第六回目の会


 開催日時:2007年1月20日(土)12:00〜15:00 

 場 所:代官山「ミキータ」

 参加人数:18名

 テーマ:南イタリア-シチリアとカンパーニャ(Sicilia & Campania)

 内容 ワイン:□シチリア・白「ドンナフガータ ヴィーニャ・ディ・ガブリ2005年」
        □カンパーニャ・白「サン・グレゴリオ グレコ・ディ・トゥーフォ2005年」
        □シチリア・赤「ドンナフガータ ミレ・エ・ウナ・ノッテ2003年」
        □カンパーニャ・赤「ファットリア・ラ・リヴォルタ アリアニコ・デル・タブルノ2003年」

    食 事:前菜4品 [真鯛のカルパッチョ、水ダコのマリネ(菜の花と粒マスタード)
                鶏肉のボイル(ゴルゴンゾーラソース)、ワタリガニの冷スープ]、
          
小エビの冷製パスタ(アラビアータ)、 野菜のパスタ(トマトソース)
        鹿児島産黒豚肉肩ロースのグリル
(キャベツの蒸し焼きソース)
          
デザート(ケーキとムース3種)

 Via Vino第六回を開催しました。今回は、最近になってにわかに注目を集めている南イタリアのワインをテーマとしました。
 今回はこれまでで最も多い18名の方々に参加いただき、会場が「南イタリアのワインにこだわりのある」代官山のお洒落なお店だったこともあって、楽しい会になりました。
 それでは今回も宇都宮氏に解説をしていただいたので、ぜひご一読ください。

第6回目のワインについて
目  次
はじめに シチリアとカンパーニャのワイン 白ワインのテイスティング
南イタリアの歴史について 赤ワインのテイスティング イタリアワインと食の相性
イタリアワインとフランスワイン
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はじめに

 今回は南イタリアを取り上げます。フランスだけではなく、ヨーロッパのそれぞれの国において、北と南との間に対立が見られます。イングランドとスコットランド、アイルランドはいまだに一つの国とは言えませんし、ドイツでも北のプロシアと南のバイエルンでは全く異なる歴史を辿りました。ベルギーも北のオランダ語圏と南のフランス語圏に分かれています。歴史的・文化的な背景が反発を生む一方で、資源を確保するために相手の土地が必要となり、常に分裂と統合を繰り返してきたのです。それはイタリアにおいても例外ではなく、むしろ古代ローマからの複雑なヨーロッパの歴史が、この地においてより凝縮した形で現れていると言っても良いでしょう。
 例えばここに、「GUNSLINGERGIRL」(相田裕作・メディアワークス)というコミックがあります。一見、子供が銃を振り回すだけのマニアックな作品に見えますが、舞台は近未来のイタリアで、北と南の分裂を図るテロリストと福祉公社の名を借りた政府の暗殺機関の対立が、ウフィッツィ美術館やシチリアの海岸を舞台に描かれています。風光明媚な歴史ある景色の明るさと、絶えず分裂の危機にさらされている暗さのコントラストは、イタリアというお国柄を非常に良く現わしているように思われます。

