第八回目の会

 開催日時:2007年4月21日(土)12:00〜15:00 

 場 所:赤坂「グリル・デ・メルカド」

 参加人数:25名

 テーマ:新スペイン-カタルーニャ、カスティーリャ・レオン(Cataluna, Castilla Leon)

 内容 ワイン:■ルエダ・白「プラド・レイ・ブリボン・ベルデホ2005年」
       
■ペネデス・白「フィンカ・ヴィラデジョプス2004年」
       
■トロ・赤「ベタス・トロ2004年」
       
■プリオラート・赤「カルトイシャ・デ・スカラ・ディ・グラン・レゼルバ1993年」

   食 事:・クロダイとシマエビのサラダ ・アサリのスープ
       ・ピンチョス盛り合わせ ・牛肉のトリュフソース
       ・和風あんかけオムライス ・クリームソーダ

 Via Vino第8回を開催しました。今回はスペインワインの2回目ということで、最近にわかに注目を集めている、新スペインをテーマとしました。
 今回は25名の方々に参加いただきました。昨年本会をはじめた当初は10名程度の小規模な会でしたが、皆様のおかげでお店を満席にできるほどまでになりました(会で配布するテキストの制作は大仕事になりましたが)。
 それではスペインに特別な思い入れのある宇都宮氏の解説をご一読ください。
第8回目のワインについて
目  次
はじめに カスティーリャ・レオンと
カタルーニャのワインについて
白ワインのテイスティング
カタルーニャの歴史 赤ワインのテイスティング 芸術とワインについて
[BACK]
はじめに

 今回は再びスペインです。前回の「カバ」「リオハ」「シェリー」という三大ワインだけで十分という話もありますが、あえて再度取り上げました。
 実は近年スペインの料理/ワインは、イタリア以上に目覚ましい進歩を見せています。カタルーニャに突如登場したユニークなレストラン「エル・ブジ」や、次々と新ブランドのワインを立ち上げるテルモ・ロドリゲスなど、新しいスタイルのスペインからは目が離せません。

 加えて、ゴヤやグレコに始まり、ガウディ、ダリ、ミロなど、私にはたまらないアートが、スペインには溢れていることもあります。印象派も良いし、ルネッサンスの巨匠も素晴らしい……でも飽きずに眺めているのは、何故かスペインの絵画が一番多い気がします。子供でも夢中になるような、個性的でのびのびとした筆遣いや色使いのせいでしょうか。実際スペインに行ってみると、ダリ美術館もガウディのグエル公園も子供がはしゃぎ回っています。ルーブルやウフィッツィ美術館ではそうはいきません。というわけで、今回は新しいスペインワインを、私の好きなスペイン芸術と結びつけてご紹介することにしました。
 スペインでは注目すべき新しいワインが続々と登場していますが、イタリアのスーパー・トスカーナとは異なり、フランス系国際品種の導入よりも、テンプラニーリョやガルナッチャ、モナストレルなどの在来品種の再評価が主流となっているところがポイントです。長期的な樽熟成が義務付けられたリオハに対抗する形で、より現代的な嗜好のワインが模索されているのですが、 使用する品種は伝統的なスペイン固有のものであるというところにこだわりを感じます。
 中でも国際的に注目されるカスティーリャ・レオンのリベラ・デル・デュエロや、カタルーニャのプリオラートが特に有名で、「スーパースパニッシュ」と呼ばれかなり高価なものとなっています。リベラ・デル・デュエロには、スペイン随一の高級ワインとされるベガ・シシリア社の「ウニコ」がありますが、1980年代にはアレハンドロ・フェルナンデスの「ペスケーラ」が登場し、その成功によってボデガ(ワイナリー)の数は大幅に増えました。一方、バルセロナ郊外のプリオラートでは、ルネ・バルビエらの「四人組」と呼ばれるメンバーによる凝縮感のあるワインが高い評価を得ており、リオハに続いてスペイン第2のD.O.の認定を受けています。
 新スペインワインという点では、ガリシアのリアス・バイシャスやバスク、マジョルカ島など他にも紹介したいワインが色々あるのですが、今回はこのカスティーリャ・レオンとカタルーニャの2つの地域に絞ってみました。
 会場は赤坂の「旬香亭グリル・デ・メルカド」です。ここはかの「エル・ブジ」で修業したシェフによる料理も有名で、ディナー・メニューには本家スペインを彷彿とさせる独創的でかつ素材を生かした創作料理が次々に登場します。
[ページ TOP]
今回楽しんだワインを並べてみました
「グリル・デ・メルカド」のエントランス
カスティーリャ・レオンとカタルーニャのワインについて

