香港巴士鐵路旅遊協會 HONG KONG PUBLIC TRANSPORT TOURISM ASSOCIATION
旅のエッセイへ戻るトップページへ  
旅遊香港の旅 旅のエッセイ
 
 馬湾 数十年の変化を一気に過ごす島 [2006.4.17/001]

 バスを乗り継いでやっと着いた深井の海岸には、確かに小さな桟橋があった。釣り人が数人糸を垂れている。広々とした穏やかな風景。桟橋の付根に小さなコンクリートの小屋。中に渡し船の時刻表が掛けてある。船はおおよそ30分毎に出るようだ。
 ここまでは手許の資料どおりだった。が、そこには11時半に船が出ると記されているのに、私の腕時計は11時31分を指している。中文で街渡と書く渡し船は小さくても10〜20人は乗れるものが普通なのだが、数隻のボートを除くと目の前には美しい海が広がっているだけで視界を遮るものなど何もない。気持ちの良い風を身体に受けて、桟橋を行き来してみるが、釣り人とボートだけという状況に変わりはない。
 実は、さっきから青いボート上のオバサンが私の動きを目で追っていることに気付いていた。この人だけが釣りをしていない。
「馬湾へ行く渡し船はないのかなぁ?」
「あったけどサァ、もう1年も前からなくなったよ」
 返事は明快にこの状況の通りだった。
 私の持っている資料は発行間もない今年の版なのだ。しかし、スコーンと天まで抜ける青空の下には視界一杯海が広がり、正面遠くに目的地の島、馬湾が見えるだけだ。これではオバサンの言葉を信じるしかないだろう。馬湾は島だが、青馬大橋と汲水橋という連続する長大な橋の橋脚が建っていて、近年馬湾に降りるインターチェンジができた。だから、バスでも行けるのだが、ここ深井からだとすごく遠回りをすることになる。それに、海を渡りたくてわざわざバスを乗り継いでここまで来たのだ。
 釣り人ではなくオバサンに尋ねたのには訳がある。さっきから私の動きを目で追っていたのは、私をカモ、いや客とマークしていたのではないかと踏んだのだ。しかし、この小さなボートで海を渡るのはなぁ、結構決意が要る。考える間もなく、馬湾へ渡る交渉を始めたのは私だったかオバサンだったか。双方同時だったのだろう。
「馬湾まで50ドル」
 オバサンは決然と言い放つ。
 これは高い。渡し船なら10ドルくらいのところだろう。しかし、完全に足元を見られている。周囲には他に船はなく、バスルートは海上より10倍くらいの距離があるのだ。オバサンは頑として値下げに応じず、私はOKするしかなかった。
 ボートの舳先が桟橋突端に接すると、あとは飛び乗るしかない。ボートは晴れ渡った海上をどんどん速度を上げていく。オバサンは片足で舵を押さえ、手でエンジンを操作している。手馴れた操船のオバサンに反して私はというと、細いパイプ屋根をしっかり握り、波の上下動に「ウェー」とか「ヒェー」と声を出しながら片手はカメラを持ってハラハラ。水しぶきがかかる。海面とほぼ同じ高さに腰掛けているのが実感できる。巨大なコンテナ船が前方を右から左に横切った余波でボートは大きく衝撃を受ける。馬湾に近づくと、たくさんの養殖イカダを左手に廻り込んで入り江の船着場へ。着岸前にオバサンは50ドルを受取ってから、はじめて島の反対側に帰りのバスがあると言う。しっかりしたものだ。
 降り立ったのは小さな桟橋の突端。ぐるりと周りを見回すと、ここは小さな入り江の漁港。岸辺には「棚屋」という海上に突き出た小さな漁民の家が並ぶ。お祭りなのか、色鮮やかな三角旗がたくさんはためく。何もかも小振りな平和な漁村風景なのだが、海側上方には巨大なコンクリート基部に支えられた長大な汲水橋が空を二つに切り分けている。この橋ができるまでは、馬湾は変化などと縁のないような漁民の島だったはずだ。
