*2003年12月のワタクシ。*

12/8

一昨日の夕食中、突然虫歯の詰め物がポロリ。
牡蠣ご飯を食べていたところだったので、「かーちゃんカラ残ってるよー」と、一瞬言いそうになったが、出て来た物は銀色の金属だった。土、日は我慢、今日慌てて歯医者に駆け込み、すぐ治療してもらえた。
すいてる歯医者って、ありがたいような、コワイような。
そして、「治療済みましたので、歯周病の検査もしておきましょうね」。
針金様の器具で歯の付け根をつつくと、おわー、血が出る出る!
「あっ、これかなりキテますね、ブラッシング指導しておきましょうね」
今度はハブラシでこすると、またまた出る出る、流血が。
その間私は手鏡を渡されて、口の中を見ているよう指示されている。
歯並びが悪い所は、テキメンに出血量が多い。
だんだん恐くなって「そんなに血、出しちゃっていいんですか?」と、マヌケな質問をしたら、
「出さなきゃダメなんですよ〜」と、目の離れたお姉さんはニッコリ。

いつの間にか、わたしは歯周病患者になっていたのでした。
…でも、普段の歯磨きでは全然気付かなかった、やり方が間違っていたのね。
これからは手鏡片手に、歯茎ケアに励まねば。

そんなこんなで、ちっともネームが進まない。
たまに携帯にメールが入ったと思ったら、図書館からの督促状。
慌てて借りた本を返しに行き、今回の仕事のヒントになりそうな本を探すが、少ない。
今回の仕事とは、「親の離婚で苦しむ子供」なんだけど、「離婚しなかった夫婦のリポート」が1冊、「離婚家庭の子供」についてが日本とアメリカで1冊ずつ、これだけ。
ここからなんか、ひねり出せるんだろーか。

 

12月11日

先日会った大学同期のCさんと、そのダンナのTさん、彼女の大学の中国語の先生と、焼肉を食べた。
Cさんと二人でランチの後、「ご挨拶に」と待ち合わせ場所まで行って、ズルズルと。
川崎駅からバスで海の方へ行くと、コリヤンタウンがあると言う。
横浜育ちの私も、川崎にコリヤンタウンがあったとは、初耳。
漠然と横浜中華街の縮小韓国版、というイメージで、「珍しい小物とか、生地なんかないかな」と期待して、くっ付いて行った。
浅草寺の裏手あたりに韓国系の生地屋が並んでいて、ちょっといいのよ。
で、バスを降り、道行く人に「コリヤンタウンはどっちですか」と聞くと、「あー、焼肉屋が並んでるとこね」と教えてくれた。やな予感。
教えられた方向に向かうと、なるほどアーケードがあって、「川崎コリヤンタウン」の文字、可愛らしいお人形も並んでいる。でも、ライトもついてない。
時刻はまだ4時をまわったくらいだが、朝から雨模様で薄暗い中、無灯火のアーケードを潜れば、まだ開店前の焼肉屋が並ぶ道が続く。
人通りも殆ど無くて、民家の間に焼肉屋が並ぶのみ。
結局さんざんさまよって、雑貨屋も生地屋も見つけられず(多分無かったと思う…)、先生が「もう店に入ろう」と言い出した。そろそろ5時をまわり、焼肉屋も開店し始めている。
雨に濡れ、身体も冷えていたので、お腹はそうでもなかったけど、このまま一人でバスに乗って帰る気分でもなくて、なんとなく一緒に店に入ってしまった。

お店はとってもいい店で、ビールと焼肉とユッケジャンクッパで元気回復。
イギリス人のTさんに会うのは、結婚式以来の20年ぶり。金髪が白くなって(どう観ても顔は白人なんだが)案外目立たない。日本語は、そのへんの日本人より上手だし(笑)。
先生は、私の母校の教授なんだけど、多分初対面。私勉強しなかったからなあ。
気さくで愉快な先生だったけど、糖尿気味だとか。そのせいか、飲み物はウーロン茶。私はビール、Tさんは赤ワインで、全然遠慮ナシだったけど、気の毒だったかな?
結局飛び入りして、先生に奢っていただいてしまいました。
すみません、ごちそうさまでした。

帰ってから、お礼状でも出そうかと思い付いたけど、考えてみたら私、Cさんの電話番号知らないかも(引っ越し前のは知ってるけど)。どうしましょ。
うーん、年賀状までにはなんとかしましょう。
先生、お世話になりました。お煙草は、ほどほどにね。

 

