|
+愚カナル者+ 僕は、本当に彼女のことなんか特別好きじゃないんだ……。 街の灯りが、遠く見える大樹の下。 白い翼を持った者は、その暗がりへと舞い降りた。 「…貴方でしたか」 木の根元で、軽く瞳を閉じていた女性は、そっと目を開いて呟いた。 「こんな所で野宿なんて、危険すぎるんじゃないのかい?」 青年は、からかうような声音で答えを返す。 月光に照らされたその姿は、神々しいまでに美しかった。 「おまけに、君から血の匂いがする」 「……そうですね」 女性は黒髪を揺らして、少しだけ笑う。 切れた唇が僅かに脹れ上がり、手首に付いた痣が、痛々しいまでに白い陶器のような肌に映った。 様子から見るに、他にも沢山の傷があるのだろう。白い服にも血が滲んでいる。 「こんな姿、皆様にはお見せ出来ませんね…」 呟いて立ち上がる。ふわふわっと風に靡いた大きなストールは、女性の体を包み隠す。 「でも、貴族たちの闇宴なんてこんなものですよ。私は、これでお金を貰っているんですから」 「…一つ、聞いてもいいかな?」 そんな様子を、特に関心もなく眺めていた青年は、口を開いた。 「なんでしょう?」 「君はどうして生きているの?」 不思議なことを聞いた、というように、女性は首を傾げた。 「死者の呪詛を聞きながら、その魂を抱いているのは辛いだろう? 聖なる力は、君の体を内側から焼いている。 堕落した貴族たちに自由に弄ばれ、伽を捧げ奉仕しても、貰う金なんて僅かなものだ。 どうして神に膝を折らない? 悔い改め、天に戻れば無上の至福と安らぎが訪れるのは、君にだって解っている筈だよ」 「…だって、悔しいじゃないですか」 女性は笑う。 「例え、この身が神の屍人形であろうと、許されない命であろうと。 私が人である限り、あがいてあがいて先に進む。それが、私の仕事です」 ふわり、と一回転してみせる。白い服の裾が翻る。 スポットのような銀色の月の光に照らされ、女性の青い瞳が、サファイアのように煌いた。 「”どんなに、辛くても。哀しくても。生きることをを諦めないで。 安らかに死ぬよりも、最後まで足掻くことを望みなさい”」 青年は、ほう、と溜息を吐く。 「…それが、森の貴婦人の遺言なんだね。なるほど」 「私はあの人の様にはなれませんけどね」 微かに俯いて、後を向くと、女性の眼下に街の灯りが映る。 「それで、君はどこまで歩くつもりだい?」 青年は、細い後姿を眺めながら、からかうように言った。 「……さぁ」 女性は、ゆっくりと歩みを進める。丘の先はちょっとした崖になっていて、カラリと小さな石が転がった。 「こうやって、崖の先に立つとね」 静かな歩みは、落ちるギリギリの所で止まる。 「とても自由だな、と思うんですよ。私はここで死ぬことも出来るし、生きることも出来る。 ここからどこかに行くことも出来る」 彼女は、片足を空に踏み出す。 崖の先に足一本で立っているという微妙なバランスで、そっと天を見上げる。 「いつか……あの月にだって届くかもしれない」 クスクス、と笑って、足を崖の上に戻し、青年を振り返る。 「これをね、”愚者”って言うんです」 青年は小さく苦笑いし、片羽の白い羽根を広げる。 「僕は、一足先に天に戻るよ」 「…お役目ですか。お疲れ様ですね」 「いや……」 バサリ、と翼を羽ばたかせると、おどけたように言う。 「これも仕事だからね。仕方ない」 そのまま天に登っていく青年を、静かな瞳で見送ると、女性は淡く微笑んだ。 ……だからね、僕は彼女をそんなに好きだったわけじゃない。 足掻いて、足掻いて、行く先が、少しばかり気になったとしても。 |