 さて、今回ご紹介するワインの産地は、シチリアとカンパーニャです。シチリアは、イタリア半島のつま先にある島で、ギリシャやアラブ、ビザンチンの遺跡が数多くあり、「ニュー・シネマ・パラダイス」や「グラン・ブルー」など数々の名画がここを舞台にしていますが、実はワインの産地としても有名で、今でもヴェネトに次ぎ生産量第二の州となっています。また、カンパーニャも観光地として有名で、ポンペイの遺跡やカプリ島の青の洞窟等で知られています。特に州都ナポリは、その素晴らしさから「ナポリを見て死ね」と言われるほどです。もっともこの言葉は、昔、貧しい南イタリアから新大陸へ移民した人々に対して、もう一度故郷のナポリを見てから死ねと言った言葉であって、必ずしもナポリが美しいからと言う理由ではない、という話もあります。実際のところ、北イタリアのミラノやヴェネツィアに比べて治安が悪いのも事実のようです。ローマ帝国の時代、ワインの銘醸地として知られていた南イタリアは、中世から近世にかけてナポリ王国の支配により繁栄を極めましたが、ナポレオンの侵略とそれに続くイタリア王国統一によって、その富は北へ略奪され、貧困にあえぐ結果となりました。
 最高の土壌と豊かな陽光は、質が高く長持ちするブドウを生み出しましたが、北イタリアはそれらをブレンド用に買い取り、自らの銘醸ワインを強めるために使いました。トスカーナのキャンティ、ヴェネトのアマローネ……こういった北イタリアや中部イタリアを代表する銘柄は、実は皆アリアニコなどの南イタリア品種をブレンドすることで成り立っていたのです。前回のピエモンテ、トスカーナの回で少し触れましたが、キャンティでサンジョベーゼ以外のブドウの使用が法律で許されていたのはそのためです。
 カンパーニャ州のDOCG赤ワインである「タウラジ」をはじめとする南イタリアの素晴らしいワインが評価されるようになったのは、1990年代以降のことです。その背景には、アメリカでのイタリアン・ブームとEU統合による市場の自由化がありますが、それだけにまだ課題は多く、カンパーニャだけで百以上の品種があると言われる南イタリアのワインの本当の魅力が発揮されるのは、むしろこれからと言えるでしょう。
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今回お世話になったミキータの今宮さん
シチリアとカンパーニャのワイン

 テレビ「世界遺産」でも何度か取り上げられたかと思いますが、プーリア州のアルベロベッロ集落や、バジリカータ州のマテーラ洞窟住居など、南イタリアには凝灰石を利用した白い石の建物が多く見られます。ローマのコロッセウムも、ヴェスヴィオ火山の豊富な火山灰に南イタリアの石灰を混ぜたローマン・コンクリートを使って造られました。石灰質土壌はヨーロッパにおいて多くの銘醸ワインを造りだします。ワイン用のブドウはもともと石灰質を多く含むコーカサス地方の山麓が原産地と言われており、そのため石灰質土壌を多く含むギリシャやフランスの地にワイン文化が花開くこととなったのです。また、長く乾燥した夏と独特の火山灰土壌は、アラブからもたらされた柑橘類、アメリカから入ってきたトマト等を豊かに実らせ、北イタリアとは対照的な独自の食文化が育まれました。

 シチリアのシンボルとして知られている「トリスケレス」は、メドゥーサの首から3本の脚が伸びている不思議な形をしていますが、これはシチリアの3つの季節、春・夏・冬を表わしていると言われます。秋がない分夏が長く、あらゆる果物が良く実り、それを反映してワインも非常に果実味の豊かなものとなります。アラブ人によって「マルス・アラー(アラーの神の港)」と呼ばれたことに由来する、マデイラと似た酒精強化ワインのマルサラが有名ですが、最近では島全域で栽培されるネロ・ダヴォラから造られる、繊細さと濃厚さを合わせ持った赤ワインが注目されています。
 カンパーニャ州は、古代ローマにおける最高のワイン産地で、内陸部の豊かな石灰質土壌から、ボディ豊かでミネラル感のあるワインが造られて来ました。中でも白ワインのグレコ・ディ・トゥーフォと、赤ワインのアリアニコが有名です。「グレコ」はギリシャ、「トゥーフォ」は凝灰石のことで、名前が示す通り古代ギリシャの都市テッサリアから南イタリアに伝えられたとされ、その名はポンペイ遺跡のフレスコ画に描かれた詩の中にも登場します。アリアニコも、ギリシャを意味するエレニコが語源とされ、やはりギリシャ植民地からイタリアに上陸したと言われています。その繊細さと余韻の長さは、ピエモンテのネビオロ、トスカーナのサンジョベーゼに次ぐものとして近年高く評価されるようになって来ました。
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白ワインのテイスティング