12月10日

国立博物館で「煌きのダイヤモンド」展を観る。
年代順に並んでいるので、最初の方はそんなでもなかった(古い物はカットも良くないので、あまり光らないのよ)けど、後半はピカピカのキラキラで、大満足。
17世紀の物とかって価値はあるんだろうけど、すごい大きな石が古いカットで、もったいない。バラして磨き直しちゃえ!…なんて思う私はバチ当たり!?だって光らなきゃ、ダイヤなんてただ透明なだけ。つまんない。
骨董趣味は無いので、せいぜいアール・ヌーボーあたりからが楽しい。
故ダイアナさんのブレスレットなんぞも展示されていて、私はそれを付けてるダイアナさんの写真を持っていたりして。

平日だというのに会場は混み合って、熱気ムンムン。
客層は圧倒的に女性、は当然として、なぜか母娘が目についた。
絵画の展覧会と違って、小物の展示は一度に見られる人の数が少なくなるので、ちょっと大変、でもカブリツキで細工が観たい。けっこう時間、かかりました。二時間くらい?

 

12月21日

父の三回忌の法要。
親戚のおじさん達も集まってくれて、お寺でお経をあげてもらい、八景島シーパラダイスを望むお墓にお参りする。
暖かく、ピカピカの晴天、風はさすがに冷たいけど、いい日で良かった。
お寺の先代が今年亡くなったので、新しい若い坊さんに代換わりしていた。
…和尚さんが換わったら、お塔婆の値段が1本千円安くなったそうで、なんだかなあ。
今度の人はマトモそうで良かった。

お参りの後、一同中華街に移動して食事、なかなか豪華で良かった。
去年の一周忌の時は、母が「親戚への招待状が書けない」だの「食事の場所を決めなくちゃ」だのといちいちグズグズ言って来たのに、今回はみんなサッサと一人で決めたらしい。
慣れと言うよりも、母は立ち直って来てるんだろうなあ、と思う。
まあ、前回で私が頼りにならないと判断したのかも知れないが。

お土産に圧力釜を、これも母が選んで、従姉妹のお姉さんに車を出してもらって買ってあった。
(娘が二人もいるのに…スンマセンねえ)
セレクトの理由は「私(母)が欲しかったから」。
一通り叔父さん達に渡したら、残り一つ。
それを(いつの間にそうなったのか?)姉が持って帰ると言う。
「一つ持ってるけど、これくらいの小さいのもあると便利だから」と言う。
母が私に「アンタも欲しい?」と聞くから「欲しい」と答えた。
私はずっと圧力釜を欲しがっていて、母と一緒に買いに行って売り切れだった事もあったのだけど、「欲しい」と言ったら「えー!?」という反応。
母は自分が欲しくて選んで買って、姉は欲しくて持って帰る気でいて、ここにまた私も欲しいと言い出した訳で、でもモノは一つしかないの。
姉は「じゃ、一つ持ってるからいい」と引いたけど、母は「同じ所帯に二つもあってもムダなのに」と意味不明の発言、明らかに気分を害している様子。
「同じ所帯」って、ワタシとアナタ?
だって週の半分仕事場なのに?
「アンタも欲しい?」って聞いたでしょ?
「いらない」って言わなきゃいけなかったの?
そんなこんなで、取りあえず念願の圧力釜ゲット。

姉の長男S君は中一になる。
この年頃、ちょっと目を離したスキに全然ベツモノになっちゃってる。
声も変って、背も追い抜かれてしまった。
小さい頃から水泳をやっていて、今も中学で水泳部なんだけど、50m25秒台だって!ひゃー。
そこらにころがっていたダンベル(ダンベル体操しようとして私が買ってくじけた物だ)を持って「筋肉無いから…」と腕を曲げたり伸ばしたりしている。
「筋肉無いんだ?」「うん」「筋肉無くて25秒なんてスゴイじゃん」「先輩達筋肉あるけど…(僕が速いと言いたいらしい)」「身体浮く?」「どうかな、そうでもない、普通かな?」「じゃ、どうしてそんな速く泳げるんだろう?」「んー、泳法技術、かな?」オソレイリマシタ。

 

12月26日

近所のM大学付属T病院で、検査の結果を聞いて来ました。
11月半ば位から、右脇の下の違和感に気付いて、触ってみると小さなシコリのような物があり、軽い痛みがある。よくあるリンパ線の炎症かな?と思ったけれど、寝ていて痛みが気になる晩があり、横になっていると胸(乳)の方まで響いてくる感じ。
生理前で胸の痛くなる時期だったけど、やはり左に比べて痛みが大きいような気がして、ちょっと気になったので、一応、と思い、12月の10日に病院に行ってみた。