 桟橋近くの広場では天后様のお祭りに人々が集まり、時おり爆竹の音が聞こえる。村民が寄付をすると、小さなボンボリがもらえるようだ。欲しいな、という気もするが余所者が余計なことをするのもどうかと思い、お参りだけにする。天后廟に入ることは快くOKされた。薄暗い小さな廟内では艶やかな天后様が線香の煙に包まれている。番の人から何やら声をかけられるが、よく判らない。どうもおみくじを引いてみたらと言っているらしい。カタカタと振った筒から出てきた棒は、第玖拾壹。91番の札には「自然禍去福來臨」とある。良い旅になりそうだ。
 入り江に軒を並べる棚屋は、不思議なことに針金で封鎖されているところがポツポツある。告示のような掲示もある。こんなところまで再開発が及んできたのだろうか。こんな箱庭のように小さな入り江の漁村を壊してどうしようというのだろう。と、そこを初老の男性が通りかかった。
「ここって、再開発されるんですか?」
 返事は北京語交じり。またまたコトバの下手さに外人とみなされたのか。でも、このオジサンも正調広東語ではないなあ。
 筆談になった。
「重建(再開発)」「政府」「換屋(引越)」
やはり、再開発なのだ。
 漁村を離れ、丘を登る。島の北東側に行って、そこから現代香港に戻る新しいバスに乗るのだ。ハイキング道のような細い道が少しずつ登っていく。道の傍らには不思議な乗り物が打ち棄てられている。自転車と三輪車と軽トラックを足して3で割った感じだ。妙な乗り物の次は神様たち。50cm四方くらいに四角く囲ったコンクリートの小さな塚に、彩色陶器の小さな神像がぎっしり並んでいる。線香の跡もあるから、お参りする人もいるのだろう。時間が止まってしまっているような、静かな風景が目の前にある。丘の道は木々に覆われてうっそうとしているが、前方にトンネルの出口のように明るく抜けたところがある。そのトンネル出口で、一瞬息を呑んだ。急に広がった視界は、手前は剥き出しの赤土、遠景は建設現場と真新しい高層住宅ビル群。一棟で百何十世帯も入居するであろう細長いビルが林立し、自然の地形を覆い隠している。それに反して小さな漁港と、数人が住むだけで一杯になる棚屋、そして林の丘。今、背にしてきたそれらとは呆れるほど異質な光景が突然そこにあった。夢、ではない。前を歩いていた背の低いオバアチャンは、二つの世界を何気なく越えて歩き続けているではないか。ひとりで動揺していてもしかたがない。赤土の中を歩き、ピカピカの新興団地に進入する。
 軽いショックに呆然として舗道を歩いていると、私を呼ぶ声がする。我に返って、声の方を見るとさっきの小柄なオジサンがいる。歩道に張り出した食堂のテーブルにご一緒する。期せずして今日の昼食場所が決まった。
 再び筆談交じりである。
「今日は芝居を見に来たんだ」
「でも、あれは夕方でしょう?」
「九龍に住んでいるんだよ。一度家に帰ってまた来る」
天后様のお祭りだからか、仮設劇場ができている。
「君は記者かい。さっきからメモをとっている」
「イエイエ、ただの旅行者ですよ」
 他愛のない会話ではあるが、これで普通の香港の街へ戻る心の練習になったようだ。建設中とできたてのビルが並ぶ道を歩きながら、数十年分の変化を一度に過ごそうとする景色から抜け出して、元気で忙しいコンクリートジャングルの現代香港の方に吸い込まれていった。



            トップページ  旅遊 香港の旅のトップ  旅のエッセイのトップ リンク サイトマップ 

当協会ホームページの文章、データ、写真、地図、イラストなどすべての内容は当協会もしくは内容提供者の権利に帰属します。いかなる方法であっても無許可の転用、利用、引用を禁止します。 All parts of this website may NOT be reproduced in any form without written permission of HKPTA.
Copyright(C)Hong Kong Public Transport Tourism Association
香港巴士鐵路旅遊協會
All rights reserved. 版權所有