 まず白ワインのテイスティングです。シチリアの白ワイン「ドンナフガータ ヴィーニャ・ディ・ガブリ2005年」と、カンパーニャの白ワイン「サン・グレゴリオ グレコ・ディ・トゥーフォ2005年」です。
 シチリアで最も多く栽培されている白ワイン品種はカタラットですが、最高品質とされているのはインツォリア、別名アンソニカと呼ばれている品種です。ドンナフガータ社は、シチリアの地における銘醸ワイン生産の150年近い伝統を背景に、1983年にジャコモ・ラロとその妻ガブリエラによって立ち上げられました。マルサラの歴史ある醸造所を中心に広い畑を所有しています。「ヴィニャ・ディ・ガブリ」の名は、シチリアで古くから栽培されてきたアンソニカに注目しそのワインを育て上げたガブリエラの名前に由来しています。ラベルの女性はガブリエラを描いたものなのだとか。ステンレスタンクでの発酵の際には、あまりマロラクティック発酵を行わず、シュール・リーによって熟成されます。色は輝きのある淡い黄色で、香りはエレガント。リンゴやアカシヤの香りもあり、南の地域のワインだけあって、酸が強く心地よい余韻がありました。

 カンパーニャ州の白ワインの代表格がグレコ・ディ・トゥーフォです。2003年から「D.O.C.G.」に昇格した辛口白ワインで、紀元前1世紀にすでにヴェスヴィオ山の斜面に栽培されていたという「グレコ種」から造られます。1986年創立の比較的新しいワイナリー「フェウディ・ディ・サン・グレゴリオ」(聖グレゴリオの領地)は、旧アッピア街道沿い一帯にブドウ栽培を奨励した6世紀末の教皇グレゴリオ1世に敬意を表して名付けられました。カンパーニャ州内陸部に広がる丘陵地帯で、サン・グレゴリオは、土壌と土着品種に徹底的にこだわり、ミラノ大学やナポリ農業大学と共同研究を行ない、最新のテクノロジーや農学研究を駆使して、素晴らしいワインを生み出しています。ブドウは手摘みで収穫され、一部マロラクティック発酵が行われます。輝きのある黄色をしていて、熟した果実とバニラ、ミントなどのハーブ系の繊細な香りがあります。フレッシュな酸との調和が良く取れたワインでした。
 こちらのお店「ミキータ」ならではの、四角く細長いお皿に盛られた4品の前菜は、それぞれ左から真鯛のカルパッチョ、菜の花と粒マスタード付きの水ダコのマリネ、ゴルゴンゾーラソースのかかった鶏肉のボイル、ワタリガニの冷たいスープです。そして、「グレコ・ディ・トゥーフォ」にぜひ合わせて欲しいということでつくっていただいたのが、小エビの冷製パスタ・アラビアータ。トマトをベースにした冷たくスパイシーなパスタでした。
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サン・グレゴリオ
グレコ・ディ・トゥーフォ
2005年
ドンナフガータ 
ヴィーニャ・ディ・ガブリ
2005年
南イタリアの歴史について

B.C.8世紀頃 シチリアにてワイン栽培始まる
B.C.734年 シチリア最大の古代ギリシャ植民都市シラクサの建設
B.C.6世紀頃 古代ギリシャによるナポリ(ネアポリス)の建設
B.C.413年 シラクサ、アテナイ軍を撃退
B.C.310年 第三次シチリア戦争、カルタゴのシチリア支配
B.C.256年 第一次ポエニ戦争、ローマのシチリア支配
   79年 ヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイ市滅亡

