風呂のはしごで目が冴えて

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 昨日は、女房のご機嫌とりに神奈川区と瀬谷区を行き来して風呂に入った。そのせいか、帰宅しても目が冴えて寝つけない始末である。市内のスーパー銭湯・温泉一覧表を作ったばかりに現地確認に出向くのも体力消耗や余計な興奮を引き起こすもとだ。多く入ったからといって自慢になることではない。

 無線の交信数を増やしたきっかけは「たったそれだけですか」というたわいない一言にムッとしてだった。高台に大きなアンテナを設置できる若者が、団地の中階のベランダにつつましく設置する者の悩みをわかるはずもない。量より質だと言っても負け犬の遠吠えに響くようだ。それが歯がゆくて3年目から高台に出向いた。数をこなせば一目おかれるのも何か変である。

 これと同様に温泉を話題にすれば、いずれ「どのくらい入浴してますか」という輩が出てくるはずだ。そんなことのために風呂めぐりをするつもりはない。むしろ、そこに出向きたいという期待に応え、自分の目や肌で確かめる。

 風呂好きは何軒でもはしごができるようだ。我が家の女房もそのひとりである。キャンプで伊豆に出向いたときは一日に3軒もまわり、わたしは浴槽を見るだけでうんざりした。浴槽につかった湯の熱が体内に残っているからやけに火照る。

 どのくらいが限界かを確かめる気もしない。そこまで身を張ることでもないだろう。それがわかっていても出向いてしまうのはゲテモノ集めの悪癖が加わる。山歩きにも出てきたが、対象が明確になるとそれを残らず平らげようという慾がわいてくる。身体あっての道楽と言いながら、けっこうムキになって歩くこともできなくなった。ほどほどで止めておくのが身のためだろう。