 スペイン発祥の地カスティーリャ・レオンでは、中世の頃から赤と白をブレンドした薄い赤紫色のクラレッテと呼ばれるワインを造っていましたが、現在ではリベラ・デル・ドゥエロを筆頭に、ルエダやトロなど五つのDO産地で古株のリオハに対抗する話題性の高いワインが作られています。
 中でも、ルエダは昔から一貫して白ワインの産地として知られていました。DO認可は白ワインのみに与えられ、主としてベルデホという品種が使用されています。1980年代以降、発酵温度をコントロールするステンレスタンクの導入などにより、その品質は飛躍的に向上しました。

 カタルーニャはカタルーニャ語(カタラン語)というスペイン語(カスティーリャ語)とは異なる公用語と、独自の憲法を持つ独立心の強い州で、スペイン第2の都市である州都バルセロナには、ガウディのサグラダ・ファミリアをはじめとするモデルニスモ建築が数多く見られます。
 バルセロナの南西にあるペネデスは温暖な地中海性気候に属しており、スパークリングワインであるカバの主要生産地でもありますが、その原料であるチャレッロ、マカベオ、パレリャーダからは、樽熟可能で複雑な風味の白ワインも造られています。
[ページ TOP]
白ワインのテイスティング

 まず白ワインのテイスティングです。カスティーリャ・レオン州ルエダの白「プラド・レイ・ブリボン・ベルデホ2005年」と、カタルーニャ州ペネデスの白「フィンカ・ヴィラデジョプス2004年」です。
 「王の場所」を意味する名のレアル・シティオ社は、特に赤ワインの「クリアンサ」で数々の賞を獲得しています。ベルデホ100%から造られる「プラド・レイ・ブリボン」は、ステンレス・タンスで発酵・熟成が行われ、品種本来の味わいを大切にしたワインとなっています。輝きのある黄色をしていて、ほのかに柑橘と洋梨の香りがありました。特徴的なアーモンドのニュアンスがあり、爽やかでバランスの良い酸を持っています。非常にすっきりした、素直な印象のワインでした。

 「フィンカ・ヴィラデジョプス」の「ヴィラデジョプス」はVila(定住地) de Liop(狼)=「狼の住む場所」を意味し、ペネデスの地で12世紀から続いているデスヴァル家によって造られています。地中海より15kmほど内陸に入った、標高300mのぶどう園で、チャレロとチャレロ・ロサード、ヴィオニエなどから造られる白ワインです。2006年のペネデスのワインコンクールにおいては、ヴィラデジョプスのブランコが「ベスト・チャレロワイン」受賞、クリアンサが「金賞」受賞とダブル受賞の栄冠に輝き、早くも注目のワイナリーとなっています。前述の「ブリボン」と比べると、若干ですが樽発酵のシャルドネを思わせるやや甘い香りが感じられました。色は青みがかった薄いゴールドで、柑橘系の香りにナッツ香やヴァニラの香りが重なり、キレのある心地よい余韻の辛口ワインです。
 用意していただいた料理は、オリーブオイルと塩とレモンだけで味付けしたクロダイとシマエビのサラダ、濃厚なアサリのスープ、スペイン名物のピンチョス盛り合わせなど。パンはスペイン・リオハのボデガ(ワイナリー)で造られた、しっかりと酸度表示されたオリーブオイルとともにいただきました。このオリーブオイルはとても美味で、その場でお店から購入された参加者の方もいました。
[ページ TOP]
「プラド・レイ・ブリボン・ベルデホ2005年」 「フィンカ・ヴィラデジョプス2004年」
クロダイとシマエビのサラダ アサリのスープ ピンチョス盛り合わせ 話題のオリーブオイル
カタルーニャの歴史