  440年 ヴァンダル人ゼイセリックのシチリア占領
  552年 東ローマ帝国のシチリア支配
  660年 東ローマ帝国によるナポリ公国の建設
  827年 アラブ人によるシチリア支配
 1060年 ノルマン人によるシチリア侵略
 1130年 ノルマン・シチリア王国の成立
 1140年 ノルマン人によるナポリ公国征服、ナポリ・シチリア王国成立
 1194年 神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン家のシチリア支配
 1224年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によるナポリ大学設立
 1266年 アンジュー伯シャルル1世によるナポリ・シチリア王国支配
 1282年 シチリアの晩鐘事件、アラゴン王ペドロ3世のシチリア支配
 1443年 アラゴン王アルフォンソ5世、アンジュー家ナポリ王国を征服、
       両シチリア王アルフォンソ1世として即位
 1494年 フランス・ヴァロア朝シャルル8世、ナポリを武力占領
 1503年 スペイン・ハプスブルク家ナポリを征服、フランス軍を追放
 1647年 ナポリにおけるマザニエッロの乱
 1707年 オーストリア・ハプスブルク家によるナポリの支配
 1734年 スペインのドン・カルロス、ナポリ王カルロス7世として即位、   
       シチリア併合〜スペイン・ブルボン家のナポリ・シチリア支配
 1806年 ナポレオン戦争下、ナポリ王フェルディナンド追放される
 1816年 フェルディナンド復帰、王国名は正式に両シチリア王国となる
 1820年 シチリアでのブルボン朝に対抗する革命運動 
 1860年 ガリバルディの遠征によるイタリア王国統一、シチリア併合
 1946年 シチリア、イタリアの自治州となる
 南イタリアの歴史を、シチリアとナポリを中心にまとめてみました。細かい説明は省きますが、こうしてざっと眺めてみると、あらためてこの地が、イタリア北部とは切り離され、ヨーロッパの強国に振り回され続けてきたことが良く分かります。古代の地中海世界において、「マグナ・グラエキア(大ギリシャ)」と呼ばれた南イタリアは、ギリシャ、カルタゴ、ローマ、アラブ、ノルマン人、神聖ローマ帝国、フランス、スペインに次々と征服されてきました。周囲を海で囲まれた風光明媚な豊饒の地は、その豊かさゆえに常に搾取の対象となってきたのです。北のミラノやヴェネツィア、トスカーナなどの都市国家が、フランスやドイツの侵攻を受けながらも何とか独立を保っていたのに対し、南のカンパーニャやシチリアは常に帝国の支配を受け、その結果北の都市国家からも経済や流通の主導権を握られてしまう有様でした。しかし、これだけ支配者が次々と変わり、同じ国の植民地であり続けることがなかったということは、いざとなれば簡単に反旗を翻す、一筋縄ではいかない相手であるということでもあります。例えば、1282年の「シチリアの晩鐘事件」は、フランスのアンジュー家の重税に耐えられなくなったシチリアの民衆が、一夜にしてフランス人の兵士達を皆殺しにしてしまった事件のことです。
 シチリア人は決して自分たちのことをイタリア人とは言わないのだそうです。あくまでシチリア人であることを強調し、外国人を前にしてもそれは変わらないそうです。ギリシャ植民都市として栄えたシチリアは、その後カルタゴ、古代ローマ帝国、東ローマ帝国、アラブ人、ノルマン人に次々に支配されました。カトリック、ギリシャ正教、イスラム教の三つの宗教の交叉するこの地では、内部にアテナ神殿の柱が残された教会や、モスクに転用された後再び修道院に改修された建物を見ることができます。様々な文化を受け入れ、吸収してきたが故に、強い独自性を身に付けることになったのかも知れません。
 カンパーニャの州都ナポリの名は、古代ギリシャによって建てられた植民都市ネアポリスに由来します。その時代からワイン生産地として知られていたカンパーニャには、ファレルヌム等古代ローマ時代のグラン・ヴァンの産地がありました。この頃の世界第一のワインはボルドーでもブルゴーニュでもなく、カンパーニャだったのです。当時のファレルヌムは白ワインの産地だったので、現在造られているワインとは必ずしも同じではありませんが、フランス以上の長い歴史を持つワイン産地であることは間違いありません。
 歴史的にはシチリアと共に他国の支配を受けることの多かったナポリですが、18世紀にはスペイン・ブルボン家の元ナポリ王国として一つにまとまることができたのです。当時、ナポリはロンドン、パリ、イスタンブールに続くヨーロッパ第4の都市とまで言われましたが、王国を自立させるだけの産業は育たず、フィレンツェやジェノヴァ等の他の都市国家に経済を牛耳られ、全体として消費都市に甘んじ続けました。このことが次の時代における貧困と混乱を招くことになります。ブドウは豊かに実っても、それが産業として成立しなかったため、ごく最近まで残糖が多く酢に近いロゼワインを自家消費用に造っている有様でした。
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細長い角皿に盛られた4品の前菜


