相対性理論追加

 著者 高田敞


「超光速?本当か」(朝日新聞H23,9,24)

(「 」内は朝日新聞記事よりの引用)

  

 国際共同研究グループOPERAが、ニュートリノが光より速く飛ぶことを示す実験結果を発表したという記事である。

 これは相対性理論に反することになるということだ。

 

 その実験に疑問の声が載せてある。

 「村山斉・東大数物連携宇宙研究機構長(素粒子論)は、その根拠にノーベル賞受賞者の小柴昌俊さんら日米チームが1987年に見つけた超新星ニュートリノの例を挙げる。16万光年離れた天体の爆発で出た光と、ニュートリノがほぼ同時期に地球に届いたが、今回の速さならニュートリノのほうが数年早く飛来する理屈になるという。「見落とした実験誤差があるように思う。」・・・」

1 OPERAの実験と、小柴氏の観測は相反する結果になっている。これを検討する。

(1)考察

 このふたつの、実験と観測の結果は相反するから、どちらかが間違っているといえる。

ア 小柴氏の観測について

 この超新星のニュートリノと光はほぼ同時に地球についたということが小柴氏の観測結果である。16万光年の距離を、16万年かかって到着したのだから、村山氏の言うように、ちょっとした速度の違いでも、到着時には大きな時間のずれが出てくるはずである。これには非常に正確な特別の時計は要らない。何年もの差なのだから普通の時計で十分違いが計測できる。

 この1987年の超新星のニュートリノは光より少し早く着いた。これは超新星の爆発の理論から予測されていたことと一致していたという。超新星の始まりのとき、ニュートリノのほうが光より少し早く星から飛び出すから、地球にはニュートリノのほうが光より早く着くという理論である。

 観測はそのとおりであったと述べている。これが正しければニュートリノは光とほぼ同速でやってきたということである。たしかに16万年の間競争しても、相互の到達時間の差が、超新星を出たときと変わらなかったら、これはかなり正確に同速であるということがいえる。

 ただ、このニュートリノが、本当にこの超新星のものであるということは証明できているのだろうか、という疑問は残る。アメリカでも観測できたということだから、ほぼ間違いないといえそうではあるが、光とニュートリノは同速であるという固定観念から、それに合うニュートリノを拾い出したということはないだろうか、という疑問がかすかに残る。  

イ OPERAの実験

 730キロ離れた距離を、光の速度で飛ぶニュートリノと光の速度が、1億分の6秒違うということを検出した、という、非常に微妙な、計測の難しい実験である。

 この実験には、1億分の6秒を計る非常に正確な時計がいる。また、光速で1億分の6秒進む距離を正確に測らなければならない。また、宇宙空間を複雑に回転(自転、公転の動きはかなり大きい。そのほかに、銀河系を太陽と共にまわっている回転もある。そして、月による揺れや、地球の公転が楕円であることから来る速度の変化などもある)しながら秒速数百キロで進んでいる地球の動きも正確に測らなければならない。それらのことが正確にできたということで、この結果が出たということなのであろうが、それは技術的には非常に難しいことだ。

 (注:9月29日の朝日新聞には、時計も、距離も正確に測ったということが報道されている。時計はスイスの専門機関に依頼、ドイツの機関に検証してもらった。GPSは10億分の2秒程度の精度、距離はイタリアの専門機関に頼み、730キロを20センチ精度で測定ということである。これからみると、地球の動きについては、どこにも頼まなかったようだ。光速分の730キロという短い時間に動く地球の動きがこの実験にどれくらい影響するものかは分からない。また、ニュートリノが、普通の物質のように、慣性の法則に従うのか、音や、光のように、慣性の法則には関係なく、独自の速度になるのかも、分からないが、地球はかなりの速度で飛んでいるのだから、地球の動きが、1億分の6秒という時間に影響した可能性はある。もし、地球の動きを考慮していないとしたら、この実験は間違ている可能性があるといえそうである)

 

ウ 考察

 小柴氏の観測のほうが、より正確であるように思われるが、これだけではまだどちらともいいがたい。

 

2 相対性理論で考える

 相対性理論では、速度が速くなると、常識では考えられない3つの現象が起こるという。

 @ 速度が速くなると、空間が縮む。光速では無限大に縮む。

 A 速度が速くなると、時間の進み方が遅くなる。光速では止まる。

 B 速度が速くなると、質量が増える。光速では無限大に増える。

 これこそ相対性理論がそれまでの科学の常識を覆した特徴である。だからこそ、相対性理論はすばらしい理論なのである。

 ところが、上の考え方には、この相対性理論の効果がまったく考慮されていない。

 たとえば、村山氏は、小柴氏の見つけた光とニュートリノの所要時間を、距離÷速度=時間という式で求めている。小学校で習う算数の式である。これは小学校の算数ではよくても、相対性理論では、普通の速度ではこれでも近似値が求まるが光速に近くなるとこの式は完全に通用しない、ということになっている。それなのに、なぜニュートリノの速度を求めるのに、相対性理論を使わずに、光速では使えないはずの旧態然とした算数の式のほうを使っているのだろう。疑問である。いや疑問ではない、本当は、相対性理論は使えないのである。光の速度も算数の式で求まるし、実際に計るときも算数の式で求めてきたのである。決して、相対性理論の式で求めてきたわけではない。(注:最初にほぼ正確に光の速度を計ったのは、木星の衛星の食からである。このとき、光速を、地球と木星の距離の違い割る時間で求めている。算数の式である。相対性理論の式は微塵も出てこない。そして、光速を測るときはいまだに算数の式だけを使う)