 988年 ブレイ2世、カタルーニャ建国
1137年 カタルーニャ・アラゴン連合王国成立
1218年 カタルーニャ議会成立
1479年 カスティーリャ・アラゴン同君連合、カタルーニャはスペインの一部となる
1640年 カタルーニャ反乱「収穫人戦争」
1701年 スペイン継承戦争、カタルーニャはハプスブルク家を支持
1714年 バルセロナ陥落、カタルーニャの敗北
1872年 コドルニュー社設立〜カバの生産開始

1882年 ガウディのサグラダ・ファミリア建設着工
1888年 バルセロナ万国博覧会
1914年 カタルーニャ自治連合結成
1936年 スペイン内戦勃発 ダリ「内乱の予感」
1937年 ドイツ義勇軍によるゲルニカ爆撃 ピカソ「ゲルニカ」
1938年 オーウェル「カタロニア讃歌」
1939年 フランコ、バルセロナ・マドリード占領、第二次大戦勃発
1975年 フランコ死去、ファン・カルロス1世即位
1978年 新憲法制定、カタルーニャ語公用語となる
1992年 バルセロナオリンピック
 ガウディ、ミロ、ダリ……スペインの東海岸沿いにあるカタルーニャは、個性的な芸術家を世に送り出し、その中心地バルセロナは、スペイン中央のマドリードやトレドといった歴史的に重みのある都市とは異なる、地中海的できらびやかな明るさを持っています。しかし一方でこの地は、スペインとは異なる言語と歴史を抱えた、極めて独立心の強い自治州でもあります。かのガウディは、国王アルフォンソ13世がサグラダ・ファミリアの建築現場を訪れた時でさえ、スペイン語(カスティーリャ語)を知っているにも関わらず、一貫してカタルーニャ語しか口にしなかったと言われます。また、ジョアン・ミロは、スペイン語風に呼ぶと「J」は「ホ」と発音するので「ホアン・ミロ」となりますが、彼は決してそう呼ばないでくれと言い残しました。カタルーニャではあくまで「ジョアン・ミロ」なのです。民族も宗教も超えた世界的な芸術を残した彼らが、故郷の言葉にここまでこだわるのは不思議な気がしますが、報われない歴史を背負った地に生まれたからこそ、人間の内面を深く掘り下げるような作風を身に付けることができたのかも知れません。
 地中海に面したカタルーニャは、12世紀にアラゴン王国と連合国家を作り、15世紀にはナポリ、アテネにまで広がる一大地中海帝国に発展しました。世界史の教科書には「1469年カスティーリャ王国の王女とアラゴン王国の王子との結婚、1479年にイスパニア王国が誕生」とありますが、そこにカタルーニャという言葉は出てきません。これはカタルーニャが王を抱かず、形式上はフランク王朝のもとでの伯爵領という形をとる、いわばヴェネツィアのような貿易都市国家だったからで、本来は後継者を失ったアラゴン王国がカタルーニャに併合される形でカタルーニャ・アラゴン連合国を作っていたことを見落としてはいけません。トレドやマドリードの事大主義的騎士道世界とは異なる、沿岸諸国との交易によって培われたマルチ・ナショナル的な感性が、かなり早い時期から育まれたと言えるでしょう。