小エビの冷製パスタ・アラビアータ
赤ワインのテイスティング

 続いて、いよいよ赤ワインのテイスティングです。カンパーニャの赤ワイン「ファットリア・ラ・リヴォルタ アリアニコ・デル・タブルノ2003年」と、シチリアの赤ワイン「ドンナフガータ ミレ・エ・ウナ・ノッテ2003年」です。

 カンパーニャの赤ワインでは「タウラジ」が最も有名ですが、これはアリアニコという品種で造られます。皮が厚く、カベルネ・ソーヴィニヨンに似た濃厚でかつ繊細な香りを持った赤ワインになります。今回はそのアリアニコを100%使用したワインを用意して頂きました。「ファットリア・ラ・リヴォルタ」の「リヴォルタ」は「レヴォリューション(革命)」を意味します。中世においてこの地で農民が農地改革を訴え、大地主と闘い勝利した歴史にちなんで名付けられました。1268年、この地でシャルル・ダンジューの大軍が来襲し二万人が犠牲になり、1821年にはオースリトア領ロンバルド・ヴェネトの進軍を農民が撃退するなど、常に外国勢力に対し抵抗し続けて来ました。今は外来品種の侵攻に対抗して土着品種だけでワインを造っています。ブドウ栽培の歴史は100年以上ですが、ワイナリーはパオロ・コトロネーオ氏が祖父の畑を引き継いで1997年に創業したものです。畑はなだらかな日当たりの良い丘の上に位置し、石灰質と粘土質で構成される最も葡萄栽培に適した土壌となっています。「アリアニコ・デル・タブルノ」は、樹齢30年のアリアニコ100%を発酵させ、フランス産及びスロヴェニア産のオーク樽で18ヶ月間熟成させています。濃い赤紫色をしていて、ラズベリー、ブラックベリーなどの果実香と、程良い樽のニュアンスがあり、ボディも豊かで今後の熟成も期待できるタイプの赤ワインです。
 シチリアで最も栽培されている赤ワイン用品種は、ネレッロ・マスカレーゼですが、最高品質とされているのがネロ・ダヴォラです。主に島の西部で栽培され、別名カラブレーゼとも呼ばれ、半島のつま先のカラブリアから来た品種とされています。「ミレ・エ・ウナ・ノッテ」は、9月に摘み取られたネロ・ダヴォラ種のブドウ90%に他品種10%を加え、ステンレスタンクで約12日間発酵させ、フランス製のバリック(小樽)で24ヶ月、ボトルに充填されてから更に最低12ケ月熟成させています。ラベルにデザインされた宮殿は、サンタ・マルゲリータ・ベリーチェに現存するものです。ドンナフガータという呼称は、ペリーチェの中心部の田園に広がる、かつてのサリーナ王の所有地の名称であり、映画「山猫」の重要な舞台ともなったサンタ・マルゲリータ宮殿を指すものです。スペイン・ブルボン家ナポリ王フェルディナンド4世の妻、ハプスブルグ家のマリア・カロリーネ王妃は、ムラ将軍率いるナポレオン軍の到来を恐れて、ナポリ宮殿からこの宮殿に逃避しました。この歴史的エピソードがドンナフガータのボトルを飾る、髪を風になびかせた女性のインスピレーションとなったのだそうです。ドンナフガータとは逃げた女性という意味です。「ミレ・エ・ウナ・ノッテ」は「1001の夜」、すなわち「千夜一夜物語」にあやかって名付けられ、ラベルには星が散りばめられています。色調は非常に濃いルビー・レッドで、完熟したフルーツ、スミレの花や、タバコ、様々なスパイスの香りを持っていました。非常に複雑でかつ濃厚な味わいがあり、あらためてネロ・ダヴォラのパワフルさに驚いた次第です。アリアニコも非常に力強い赤ワインですが、この「ミレ・エ・ウナ・ノッテ」はそれ以上に味の広がりを感じさせました。
 料理は野菜たっぷりのトマトソース・パスタと、鹿児島産黒豚肉肩ロースのグリル・キャベツの蒸し焼きソース。果実味あふれる赤ワインと、素材を生かしたパスタと肉料理の組み合わせは、シンプルながら非常に納得できるものでした。特に豚ロースのグリルは、ややスパイス風味を効かせており、これはネロ・ダヴォラの持つスパイシーさと合わせて欲しいということでつくっていただいたものです。
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テッラ・ディ・リヴォルタ
アリアニコ・デル・タブルノ
2003年
ドンナフガータ
ミレ・エ・ウナ・ノッテ
2003年
イタリアワインと食の相性

