+月雪+


「わたくしの傍にいると、貴女は幸せになれません」



彼にそう言われた時、すでにエルスが消えることは決まったようなものだった。

”そんなことある筈がないのに。私が傍にいると、あの方が幸せになれないならともかく”

心の中でそう呟いて、エルスは眉を顰めた。

彼と出会ってから僅か一年弱の間に、どれだけ素晴らしい出会いを、愛しい想いを抱いたことだろう。
それは、今まで彼女が生きてきた時間全て、それどころか、彼女自身の命と引き換えにしても惜しくはないものだった。
けれど、自分が重ねたのは勝手な誓いだけだったのだろうか。心も、体も、本当には触れ合えなかったのか……。

”どうせ私は、この世界に舞い降りてきた、異世界の幻影のようなもの。
それに、押し付けがましい愛なんて、熱すぎる毛布みたいに鬱陶しいだけだもの……”

そう思いながらふわふわと今ここに漂っていのは、自分の見ている夢だろうかとぼんやりと考える。 肉体を失ったエルスにとって、夢も現実も同じようなものかもしれないけれど。


月が煌々と夜を照らす中、いつしか見慣れたシルエットが浮かび上がった。
エルスはふわふわ浮かんだまま、その人影に近づいていく。
いつもと変らず、すらりと立つ黒服の人。
黒い帽子、淡い灰色の瞳。唇には変らぬ微笑が浮かんでいる。

胸にじんと甘い痺れを感じながら、やはりこれは夢だろうと思う。
例え実体を失っていても、この方が目の前にいる者に気づかない筈がない。

”ああ、なんて甘い夢だろう…”

普通、魔女は自由に夢を操れるというが、エルスは今自分が故意に夢紡ぎをしている意識はなかった。
だから例え偶然だとしても…この方の姿を見られるのが嬉しい。


”私が消えてから、貴方は幸せでしたか……?”

そっと額に唇を落とす。
そうであって欲しいと思う。大切な人が悲しむのは辛いから。
だけど、自分がいなくなったことをただ心から喜んでいても、それはそれで寂しい。
恋心は本当に我侭なものだと、小さく笑う。

ふいに、彼が顔を上げた。エルスは思わず、悪戯を見つかったような気持ちになったが、彼の帽子が白く滲むのを見て、一緒に空を見上げた。

”雪……”

月は相変わらず頭上で輝いているのに、後から後から湧き上がるような白い雪がふわり、ふわりと天を覆っていた。彼の帽子も、服も、キラキラと煌いて、まるで星屑のように。

「……姫君…」

空を見ていた彼が一言、呟いた。
誰のことだろう、多分自分ではないと思いながらも、エルスはなんとなく嬉しかった。

”これは自分が見ている夢だから、彼が思い出してくれたのだと、彼の心の奥底の、小さな小さな思い出になれたのだと、そう都合よく信じてしまってもいいのかもしれない……”

雪は次々に舞い落ちる。きっと日が昇ったら跡形もなく消えてしまうような儚い欠片。
それが彼の帽子に小さなキスを繰り返すたび、エルスは少しづつ眠くなった。


ふわりと意識が闇に溶けていく瞬間、月の光が一杯に広がって…その中に優しい、懐かしい微笑が……

”お休みなさい”