 しかし地中海帝国としての栄光の後、ペストの大流行を皮切りに、カタルーニャは次々と不幸に見舞われます。早々と植民地を立ち上げ独立を果たしたポルトガルとは対照的に、カタルーニャはオスマン・トルコに地中海の覇権を奪われ弱体化、新大陸発見の際の航海術で多大な貢献をしたにも関わらず何ら得るものはありませんでした。それどころか三十年戦争の勃発によりハプスブルク家とブルボン朝との争いのとばっちりを受けることになります。ハプスブルク家からは戦費調達のために重税を課せられ、「収穫人戦争」によってフランスに援軍を要請し反旗を翻すも、逆にフランスに裏切られピレネー以北の領土を奪われてしまいます。スペイン継承戦争では、フランスなど信用できないと、今度はハプスブルク側につくのですが、かたやルイ14世のもと最盛期を迎えたブルボン朝、かたや近親婚を繰り返し衰退へ向かうスペイン・ハプスブルク家、結局神聖ローマ皇帝の急死に伴ってカタルーニャは孤立、バルセロナはフランスにより徹底的に破壊され、自治権を奪われてしまいます。20世紀に入り、スペイン内戦が勃発すると、カタルーニャは失われた自治権を求めてファシズムに対抗しました。その頃義勇軍に参加したジョージ・オーウェルによって書かれたのが「カタロニア讃歌」ですが、結果としてファシズムが勝利を収め、カタルーニャはフランコ政権に徹底的に弾圧され、カタルーニャ語まで禁止されてしまいました。ダリの「内乱の予感」や、ピカソの有名な「ゲルニカ」も、この混乱の時期に生み出されました。
 自治権を失ったカタルーニャは奮起して、経済活動に専念することになります。地中海において大きな市場を築き上げたカタルーニャは、ワインについても長い歴史を持っていますが、近代のワイン産業の発展は、19世紀半ばバルセロナで勃興した産業革命によるものです。近代化の遅れたスペインで唯一カタルーニャだけが産業革命を経験しました。この時期、ペネデスの事業家はフランス政府と技術援助契約を結んでカバの製造に乗り出し、名門ミゲル・トーレスも事業基盤を固めました。  
 今ではハイウエイがデンマークのコペンハーゲンからヨーロッパ諸都市を経由してバルセロナにまで伸びており、毎年膨大な観光客がまずバルセロナを楽しんでからスペイン各地へ流れ込む仕組みが出来上がっています。古さと新しさ、ローカルとコスモポリタンが交じり合ったカタルーニャは、ガウディやダリに象徴されるように、純粋主義と商業主義が矛盾なく共存する場所であり、それがワインや料理にも現れているように思われます。しかし、その純粋主義も商業主義も、カタルーニャの栄光と挫折の歴史を背景に培われたものなのです。
[ページ TOP]
ダリ「内乱の予感」 ピカソ「ゲルニカ」 ミロ「AIDEZ L'ESPAGNE」 ガウディ
「サグラダ・ファミリア」
赤ワインのテイスティング