 さて、一見してヨーロッパの食事はどれも肉とパン、ワインといった同じパターンを基本にしているように思われがちですが、「南」のラテン民族と、「北」のゲルマン民族の食文化には根本的な違いがあると言われます。南の地中海世界は農耕文化を基礎としており、穀物やパン、ワインとオリーブを主軸とする菜食主義の食文化が根底にあります。それに対し、北は森林の中で暮らしたゲルマン・ケルト人の狩猟・採集生活が基盤にあり、肉が第一の食料で、ミルクとバター、ラードを使用する肉食主義の文化です。これはそのまま、イタリアの北と南の食文化の違いとなって現れているように思われます。イタリア料理はどれもトマトで味付けされ、スパゲッティやピザのような、素材を生かした取っ付きやすい料理ばかりと思われがちですが、日本人にもなじみの深いそれらは実はナポリを中心とした南イタリアの料理で、中部トスカーナは牛肉と豆が特産、ピエモンテなど北部はバターを使った肉料理と山の幸がメインとなります。そもそもバターはミラノ近郊の街ローディが発祥の地とされているのです。

 さて、ローマ皇帝ネロの時代にペトロニウスの記した「サテュリコン」の舞台は南イタリアですが、そこにはローマ貴族の豪勢な料理が細かく描かれています。当時の年代記作者は、「ナポリでは料理するが、他のヨーロッパでは煮て焼くだけだ」と記しているほどです。つまり食文化も古代ローマの昔では南イタリアが最先端を走っていたわけです。その後ナポリを支配していたスペインにより、アメリカ大陸からトマトやジャガイモが導入され、ナポリ料理は一気に頂点へと押し上げられることになりました。
 今回、特にイタリアワインと食の相性について、ソムリエ教本に載っている一覧表から抜粋してみました。
料理/食材 調理法等 相性のよいワイン 料理/食材 調理法等 相性のよいワイン
生ハム
Prosciutto
パルマ産生ハム
・メロン添え
ランブルスコ・ディ・ソルバーラ
アルバーナ・ディ・ロマーニャ
(エミリア・ロマーニャ)
海老
Aragosta
フリット ロエロ・アルネイス
(ピエモンテ)
リゾット
Risotto
サフラン入り オルトレッポ・パヴェーゼ
(ロンバルディア)
牛肉
Manzo, Bue
オックステール煮込み バローロ、バルバレスコ
(ピエモンテ)
スパゲッティ
Spaghetti
トマトソース カステル・デル・モンテ・ロゼ
(プーリア)
ロース肉のグリル ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ
(トスカーナ)
タリオリーニ
Tagliolini
クリームソース フラスカーティ(ラツィオ) 豚肉
Maiale
ロースト キャンティ
(トスカーナ)
トマトソース サンジョヴェーゼ・ロマーニャ
(エミリア・ロマーニャ)
鶏肉
Pollo