 そこで相対論の効果があればどのようになるかを考えてみる。

 

 疑問1 相対性理論では、光速では空間が縮む

 相対性理論では、光速になると、空間が無限大に縮むということである。したがって、1987年の超新星から地球に向かうニュートリノも、光も、超新星から出たとたんに地球との間の距離が無限大に縮み、0mになっているはずである。したがって、0mの距離を光速で進むのだから、光も、ニュートリノも、超新星を出た瞬間、一瞬より短い時間で地球に到達しているはずである。距離が0mなのだから、光速で進もうが、光速より速く進もうが、カタツムリが這おうが、時間差が出ないことになる。したがって、この場合は超新星を早く出たニュートリノが光より早く着くので、小柴氏が観測したとおりの結果になる。

 しかし、村山氏は、「今回の速さならニュートリノのほうが数年早く飛来する」といっていることから、光も、ニュートリノも、16万光年の距離を16万年かかって到達した、という算数のほうで考えているようである。なぜか、相対論的効果は無視しているようである。

 相対性理論で否定している考え方(距離÷速さ=時間)で考えているのであるから、村山氏は間接的に相対性理論を否定しているという矛盾に陥る。

 ではこの研究グループの実験はどうだろう。相対性理論が正しいとすると、やはり実験の距離730キロは無限大に縮むから0mになる。すると、同時にジュネーブを出発した光と、ニュートリノが実際は730キロだが、相対論効果で0mに縮んだ距離を一瞬より短い時間で進み、グランサッソに到達しても到達時間差は出ないはずである。

 しかし、この実験は相対性理論を否定しているのだから、相対性理論は適用しなくて済むから空間は縮まない。すると730キロ進むときには、時間差は現れる。すると、この実験は正しいということになる。相対性理論は間違っているということの証明になる。メデタシメデタシである。だがそうは問屋が卸さない。空間は縮まないとして考えたのだから、超新星の光とニュートリノにも、16万光年の距離は縮まないことになる。すると、この実験のようにニュートリノのほうが、光より早いとすると1987年の超新星のニュートリノと光の到達時刻には数年の差がなくてはならなくなる。ところが、小柴氏の観測では時間差がなかったということから、先に書いたように、この実験の結果と小柴氏の観測とは相容れないことになる。

 

 このように相対性理論が正しくても間違っていても、どちらかが間違いになる。

 この場合、相対性理論が間違っていて、OPERAの実験が正確で、小柴氏の観測したニュートリノが、ほかのニュートリノであった場合に、この実験は正しいことになる。

 

疑問2 光速では時間が止まる

 やはり、相対性理論では、光速になると時間が止まることになっている。

これは空間が縮むことより難しい考え方がいる。

 相対性理論の時空の考え方では、時間が止まると、すべてが止まることになっている。(普通の場合も、時間が動かなければ物事も動かないと考えられているから、普通の考え方と相対性理論とはこの場合は同じである)この考え方で、光速で飛ぶニュートリノを考えてみる。

 ニュートリノは光速で飛んでいるから時間が止まる。すると、時間が進まないので、ニュートリノは停止してしまう。停止すると今度は時間は普通に進む。すると、ニュートリノは、また光速で飛びだす。ところが、光速になるとまた時間が止まる。するとニュートリノは止まる。止まると時間が動くから、またニュートリノは光速になる。という具合に、ニュートリノは、光速になったり止まったりを繰り返すことになる。

 ところが、一般的に相対性理論の場合には、否定しているはずなのに、時間が止まっても、光も、ニュートリノも平気で光速で飛んだりしている。つごうのいい話をしている。

(注: 相対性理論ではロケットが光速になると、外から見た人には、ロケットの中の時計が止まって見える、ということである。時計の針が止まるのだから、その時計のそばにいる人も止まって見えるはずである。すると、その人が立っているロケットの床も止まって見えることになる。すると、その床につながっているロケットの外壁も止まって見えることになる。これは、ロケット全体が止まって見えることになるということである。すると、こんな現象が起こっているということだ。ロケットが発射され速度を増すと、やがて、ロケットの中の時計の針の進み方がだんだんゆっくりになるのが見える。これは上に述べたように、ロケットの進み方もゆっくりに見えるということだ。すると、ロケットが速度を上げていくと、ロケとの速度はどんどんゆっくりになり、ロケットが、光速になると、ロケットは止まってしまう、というパラドックスに陥る)