 続いて赤ワインのテイスティングです。カスティーリャ・レオン、トロの赤「ベタス・トロ2004年」と、カタルーニャ、プリオラートの赤「カルトイシャ・デ・スカラ・ディ・グラン・レゼルバ1993年」です。
 コロンブスは、新大陸への航海に、トロの濃厚な赤ワインを樽詰めして積んで行ったと言われています。大陸性気候で、国内で最も乾燥しているなだらかな丘陵地からは、テンプラニーリョと同種とされるティンタ・デ・トロから、アルコールとタンニンの強い赤ワインが造られます。ちなみにトロは闘牛用の雄牛を意味し、この町の闘牛場はスペイン最古のものとされています。

 ラテン語で「禁じられたもの」を意味する“ベタス”はリオハの新星ボデガス 「イザディ」をプロデュースするアントン家の、トロの地におけるニュープロジェクトです。寒暖の差が激しい南向き斜面の平均樹齢40年以上のティンタ・デ・トロをすべて手摘みで収穫しています。ファーストリリースが2003年の新しいワインですが、アメリカをはじめ世界中でブレイクし、愛飲家の中で大変評判となりました。色調は濃い赤紫で、チョコレートを思わせるような甘い香りが特徴的です。ブルーベリーやチェリー、スパイス系の香りも含まれます。フルボディで濃厚な味わいで、しっかりしたタンニンがありながら、どこか甘い後味が残ります。
 プリオラートは、栽培総面積1,800haの小規模な産地ながら、起伏の激しい荒々しい台地で、年代を重ねたガルナッチャ種から色の濃い重厚な赤ワインを造っています。モンセラ山脈の奇怪な岩山は、修道士達の瞑想に最適な場所であ り、修道院での葡萄栽培が古くから行われていましたが、この景観がガウディにインスピレーションを与えたことは有名です。
 「カルトイシャ・スカラ・ディ」は、1163年にシトー派修道院によって創設された、プリオラートで最初にワイン造りを始めたボデガです。フィロキセラの影響で数年生産を止めていましたが、1973年より本格的に生産を開始し、現在に至っています。プリオラート北部の好適地に90ヘクタールの土地を所有していて、年間30万本ものワインを生産しています。ワイン名にもなっているCartoixaとはかつてこの地でワイン造りを行っていたカルトゥジオ修道院から付けられました。その最古の修道院のスカラ・ディのブドウ園は現在も継承され、特に1980年代後半以降、ヨーロッパでもてはやされるようになりました。ちなみに「スカラ・ディ」のScalaは「階段」、Deiは「神」。つまり神の階段(天国への階段)を意味します。
 今回用意して頂いたワインは1993年物で、ボトルはブルゴーニュ型でしたが、2000年にペネデスに本拠地のあるカバの大手コドーニュグループの傘下に入ったため、以前のボトルは廃止され、現在はボルドー型ボトルとなっています。フランス産の新樽を100%使用して12ヶ月熟成後、その1年後に瓶詰めしマロラクティック発酵を実施しているそうです。15年近い熟成を経たため、見た目はレンガ味を帯びた濃いルビー色で、カシスなどベリー系の果実の香りに、若干のムスク香が重なって非常に複雑なものとなっています。味わいにも凝縮した果実味や落ち着いたタンニン分が感じられ、余韻が素晴らしく長く続く赤ワインでした。
 メインは牛肉のトリュフソース。非常に濃厚だけど決してしつこくはないソースは、若々しく濃厚なベタス・トロと、熟成感のあるスカラ・ディのどちらにも合っていたように思います。しめくくりは和風のオムライスと、カクテルグラスに注がれたメロン味のクリームソーダでした。
[ページ TOP]
「ベタス・トロ2004年」 「カルトイシャ・デ・スカラ・ディ・グラン・レゼルバ1993年」
ピンチョスと赤ワイン 牛肉のトリュフソース 和風あんかけオムライス クリームソーダ
芸術とワインについて

 およそワインは日常生活から思想、芸術など万般につながる主題なのだ……イギリスのジェラルド・アシャーは、その著書「世界一優雅なワイン選び」でそう語っています。これまでフランス、イタリア、スペインとワインの主要産地を楽しんできましたが、それを一度締めくくる意味で、少々強引ではありますが、私なりにヨーロッパの芸術史とワインとを結びつけてお話してみようかと思います。