グリル、ロースト ロエロ・ロッソ
(ピエモンテ)
ラヴィオリ
Ravioli
バターソース アルト・アディジェ・シャルドネ
(トレンティーノ・アルト・アディジェ)
白トリュフ
Tarutufo
   バローロ、バルバレスコ
(ピエモンテ)
カラスミ
Bottarga
オリーブ・オイル ヴェルナッチャ・ディ・オリスターノ
(サルディーニャ)
ゴルゴンゾーラ
Gorgonzola
青カビチーズ レチョット・ディ・ソアヴェ
(ヴェネト)
アサリ
Vongole
白ワイン蒸し グレコ・ディ・トゥーフォ
(カンパーニャ)
パルミジャーノ
Parmigiano
ハードタイプチーズ アルバーナ・ディ・ロマーニャ
(エミリア・ロマーニャ)
舌平目
Sogliola
クリームソース ソアヴェ
(ヴェネト)
タレッジョ
Taleggio
ウオッシュタイプチーズ バルベーラ、ピノ・ネーロ
(ピエモンテ)
 フランスを別にすると、このような一覧表が載っているのはイタリアワインの項目だけです。魚には白、肉には赤、というのは傾向としてありますが、基本的にはパルマ産の生ハムにエミリア・ロマーニャのワインを、サルディーニャの名産カラスミにはサルディーニャのワインをというように、その地の食材・料理とその地のワインを組み合わせています。これはワインと食相性を問われた時の基本となるものですが、逆に言えば、イタリアでは他の土地以上に、ワインと土地との結びつきが強かったと言えます。
 よく「ワインは旅をさせるな」と言われますが、これはフランスワインの中でも王室御用達のブルゴーニュに当てはまるもので、例えばボルドーワインにしても、ポートやシャンパーニュにしても、海を越えたイギリスへの輸出を前提に造られたものでした。その意味では、フランスワインはそもそも旅をさせることが当然だったのです。むしろ、土地と密接に結びついているという点では、旅をさせないワインというのはイタリアワインにこそ当てはまるような気がします。
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イタリアワインとフランスワイン

 シチリアを舞台にした有名な映画に、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」があります。映画好きの少年トトは、映画技師のアルフレードから「もう帰ってくるな」と言われたにも関わらず、映画監督として故郷に帰ってきます。そう言えば、同じくシチリアを舞台にした、リュック・ベッソン監督の「グラン・ブルー」でも、舞台はギリシャ、ペルー、アメリカ、フランスと転々としながらも、登場人物達は皆シチリアの海へと帰ってくるのです。自分たちのふるさとではないのにも関わらず、観客は皆、シチリアに帰ってくる登場人物達に素直に共感できてしまうのです。

