月に掲載され、達三はその間に亡くなったというが、生前に本人に取材もされたルポルタージュのようだ。
わたしは人柄と作品を結びつけて読むことはしない。作品の善し悪しは内容で行なえば十分だと思う。いかに有名な作家でも関心が欠けたり、おもしろくなければ読まない。でも、例外が石川達三であった。取り組む姿勢や視点を抜きにして読めないからだ。デビュー作の『蒼氓(そうぼう)』から読み直したのもそんなところにある。社会批判の面でプロレタリア文学に似ていても、体制内批評にとどまったのもリバラリズムの石川達三だった。
ところで、『石川達三ノート』を読むと生い立ちのほかに「筆禍事件」や「横浜事件」が登場してくる。筆禍事件というのは彼の『生きている兵隊』に対する発売禁止処分である。日中戦争の現場取材による南京大虐殺をありのままに描いた作品だった。そして、横浜事件は昭和17年に共産党再建集会として雑誌編集者約50名が検挙され、激しい拷問で獄死まで出た言論弾圧事件である。こういう体験を経ている達三は自由に対する干渉や自由の安易な扱いに反骨したのだろう。日本ペンクラブ会長のときは野坂昭如らの若手作家(当時)グループと対立したこともある。
最期に、彼の主な作品を並べておこう。どんな内容かを解説する気はない。「蒼氓(そうぼう)」、「生きている兵隊」、「金環蝕」、「風にそよぐ葦」、「人間の壁」、「青春の蹉跌(さてつ)」、「僕たちの失敗」、「三代の矜持(きょうじ)」などである。作家論は「30男のつぶやき」に掲載したので繰り返さない。