受付で内科にまわされ、以上のような事をざっと話して、軽く右脇に触れたあと、若い医者は開口一番「検診やってます?」ゲッ。してないと答えると、「熱は?喉のイガイガは?息切れは?血痰は?」え?無いけど。するとボソリと、「リンパじゃないみたいなんだよなあ」。聴診器で胸の音を聞いてうなった後、胸とお腹のCTスキャンと胸のレントゲンを指示して、「悪いものが飛んでいるなら元を切らないといけないので」。
私は最悪、乳ガンくらいまでは想像したけど(母の親友がやったばかりだったし)肺がアヤシイと言う事か。
…でも正直、この若さ(こんな言葉が使えるのも、病気の話題の時くらいになっちまいましたが)で肺ガンで、転移が始まってたら、ダメでしょ。
しかも、胸とお腹の撮影日が別々で、次の外来(つまり結果を聞かされる日)は16日後になると言う。
で、この16日間を、イヤ〜な気持ちで過ごした訳ですわ。

まさかとは思ったけど、2年前亡くなった父は肺ガンだったし、まず思ったのは「母に何て言おう」、そしてなぜか「ケチケチしないで洗濯機を全自動に買い替えれば良かった」(笑)。
そして気が付くと、近頃咳払いが多いような。気になりだすと、なるほど痰も出る(血は混じってないが)。今まで無意識にしていたみたい。
なんだか深い息をすると、胸が痛い、ような。
まあ、受診の前の日も3km走って特にひどい息切れは感じなかったし、ヨガのクラスで呼吸法もやってるけど別に支障は無かったし、…でも、なあ。
そうなると泳いでいても、なんだかちょっと水を吸い込むと咳き込むような気がしてくる。
そんなこんなで前半一週間くらいはビビッてしまって、仕事も進まず(ネーム中!)運動も控え目になってしまった。動くとやっぱり痛いし、知らずに悪化させてしまうのも恐い。
後半は、父の三回忌の法要やら、クリスマスやらとバタバタして、あまりクヨクヨしなくなった(けどやっぱり仕事は進まず。)けど、時々医者の「リンパじゃないみたいなんだよなあ」が甦って、ザワザワッとしてしまう。あー。16日間が、長い!

そんなこんなで、結果を聞く26日がやっと来た。
まず「どうですか?」と聞かれたので、そう劇的な事にはならないな、と一安心、でも「変りないです」そう、まだ痛いの、脇の下。
胸のCTにもレントゲンにも、脇の下も、なにも写らなかったとの事で、ホッとしたのもつかの間。
「肝臓にちょっと、なにかありますね」。
そしてまた、「悪い物かどうか調べたいので」超音波検査をしろと言う。その結果が分かるのは1月23日だって!1ヶ月もかかるってワケ!?
総合病院って、みんなこんなペースなの!?
これで本当に何か悪い病気だったら、間に合うものでも手後れになっちゃうじゃん。
ゲンナリして診察室を出てから思い出せば、最初の日に血液検査をやって、「ついでに色々調べますか」と聞かれてお願いしてあったのに、その結果について何も触れていない。
看護婦さんを捕まえて聞いたら、「先生忘れてたそうです」また待たされて、もう一度診察室へ。
結果はきわめて良好、という事だったので、まあいいんだけど。(肝機能もね)

と、言う訳で、スッキリしない年明けになってしまいました。
そして結局、脇の下のグリグリについては何も分からずじまい。
「痛みが酷いなら痛み止めを出します」だって、原因も分からないのに。
…それにしても、ちっぽけなグリグリができるたび、こんな不安にさいなまれるのかしら。
取りあえず、検診はしよう、とは思ったけれど、ハッキリ言ってガンなんて、全身どこでもできる可能性はある訳で、しかも半年ごとでは間に合わない事も多くて…、気休めだよね。
ああ、年取るのって、イヤね。

今回の事で、なんか色々考えたんだけど、今「やりたい事」って、思い浮かばないのよ。
もしも時間が限られていたら…と思っても、「これはやリ残したくない」とか、「この人と過ごしたい」とか、無いの。
こんな人生は情けないわね。
取りあえず洗濯機を、全自動に買い替えようかと思います。

 

12月30日

年末年始は実家でマッタリ過ごし、4、5、6と2泊3日で母と共に日光へ旅行です。
良く調べずに決めちゃって、すごい寒そう。大丈夫かしら。

今年はイマイチ、スカッとしない1年だったけど、ま、年が明ければ気分も変わる、多分。
年賀状、できたらプリントゴッコで版画を作りたかったけど、やっぱりくじけてパソコン制作になっちまいました。でも諸事情あって、宛名は手書き(笑)。
今夜は実家で年賀状書きだ…。

そんな訳で、今年最後の書き込みです。
良いお年を、お迎えください!