 

 しかし、この両者の場合は、光もニュートリノも、光速で飛んでいる。この、光速では時間が止まるという理論をこれに適用すると、時間が止まっているのだから、0秒時間が進む間に、光は30万キロ進んだりしていることになる。光速をはるかに越えて、無限大の速度になっている。光も、ニュートリノも、宇宙の果てから果てまで、0秒で行けることになる。光速より速いものはないという相対論に矛盾する。

 OPERAの実験ではどうだろう。ニュートリノが光より早いとき葉時間は逆行するということだ、すると、マイナスの時間で、730キロを進んだことになる。距離÷時間=速度、で考えると、速度はマイナスになる。ニュートリノは打ち出されたとたんに、逆行する。イタリアには飛んでいかない。現実にはマイナスの時間など存在しない。だからこんな変なことになる。

 アインシュタインにも、相対性理論家にも時間とは何かが何一つわかっていないからこのようなことになる。何にも分かっていない時間を止めたり、進めたり、曲げたり、遅らせたりよくできるものだ、と私など素人は考えてしまう。理屈ではなんとでもいえるけれど、実際の時間を進めたり遅らせたりすることは人間には到底できないことである。ところが、相対性理論家のガモフは、その、著書の、不思議宇宙のトムキンスの中で、人間が自由に時間を進めたり遅らせたりできることを見せている。その方法が、時計のノブを指で回すことである。時計のノブを回すと、それを腕にはめた人の本当の時間も進むのである。相対性理論の時間とは、時計のノブを回すことと、速度で時間が遅れることとが同じことなのである。相対性理論とはそのレベルなのである。なんともハア、としか言いようがない。

 光は子どもでも曲げることができる。小学校の2年生が、授業で、鏡を使って光を曲げている。水の中に光を向ければ、光の速度は落ちる。時間を人工的に操作することが何一つできないのと違って、光は自由自在に人間が操作できる。この光が絶対動かせないもので、人間が何一つ手出しができない時間が自由自在に動かせるものだとするからこんなつじつまの合わないことが起こるのである。

 まあ、相対性理論とは、空想から生まれた架空の話だから、現実世界では矛盾だらけになるのは仕方がないが。

疑問3 速度が増すと、質量が増える

 相対性理論では、物質が光速を越えられない理由は、質量のある物質は速度が増すにつれその質量が増大し、光速になると、その質量は無限大になるから、物質は光速を越えることができない、と述べている。それに対して、光は質量がないから、真空中では光速になれるということだ。

 すると、光速のニュートリノの質量も無限大になっているはずである。無限大の質量を光速で動かすことはできないから、ニュートリノは光速にはなれないはずである。ところが、小柴氏の観測ではニュートリノは光速になっている。光速でなければ、16万年の間に、光に追い越されているはずなのだから、相対性理論ではありえない現象が実際には起こっていると考えるしかない。

 OPERAの実験のニュートリノが光速を越えたのなら、ニュートリノは無限大の質量を持ちそれから一気に負の質量になったことになる。無限大の質量の物質が光速で飛んでいるときの運動エネルギーはどこに消えたのだろう。

 

おまけ

 「アインシュタインの理論では、光速を越える物体は「負の質量」を持つことになり、その上では時計が未来から過去へと普通とは逆に進む。」

 これが本当だとする。すると、このニュートリノは、時間が逆に進んでいる。すると、このニュートリノは、スイスで発射された時刻の前に、イタリアに着いていることになる。イタリアに着いた時刻の一瞬後に、発射を1時間延期したらどうなるのだろう。すでに到着しているのに、1時間待ちになるなんて。こんな矛盾が起こるのだ。

 実際のOPERAの実験のニュートリノは、スイスを出発し、イタリアに着いたとき、現在の観測装置に観測されている。現在の観測装置に観測されるものは、つねにその装置と同じ時刻にあるといえるから、少なくとも、このニュートリノは過去へは時間旅行はしていないといえる。(注:観測装置はタイムマシーンではないから、つねに現在に存在している)

結論

 この実験は、「見落とした実験誤差があるように思う。・・・」と村山斉氏がいうように、おそらく、どこか正確さを欠くことからくる実験誤差だろう。とは思うが、小柴氏の観測とどちらが正しいかは確定できない。今後の検証が待たれることだ。ただ、ニュートリノが光より早くても、なんら問題はない。相対性理論が間違っていれば、時間と速度は無関係なのだから、ニュートリノがどんなに早くても時間をさかのぼることはないし、質量が負になることもないし、空間が縮むこともない。

 また、この実験が間違いであっても、相対性理論が正しいということでもない。上に示した多くの矛盾はこの実験が間違いであったとしてもすべて残るからである。