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お題:  春の輝き

サンシュユ [山茱萸]
別名 ハルコガネバナ(春黄金花)、アキサンゴ(秋珊瑚)
分類 ミズキ科 ミズキ属
原産地 中国、朝鮮半島
江戸時代中期(享保七年:1722年)に薬用として朝鮮から種子が持ち込まれ、東京の小石川植物園と駒場薬園に植えられました。
今では早春の黄色い花を観賞するために、家庭や公園に植えられている一般的な花木でもあります。
生薬名 山茱萸(サンシュユ) 日本薬局方
薬用部分 果肉
成分 苦味配糖体モロニシド、オレアノール酸、タンニンなど
適用 腎臓、肝臓機能の亢進、強精、強壮、冷え性、低血圧、胃下垂、不眠症、生理不順などに用いる。
漢方の八味地黄丸に処方されていて、糖尿病、腰痛、動脈硬化、前立腺肥大などに有効とされています。
この八味地黄丸は胃腸虚弱で下痢をし易い人とか、八味地黄丸を飲んで食欲が減退するときは、服用を中止するなどの注意が必要です。
山茱萸の果実酒は、老人や病後の滋養強壮や疲労回復、冷え性、低血圧、不眠症など良いです。
名前の由来 生薬の漢名の山茱萸を音読みして、サンシュユになり、また、“茱萸”はグミのことで、山に生えるグミの意味です。
また、中国の植物名は“野春桂”とも呼ぶそうです。
牧野富太郎博士はハルコガネバナ(春黄金花)という名を付けましたが、これは春早く葉が出る前に鮮やかな黄金色の花を咲かせることに因むそうです。
秋になれば光沢のある赤い実を付ける事から、アキサンゴ(秋珊瑚)とも呼ばれます。
ヨーロッパ原産のセイヨウサンシュユなどがあり、その実はジャムや果実酒の材料として利用されています。
関係
  ないけど
関係ある話
<稗搗節の“ニワノサンシュノキ”どんな庭木?>
山茱萸の花の写真を撮っているときに、「ニワノサンシュノキ...」のフレーズが頭を過ったのですが、本当にこの木かなと思い調べてみました。
結論から云うと、歌詞は「庭の山椒(さんしゅ)の木...」で“山椒(サンショウ:ミカン科サンショウ属)”でした。
では何故、歌詞にルビが“さんしゅ”と振ってあるのでしょうか?
これは、日向地方の方言で山椒(サンショウ)のことを、「サンショ」とか「サンシュ」と云うそうです。
また、“山茱萸(サンシュユ)”も声を出して読んでみると“サンシュ”と聞こえませんか、末尾の“ユ”が殆ど発音されないと思います。
歌詞の最初のフレーズは、あまりにも有名ですが、歌詞を詩として読んだ方は私も含め少ないと思います。
こういった事から、「庭の山茱萸(サンシュユ)の木...」と、思っている方が多いようです。
<稗搗(ひえつき)節物語>
稗搗節の故郷は宮崎県東臼杵郡椎葉村(熊本県との県境の九州の背骨とも云える、九州中央山地国定公園内)で、源平合戦に敗れた平家の落武者が住みついた所といわれている地域です。
ここには、平家の落人達を追って来た那須大八郎と平家の鶴富姫の悲恋伝説(椎葉山由来記)があり、これを基にしたものが、現在の稗搗(ひえつき)節で、
庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて
ヨーオー ホイ
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ
ヨーオー ホイ
駒に水くりょと 言うて出ましょヨ
おまや平家の 公達(きんだち)ながれ
ヨーオー ホイ
おどま追討(ついと)の 那須(なす)の末ヨ
那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨てて
ヨーオー ホイ
椎葉(しいば)立つときゃ 目に涙ヨ
泣いて待つより 野に出て見やれ
ヨーオー ホイ
野には野菊の 花盛りヨ
処が、この歌詞やメロディーは、昭和の初期に作詞:酒井繁一、編曲:奈須稔の両氏の手によるもので、昔からの元歌は、稗を臼の中に容れ杵で搗いて脱穀するときの作業歌として、椎葉村に伝わっていたもので
「臼の中には 名所がござる
 杵をそろえて
 搗く名所 ホイホイ...」
と、臼と杵とを女性と男性に見立てた、あっけらかんとしたものでした。
これが両氏によって、五木の子守唄や刈干切唄などと並び立つ九州を代表する民謡となったのです。
<鶴富・大八郎の悲恋物語>
壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人は、源氏の追っ手から逃れて山奥の椎葉で隠れ住んでいましたが、この隠れ里も源頼朝に知られ、那須与一宗高に追討命令が下りました。
しかし、この時病気だった与一の代わりに弟の大八郎宗久が椎葉へ向かい、大八郎は隠れ里の平家の落人達を発見したが、静かに暮らす姿を見て討伐をせず、頼朝には討伐したと嘘の報告をしました。
その後、大八郎は鎌倉へ戻らずに椎葉の地に屋敷を構えて留まり、平家の守護神である厳島神社を建てたり、彼らに農耕を教えたりしました。
やがて大八郎は平清盛の末裔の鶴富姫と恋に落ちました。
歌詞にあるように、鶴富姫の屋敷の山椒の木に鈴をかけて、その音を合図にして二人は逢瀬を重ねました。
しかし、そのことを知った頼朝は大八郎に鎌倉への帰還命令を出しましたが、鶴富姫は既に身籠っていました。
仇敵の平家の姫を連れて行くことは出来ず、大八郎は鶴富姫に名刀「天国丸」を与え、「生まれた子が男なら我が故郷下野の国へ、女ならこ椎葉の地で育てるように」と言い残して鎌倉へ向かいました。
生まれたのは女の子でした。
鶴富姫は椎葉の里で娘を育て、やがて婿を迎えて、那須下野守と愛する人の名を婿に名乗らせました。

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