 フランスのワインの特徴を一言で言うならば、それは何よりもまず「格付け」ではないでしょうか。全てのワインは厳しく分類され、上位の格付けになると使用品種からアルコール度数まで細かく規定されます。ボルドーのメドックは一級から五級まできっちりと分類され、AOCでは産地ごとに品種やアルコールまで規制されています。この厳しさがフランスワインの品質を維持し、その評価を揺るぎないものにしてきたのも事実ですが、その背景には、強力な中央集権国家への帰属意識と、明確な基準を作り世界へ広めていこうという意志があるように思われます。テロワール、AOC,ミクロクリマ、高貴品種……ワインの他ならぬ物差しとでも言えるものは、今に至るまでフランスが発信源となっています。
 一方、芸術の分野においては、ルイ14世の頃からフランス王立アカデミーというものがありました。もとは宮殿だったルーブル美術館には、我々に馴染みのある印象派の作品よりも、アカデミーのもとで発展してきた骨太の大作が多く飾られています。ナポレオンの時代を生き抜いたダヴィッド、その弟子のアングルなどが有名ですが、彼らは王立アカデミーの中心人物でもありました。その影響はかなり大きなもので、それ故にこそ、全ての芸術家がパリを目指したのです。このアカデミズムに反旗を翻したのが、いわゆる印象派の活動ですが、これも単に権威に背を向けたというようなものではなく、光を色に分解するという、絵画の世界により新しい理論、新しい基準を持ち込もうという試みでした。
 我々はフランスというと、どうしても市民革命によって自由・平等になった国というイメージを抱きがちですが、そうなるとその後に続くナポレオン独裁や王制復古の流れが不自然に見えてしまいます。むしろ、フランス革命は過激なまでに古い格付けを廃して新しい基準を作った活動と考えた方が納得できます。例えばこの時期(1791年)に、地球の北極点から赤道までの経線の距離の1000万分の1を元に長さの単位「メートル」が決定されました。この新しい単位は、ゆっくりと時間をかけておよそ百年後ヨーロッパ共通のものとなったのです。(ちなみに同じ時期に暦もより合理主義的なものに変えられましたが、これは長続きしませんでした。)いずれにせよ、新たな物差しを作り上げ、それを世界へ発信するというのがフランスのありかたであり、それ故にこそフランスワインもフランス料理も世界へ広まったのだと言えます。
 一方、イタリアでは格付けがそれほど効力を発揮しないことは、第5回、第6回で述べた通りです。規則に従っていたら良いワインなんかできない、と言い切る生産者までいます。そんなイタリアのワインのキー・ワードは「家族」であり、「人と人とのつながり」ではないだろうか、という話を南イタリアの回で話しました。イタリアのワイナリーで暖かい歓待を受けた印象が強く残っているからではあるのですが、国家の統一が大きく遅れたこの地では、国との結びつきよりも家族との結びつき、人と人との結びつきが重視されたのは確かです。実際、ルネッサンス期のイタリア社会はメディチ家、ボルジア家、パッツィ家といった名門が動かしていました。ボッティチェリもダ・ヴィンチも、これらの貴族達との家族ぐるみの交流の中から傑作を生みだしたのです。
 ロレンツォ・デ・メディチは、ボッティチェリを絵が巧いだけではなく話も上手だと褒め称えました。そこにはアカデミズムの強要もそれに対する反発もありません。ルネッサンスの前と後では、描かれる人物の表情が全く違います。感情豊かな表情が描かれるようになったその背景には、芸術家達のきわめて人間的な交友関係があったのです。現在のイタリアワインに目を向けると、アンティノリ家、フレスコバルディ家といった名家が、地域を越えた幅広い活動を行っていることに、今さらのように納得させられます。スーパー・トスカーナはロケッティ侯爵家が自分のために作り、それを親戚筋のアンリティノリ家が発展させました。その動機は極めて個人的なものでしたが、それ故に規制や格付けからは決してもたらされないどこか自由で、のびのびした製品が登場することになりました。
 それならば、スペインのワインは何がポイントとなるのでしょう。これはなかなか難しい問題です。いまだにまとまりを欠く連邦国家であるスペインでは、「格付け」の持つ意味合いは低いような気がします。長く外国の王家の支配を受け、現在もバルセロナがマドリードの中央政府から距離を置いていることを考えると、格付けやその他の規制でスペインワインをまとめられるとは思えません。では「家族」はキー・ワードになるでしょうか。スペインでは家族を大切にしないなどと言ったら怒られるでしょうが、たとえば、画家のパブロ・ピカソ、(正式にはパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソという)「ピカソ」は母方の名字です。父親の名字を名乗るならパブロ・ルイスとなるのですが、「ピカソ」の方がどう見てもカッコイイじゃない? というわけでピカソの名の方が世の中にはより広まっています。
