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ボノにとってのジュビリー2000

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ジュビリー2000への参加

ボノがこの活動に関心を示すようになった理由は、バンド・エイド/ライブ・エイドの時にまで遡る。
当時このシングルの発売のおかげで、アフリカの飢餓の問題を多くのロック・ファンに知らせ、2億ドルもの売り上げを上げたにもかかわらず、その金額はアフリカが一月に払う債務額と同じであるという事実をボノは知ることになる。
そして、ボノは西側諸国との関係や経済的な問題に対しては、真っ向から向かい合うべきだと考え、ジュビリー2000の活動への参加を決心した。

ボノの活動の成果

ボノの活動が成果を上げているのは、明らかである。彼はローマ法王やクリントン米大統領と個別に会見をして、ジュビリー2000の支援を取り付けることに成功している。特にクリントン大統領は、演説の中で具体的にボノの名前を出すなど、彼からの影響を明言してもいるのである。
ボノは99年のケルン・サミットにおいてヒューマン・チェーンの輪に加わり、こういった馴染みの薄く、難しい問題に対して積極的にアイコン的な役割と果たそうとしている。
そしてボノは色々な場所を利用して、ジュビリー2000の広報活動に努めている。
99年2月にはロンドンで開催されたイギリスの音楽大賞では、「私たちは自国の政府が飢餓に苦しむ人々に貸したお金やその利子を払うように要求するのを今すぐやめさせる必要があります。よい話とは思いませんか。しかし、銀行は政治家が債務を取り消すように言わなければ取り消さず、政治家は我々が取り消すように言わなければ、銀行に取り消すようには言わないでしょう。これが私が今ここにいる理由です。私の意見に賛成の方、世界を変える絶好の機会です」とアピールし、9月には国連の本部で「経済的奴隷制度からの解放。それなくしては新世紀を祝う意味など失われてしまう。平和の条件は平等な出発点。不平等が対立や紛争を生み出し、紛争が難民を生むのだから」といった内容のスピーチを行っている。2000年に入り、早速1月にサミットの開催国である日本に対して朝日新聞の『論壇』に投稿(投稿文はこちら)している。
9月6日からニューヨークで行われた国連ミレニアム・サミットでは、ジュビリー2000の代表としてナイジェリアのオバサンジョ大統領と共に2120万以上の署名をアナン国連事務総長に提出した。
彼は、ライブ・エイド世代の一人として、このジュビリー2000の活動で一つの決着を付けようとしているのである。


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