 その外向的な気質とは裏腹に、イタリア人は異文化に対して閉鎖的だと言われます。例えば、お隣りのフランスでは、フランス語を喋る人間はフランス人として認めるという傾向があるそうです。もちろん、英語が通じないわけではないのですが、黒人であろうがトルコ人であろうが、フランス語を駆使できる者はフランス国籍を持つ資格があると考えられているということであり、それはとりもなおさず、統一国家という意識がより強いということでもあります。一方、英語が通じるという点はイタリアでも同じことですが、彼らは国よりも家族に対する帰属意識が強いと言われます。従って慣れなければ疎外感を感じることも多いようで、花園りえ著「イタリアおいしい物語」(東京書籍)にも、「せっかく和食を作って招いても、イタリア料理以外は信用しないんだと、箸もつけてくれない知人も多い」と書かれています。逆に言えば、一度家族になってしまえば、必ずしも言葉は障害にならないわけです。むしろそれぞれの土地の言葉がしっかりと残っているので、他の国以上にジェスチャーが大切な伝達手段となっています。
 フランス人はフランスワインが日本食といかに合うかを積極的に説明し、場合によってはフレンチに日本酒を合わせることも厭いません。以前アルザスのワイナリーを訪れた時、そこのオーナーの女性は、自分たちの白ワインがいかに日本の刺身と合うかを熱心に解説してくれました。あるフレンチレストランが日本で出店する際、シェフが日本酒をメニューに組み込もうとしたにも関わらず、それを断ったのはイメージに合わないと判断した日本側の代理店だったという話もあるほどです。しかしシチリアのピッツァの店では、「サケより美味い」と自信たっぷりにシチリアの白ワインを勧められました。そういえば、その時出されたのがこのドンナフガータ社の造っているワインでした。
 イタリアのワイナリーはとても暖かく家庭的です。実際に行ってみると良く分かります。フランス、ブルゴーニュのルロワ社を訪ねた時は、酒類販売・製造会社の人間でないと見学は許可できないと言われ、ツアーであったにも関わらず中に入れてもらえたのは私を含め3名だけ。その間いかに徹底して品質管理を行っているか延々と説明を受け、こちらは必死になってメモを取らなければならず、お忙しいマダム・ルロワとは会えずじまいでした。一方、イタリアにあるエミリア・ロマーニャのストッパというワイナリーを訪れた時は、別に取引相手でも何でもないのに、まるで親しい家にホームパーティで呼ばれたような歓待を受けました。自分たちのワインを味わうなら食事と一緒でないといけないと、トレイのような形をした大皿に一杯に盛りつけられた自家製パスタをご馳走してくれました。ルロワ社のワインは高島屋が輸入を一手に引き受けていますが、人気は上がる一方、どんどん値が吊り上がり、特級ワインなどとても手が届きません。一方ストッパのワインは、残念ながら日本ではもう取り扱いされていないと聞いています。しかし、一番印象に残っているワイナリーはどこかと聞かれたら、私はイタリアのストッパと答えるでしょう。
 フランスワインとイタリアワイン、どっちが優れているか? 前回からのこの問い掛けに、あらゆる人があらゆる答えを用意していると思われますが、私なりにはこう考えています。フランスワインには、世界を相手に自らの文化を広めていこうという気概が感じられます。トップクラスのワイナリーのワイン造りはまさに真剣そのものです。一方イタリアワインには、どんな人間をも受け入れていこうという懐の広さが感じられます。個性豊かでありながら、どこか懐かしい、飲む人を安心させてくれる味わいがあるように思われるのです。

 前回はピエモンテとトスカーナの二大産地を、今回は南イタリアを取り上げましたが、イタリアにはまだまだ紹介したいワインが沢山あります。ヴェネトのヴァルポリチェラ、アマローネ、ピエモンテのバルベーラ、フリウリやトスカーナのメルロー、そして近年目覚ましく進歩しているアブルッツォのモンテプルチアーノなどなど。またぜひ機会を設けてテイスティングをやりたいと思います。
 次回はスペインを考えています。カバ、シェリー、リオハワインなど、バラエティに富み、かつイタリアとは全く別の意味で親しみやすさを持っているスペインワインの世界をご紹介したいと思います。
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野菜のパスタ・トマトソース 鹿児島産黒豚肉肩ロースのグリル・
キャベツの蒸し焼きソース
デザート(ケーキとムース3種)