+眠り+



広い草原に、吹き渡る爽やかな風。
女性が一人、長い髪を靡かせて、その場所に立っていた。

「混沌の海(カオス)って…意外と賑やかな場所なんですね」
耳に響く、小さな笑い声が心地よい。彼女の内側から解放された、魂の歓声だ。

「全ての命が生まれる場所だからね」

聞きなれた声に振り返ると、銀髪の天使が笑っていた。
「貴方でしたか…」
彼女は緩やかに微笑む。
「ここはエルスの意識の世界だからねぇ。僕も、その心の残像の一部に過ぎない」
肩をすくめる青年に背を向けて、女性は再び草原と…その上に広がる青い空を見上げる。

「…結局、天に帰る気はなかったの?」
天使が問い掛ける。
「ん……今のところはありませんね」
「今のところは?」
「もしも…いつか地獄が勝利を収めることがあったら……」
その時は、全ての堕天使たちが、天界へと帰還することだろう。
「そうしたら、私もケセドのエルに戻ってもいいですね」
クスクス、と明るく笑って振り向く。
「本気かね…一体、何がしたいんだか…」
青年が苦笑を浮べた。
「あの方の傍にいたいんです…一番迷惑が掛からない方法で」

女性の瞳が、愛しげに細められた。

「迷惑……ね」
「空気のように見えない存在だったら…お傍にいられるでしょう?」


「本当にそれを望んでいるのかな?」



「本当は……」
違うのかもしれない、と呟く。
傍にいられるように、邪魔にならないように、それだけを考えてきたけれど。

「あの方に、愛して欲しかったんです」
俯いて微笑む。心の底にある小さな願い。
「私だけを見て下さらなくてもいいの。そんな我侭は言わないから、
沢山いらっしゃる恋人の一人としてでも…愛しく想って頂けたら……」
きっと自分が、ここにいる意味を見出せる。


「彼は愛している、って言ってただろ?」
「あの方は…女性になんと言えば喜ぶか、ご存知だっただけです…」
きっと、どなたにも仰っているのですよ、と呟く。
でも、その気持ちが嬉しかった。それだけで幸せだと思っていたのに。
何時の間にか、特別な”何か”になることを望んでしまった……


「愛して欲しいって、言えばいいさ」
半身の天使は笑った。
「そう望んでいるなら、潔く消えることなんてない。
 縋り付いて、お願いして、離れなければいい。そうすれば、幸せになれるかもしれないよ」

声は遠く霞んでいく。草原に女性一人残して。


「……そうですね…」
自分にそうする勇気があれば。心を開いて全てを求めれば、もしかしたら。
「願いが叶ったかもしれない……」
彼女は広い広い草原を見つめる。なんて大きくて、綺麗な風景。


「けれど、私は…あの方の重荷にはなりたくなくて、だから……」


女性は静かに目を閉じる。



だから、今は眠り続ける。いつかあの方が呼び起こしてくれることを夢見て。
それが永久の夢であろうとも。

そして、その傍に戻ることが出来たら、きっと……。




柔らかな眠りに誘われて、エルスの心は夢の中に落ちていった。













●ベリアル様←エルスで。
草原のイメージが、夢見とダブる気が。