熱帯夜
ワンルームのアパートに住む医大生、水上宏一はついにたまりかねて上体を起こした。 「ひやあ、暑くて眠れないよ」 この日、熱帯夜は連続5日目を記録していた。 宏一は起きると、電気店のエアコン売り場に駆け込んだ。いろいろな種類が置いてある。とにかく涼しければいい。もう、一日でも熱帯夜は過ごしたくなかった。取り付けは8月14日午後2時である。 翌日になった。まだまだ暑い。午後2時、まだ、取り付けに来ない。電気店に電話すると、「ただいま、閉店時間です。営業時間は朝9時から夜9時までです」と自動音声が流れていた。ぼんやりする頭をたたいた。目は真っ赤に充血している。受話器をたたきつけるように置くと、電気店に走った。店は閉まっていた。張り紙がしてある。夏期特別休業につき、13日から14日までお休みさせていただきます。 「きょうからあしたまで休みだってえ、ふざけやがって」 宏一は甲高い声を張り上げると、閉じてあるシャッターを思い切り足で蹴り飛ばした。ガシャンという大きな音を立て、蹴ったところが大きくへこんだ。 「やっべえ」 おまけに自分の足の指をどうにかしたようだ。激痛が走った。そのまましゃがみ込んだ。通行人が彼を見ている。宏一は足を引きずりながら家に帰った。玉のような汗がどっと噴き出していた。頭はくらくらする。目の前が真っ暗になってきた。うう、横になるが暑くて眠れない。寝不足は極限に達していた。体が重い。 エアコンの注文票を見た。取り付け日は14日。 「明日じゃないか、くそ」 日にちを勘違いしていた。そう思うと、さらに腹が立ってきた。伝票を丸めて、天井に放り投げた。 翌日、起きることができなくて、宏一は転がっていた。太陽が窓から容赦なく指す。閉めたくともカーテンがない。額に日が差した。じりじりと焦げるようだ。そのとき、チャイムが鳴った。 「ごめんください。エアコンの取り付けに伺いましたあ」 宏一は力なくにんまりした。動けなかった。寝ている宏一をよそに、係員は取り付けを始めた。 「完了しましたので、はんこをいただけますかあ? 」 宏一ははんこの入っている机の引き出しをやっとの思いで指した。 「あのお、大丈夫ですかあ? 」 心配そうな顔で、寝ている宏一の顔をのぞき込んだ。 「…スイッチ、…入れていってください…」 やっとの思いで口を動かした。 「はい、入れましたよ」 係員はリモコンを宏一の顔の脇に置いた。 「すぐに涼しくなると思いますから。では、失礼します」 宏一はかすむ目で机においてある目覚まし時計を見た。午後4時を過ぎていた。日差しが幾分和らいだようだった。 「今夜はやっと寝られるよ」 白い前歯を出して笑った宏一は、そのまま、気絶した。 隣の部屋のラジオから女性アナウンサーの声が聞こえてきた。 「連続8日間を記録した熱帯夜ですが、今日あたりから過ごしやすい夜になるでしょう。きょうはゆっくりおやすみください」 その夜、宏一は、寒くて風邪を引いた。
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