えん魔大王と地蔵菩薩は同じ
    2005年06月25日


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    ◎『白隠ー禅画の世界』(芳澤勝弘著、中公新書、2005年)


 引用から始めます。どんな内容かわかりますか。

  かりるとき地蔵なす時えんま顔
  うつてかはりしおもてうら盆

         (大田南畝「閻魔」画賛)

 ヒント:「なす」は返済することです。

 たとえてみれば、借金の返済でしょうか。手続きが簡単で金利も安いと思って借りたが返しそびれれば厳しい取り立てがある。住宅ローンやサラ金で味わった人も多いようです。ここで言いたいのは、後段にある、地蔵と閻魔は表裏一体ということです。

 先週から『白隠ー禅画の世界』(芳澤勝弘著、中公新書、2005年)に読んでいます。仏教や禅に無知ですからそんなものかと読むほどに驚かされる本です。さきに引用したものは第5章「南無地獄大菩薩ー白隠の地獄観」に出ています。

 わざわざ引用したのは私には意外だったからです。少なくとも江戸時代には閻魔大王と地蔵菩薩は同じものだという常識があって、蜀山人こと大田南畝も川柳(? )に使ったのでしょう。でも、別のことだと思うのが現在の感じ方ではないでしょうか。


 私は幼い頃から祖母に地獄のイメージばかり植え付けられられてきました。舌を抜かれたり、針のむしろに座わらされたり、炎にあぶられる苦界というところです。そのわりに地蔵は慈悲深い仏様でした。少なくとも40年前には町角にも通り道にも地蔵様は立っていたものです。だから、閻魔と地蔵が同じというのにビックリしました。

 天国など出てこないで地獄ばかり祖母が並べたのは暗い生い立ちだったからでもなさそうです。仏教に限らず、天国や極楽はあっさり描かれるわりに、地獄や悪魔の世界は具体的で生々しくグロテスクに描かれるのも考えてみれば不思議です。


 白隠は閻魔大王の代わりに観音菩薩を登場させて地獄を描いています。閻魔=地蔵を展開して観音菩薩にしたようです。この章は、白隠の地獄は暗いという評論家への著者の反論です。それはともかく禅画というものには描かれたものに教えが含まれるようです。

 禅画というのは言葉で言い表せないものを絵に托したものです。「方便(ほうべん)」とか「消息(しょうそく)」いい、パズル解きも絡んで私には煙たいものです。3日もあれば読めると思っていたわりに手こずっています。


 ちなみに、白隠(1685〜1768年)は、江戸時代前期に駿河国駿東郡原宿(現在は沼津市)で生まれ活躍し、多数の禅画を残した人です。松蔭寺(しょういんじ)の住職だったそうです。達磨、ほてい、おたふくなど独特の筆致で面白い絵を残していますがこれは別の機会に紹介します。

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