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湾仔 〜 香港の歴史を刻む土地の年輪を見られる街
2006.4.16湾仔を北から南へ |
湾仔は香港島北岸のほぼ中央に位置し、香港の歴史を刻む生きた標本のような街だ。 香港の歴史は1841年に英軍が香港島を占領することから大きく動き出す。名もなき華南の小島が21世紀になっても世界経済にとって重要な地位を占める歴史の始まりでもある。 香港島は小さく、海岸からすぐに山が立ち上がる地形のため、香港植民地成立後から不断の海岸埋立てが続いた。それは現在でもホンコンのDNAであるかのごとく続いている。 埋立ての続いた香港島北岸の中でもセントラルのすぐ東側の湾仔では、海岸の埋立てが北に向かってきれいに層をなして進行した。そのため、大通りは各時代の海岸線の形を留め、南北にあたかも年輪のように香港の歴史を刻んでいる。 だから、湾仔地区を南北に歩いてゆくと香港の変遷を立体モデルのように見ることができるのだ。 土地の年輪のような湾仔。21世紀初頭の現在、海岸に突き出ているコンベンションセンター・ニューウィングは、1997年の返還式典の会場。その根元は20世紀世紀末に発展した超高層ビル街。告士打道(Gloucester Rd.)の南は港町湾仔だった頃の妖しげな酒場街の風情も残る。地下鉄(MTR)も通る軒尼詩道(Hennessy Rd.)の南は地味な中層ビルの建ち並ぶ発展途上地区香港だった頃の雰囲気を留める。そして、電車道、莊士敦道(Johnston Rd.)の南は古い古い香港の華南風街並みが残り、しかし所々で再開発の波が大きなブロック毎にさらっている。 都市は輪廻転生するかのようだ。 |
--> 湾仔を東西に行く: 莊士敦道全区間記録 | |
この湾仔南北行は2006.4.16の記録です。 北端のプロムナードからカメラを片手にゆっくり南下して歩きました。 このページはその記録を少しづつ追加していきます。 |
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