水のつく言葉あれこれ
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生命の根源にさかのぼれば「水」である。生物の発生はここに始まる。水がなければ魚は生きていけない。「水を得た魚」は適材適所をさすが、水が生物に欠かせないからだろう。それほど大切な水を空気と同様に只(ただ)で当たり前と思い込んでいるのが日本人だという警告がイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』だった。最近はミネラルウオーターしか飲まない日本人も多いから昔話になった。
ところで、「水売り」という商売が日本だけでなく世界各国にあったのを知っているだろうか。今では水道の蛇口をひねれば出てくる水は昔は買うものだった。砂漠を旅するキャラバン(隊商)だけでなく江戸、ロンドン、パリのような大都市では井戸水ではまかなえなかったから地下水や川の水を運んで売る商売があった。名は忘れたがこの水売りから財をなし、明治時代に財閥を興した人もいる。
そこで「水商売」に移ろう。これは諸説がある。流れる水のように「収入が不安定な職業」、芸妓などの職業を真水に対して泥水といった「亜流的な存在」、江戸時代の喫茶店である水茶屋からきた「ある種の裏のある職業」などだ。タレントや芸人は水を扱わないのに水商売といわれるのは当たり外れで浮き沈みが激しいからだろう。
最後は「水に流す」にしよう。関東大震災で謀殺された大杉栄というアナーキストの自叙伝にはパリの下水道には赤ん坊も流されるという話が出ていた。流すには「おろす」(堕胎)という陰語もある。「水子地蔵」もそれと同じ使い方だろう。でも、禊(みそぎ)という神事に使われるように水には「浄化する」や「清める」という意味もある。恨みつらみを流して、元の流れに戻すという意味も忘れてはなるまい。