 ガウディと同時代を生きた建築家のドメネク・イ・モンタネールは、ドメネクが父方の姓、モンタネールが母方の姓なので、片方だけでは都合が悪いようです。スペインでは名前の後に父親の名字と母親の名字を続けるので、こういうことになるのですが、父方・母方どちらの姓も名乗ることのできるこの国では、「メディチ家」「アンティノリ家」に見られるような「家」に対する帰属意識は、あまり強いとは言えそうもありません。実際、ピカソもダリも父親とは折り合いが悪く袂を分かつことになります。
 スペインのベラスケスやゴヤ、ガウディやピカソ、ダリの作品について想うとき、まずその強烈な「個性」に魅かれます。彼らは国家にも、そして家族にすら拠り所を求めていません。拠り所は自分だけ、ただ一人で頑張っていたのです。ひたすら内面を掘り下げることにエネルギーを注いでいたからこそ、誰にも真似できない、過激なまでに個性的な作品を残すことができたのでしょう。それはサグラダ・ファミリアに寝泊まりしていたガウディの創作活動にも、そして半年間をレシピの研究に費やす「エル・ブジ」の料理にも共通するものではないでしょうか。もちろん、ガウディは一人でサグラダ・ファミリアを建てた訳ではないし、エル・ブジでもフェラン一人が料理をしている訳ではありません。しかし沢山の協力者がいるにも関わらず、そこには一つの揺るぎない個性が発現しているのです。そして、彼らは決して新奇さだけが売り物の根無し草ではなく、それまでの伝統にしっかりと根を降ろしています。ピカソはベラスケス等の先人達の模写に晩年までこだわり、ダリはフェルメールに対して自らの芸術を超える物として最大級の賛辞を与えています。
 その「個性」へのこだわりは、イタリア、フランスというヨーロッパの強国を意識せざるを得ないスペインにとっては当然の選択なのかも知れません。例えばエル・ブジの料理は、エスプーマで泡立てたりアルギン酸を使って固めたりすることによって、新しい食感を追及していますが、材料の乏しい国ならいざ知らず、カタルーニャにはおいしい食材が一杯あるのに、何故化学実験のように奇抜な試みを続ける必要があるのかと不思議に思う人も多いかも知れません。しかし彼らはおそらく、食材ではフランスやイタリアに負けているとは思っていないのです。スペインに行った時、いかに自分たちのオリーブオイルが優れているか、熱心に聞かされました。彼らに言わせると、「イタリアのオリーブオイルなんて、あれはマフィアが広めているんだ」ということになります。フランス、イタリアと地続きにあり、かつ流通やマーケティングではそれらに遅れを取っている彼らにしてみれば、対抗するためにはそれに見合うだけの存在感を主張しなくてはならないのです。より個性的であろうという試みは、スペインにおいては常に真剣勝負です。
 伝統を踏まえながらも地域性を超越した個性を主張していく、それがスペインワインのこれからの姿ではないかと思います。今話題を集めている、テルモ・ロドリゲスのワイン。これはロドリゲス本人がラ・マンチャやルエダなど各地に足を運び、ここぞと思う土地を一部買い取って、自分なりのオリジナルのワインを造りだすというものです。この手法は、単なるフライングワインメーカーとは異なります。これはテロワール至上主義であるがゆえに土地に縛られるフランスや、故郷を離れることのない家族主義のイタリアでは、ある意味ありえないやり方なのです。自在に各地を動き回り、その地の個性を重視しつつ、仕上がったワインは全てロドリゲスのパーソナリティとして現れてくる……それはガウディが、グエル家やサン・ホセ協会など依頼者が変わってもその建築物に統一した独特のスタイルを失わなかったことや、ピカソがキュビズムから新古典主義へと変遷を遂げてもそこに歴然とした個性が続いていることと、非常に通じるものがあるように思われるのです。
〈参考文献〉
 鈴木孝寿「スペインワインの愉しみ」新評論社
 森枝雄司・市川秋子「バルセロナ・カタルーニャ美術散歩」JTBキャンブックス
 田澤耕「物語カタルーニャの歴史」中公新書
 M・ジンマーマン「カタルーニャの歴史と文化」白水社
 ジョージ・オーウェル「カタロニア讃歌」岩波文庫
 別冊専門料理「スペインが止まらない」柴田書店
[ページ TOP]  [BACK]