トンでる生活
第2章 夢よ目覚めよ
響子が目をゆっくり開けると、見知らぬ天井が見えた。ベッドで寝ていた。あああ、あたしってえ、どうしちゃったのお?
寝た覚えがないのに、ベッドで寝ているなんて、初めてのことだった。
「気がついたの響子、心配したよお」
天井を見るあたしに、低い声を発しながら、ゆらゆら揺れる幽霊が覗き込んでいる。ああ、ついに天上界に召されたのお? ここは何処、あんたは誰? ああ、奇天烈奇っ怪な豚といい、最近のあたしは、以前のあたしではなかった。どうして歯車が狂ってしまったの? まともな生活に戻りたいわ。
響子は近づいてくる幽霊から逃れるように、ベッドに潜り込んだ。また、眠ってすっかり忘れよう。この次、目覚めたときは、きっと豚も消えてるよ。そして、すっかり元通りになっているのよ、と思った。
響子は目を強くつむりながら、存在を信じない神に向かって、祈った。夢よ覚めよ。それにしてもさっきからずっと足下が重い。何かがのしかかっているようだ。
「ねえ、響子ったらさあ、布団かぶらないでよ。気がついたんでしょ? 」
今度は聞き覚えのある声だった。
「ねえ、布団めくっちゃうよお」
この素っ頓狂な声はまさに史上最低な女・由香里の声に違いなかった。なんで、こいつがいる? 夢から覚めたらまともな世界に戻っているはずなのに。さっきより頭がやっとしゃきしゃきしてきた。掛け布団をしっかりつかみ、鼻から上をそっと出してみた。
目の前の霞がすっかり晴れていた。医薬品が置いてある棚が見えてきた。その視界の中に突然、愛想を振りまき、手をひらひらさせるけったいな女が現れた。やっぱり由香里だった。いつもの調子でへらへら笑っていた。
「響子、良かったねえ」
「何が? 」
「だって気がついたんだもの。響子ったら、突然倒れてさ。あたし、心配したよお」
こいつは天然楽天女だ。心配している顔かそれが。
「それよかさ、あたし、なんでこんなところにいるのさ」
「前沢くんがあんたをおぶって運んで来てくれたのよ。でも、男性恐怖症の響子にいきなりキスは驚いたよね」
「あああ、あん畜生! 奴が原因だ」
「彼さ、アメリカにいたみたいでさ。それで習慣になっちゃってるんだって。謝ってくれって言ってたわ。アメリカ流って言ったって、あたしにはキスしてくんなかったよ。ひどいよね。そう思うでしょ? 」
「思わん」
「…… 」
由香里は絶句しながら、下唇を長い舌を使って舐めた。
それにしてもさっきから足下が重いのは何故だ。
響子は上体を起こして足元を見た。例の豚が布団の上に乗っていた。犬のように自分の前足を舐めて、のうのうと毛繕いをしている。
「ねえ、由香里、あたしの足下に何かいるの見える? 」
「えっ、何かいるの? 」
由香里は豚の鼻先に顔をやってきょろきょろしている。やはり、見えないみたいだ。それにしてもこの豚は何を食ってこれほどまでに太っているのだろう。4日前より確実に大きくなっている。何か食べている姿を見たことはない。やはりこいつは化け物に違いない、と改めて感心した響子であった。
第3章へつづく
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