第三回目の会

 開催日時:2006年8月19日(土)12:00〜15:00 

 場 所:銀座「CLUB−NYX」

 参加人数:16名

 テーマ:南フランス(Sud-Ouest & Rhone Meridional)

 内容 ワイン:南西地方・白「アラン・ブリュモン ガスコーニュ・ブラン2004年」
        南ローヌ・白「シャトーヌフ・デュ・パプ・ブラン1997年」
        南西地方・赤「アラン・ブリュモン マディラン・シャトー・ブスカッセ
               2002年」
        南ローヌ・赤「シャトーヌフ・デュ・パプ・ルージュ2002年」

    食 事:サーモンの炙り焼きサラダ
   (ランチ)鴨のコンフィ
        レモンと蜂蜜のクレープ

 Via Vino第三回を開催しました。場所はこれまでと同じですが、今回は16名の方々に参加いただき、賑やかな会となりました。
 また少しずつではありますが、会の方向性やスタイルが固まりつつあり、今後の展開がますます楽しみになってきました。
 今回も、ワインエデュケーターの宇都宮氏に、丁寧な解説をしていただきましたので、ご一読ください。

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第3回目のワインについて
はじめに

 今回のテーマは南フランスです。第一回目に基本となるブルゴーニュとボルドーという二大産地、第二回で主として北フランスのアルザスとロワール、そしてブルゴーニュの南に位置する北部ローヌ地方を取り上げましたから、本来ならば三番目は、順番としても季節的にもシャンパーニュとなるところですが、それでは普通すぎるので、あえてあまり知られてはいないものの、近年注目を浴びつつある南フランスのワインを紹介することにしました。

 フランス全体のテーブルワインの7割を生産する一方で、発泡性から甘口、酒精強化まであらゆる個性的なワインを作っているラングドック・ルーション、ロゼワインが7割を占める風光明媚なプロヴァンス、カオールやマディランなど濃厚なワインを作る南西地方など、ブルゴーニュやボルドーの影に隠れてはいるものの、歴史的にはより古い産地である南フランスのワインの魅力を感じていただければ、と思っています。

 また、前回はローヌ北部のサン・ジョセフを紹介しましたが、ローヌは元々北部と南部とに分けられます。ワインの本では大抵一緒に扱われているのですが、北部はブルゴーニュ同様大陸性気候で少数の畑が斜面に沿って点在しているのに対し、南部はどちらかというと地中海性気候で、多種多様な品種が植えられています。南ローヌはむしろ隣のプロヴァンスやラングドック同様、地質的にも、また歴史的にも南フランスのワインとして位置づけるべきかと思い、今回合わせて取り上げることにしました。


南フランスのワインについて

 プロヴァンスのロゼ、ラングドックの銘醸地コルビエール、ルーションのヴァン・ドゥ・ナチュレル等、他にもご紹介したい南フランスならではの面白いワインが色々あるのですが、今回は南西地方のガスコーニュとマディラン、そして南ローヌのシャトーヌフ・デュ・パプの、同じ生産者による白と赤を選んで頂きました。

 俗にスー・ウェスト、「南西地方」と呼ばれる地域は、ボルドーの南、ピレネー山脈までの広い地方を指します。この地域は土着のブドウ品種がフランスで最も多く残っているとされています。オーセロワ種、別名マルベックから作られる「黒いワイン(ヴァン・ド・ノワール)」ことカオールや、タンニンの強いタナ種から作られるマディランは、この地域を代表する赤ワインです。白ワインも特徴的なものが多く、ソーヴィニョン・ブランやセミヨンから作られる「モンバジャック」や、グロ・マンサンやプティ・マンサンで作られる「ジュランソン」などは、ボルドーの貴腐ワインよりもずっと手頃に購入できる甘口ワインです。

 南ローヌでは様々なブドウ品種が混植され、その畑は丸い石ころの多いなだらかな丘に広がっています。写真でしか見たことはありませんが、赤茶けたソフトボール大の石がぎっしり敷き詰められた中から、ねじくれた黒っぽい株がにょきにょきと生えていて、「フランス中何処へ行ってもこれだけの奇観を呈する畑はない」とさえ言われます。この丸い石は、昼間は太陽の光を反射し、夜は昼間に貯えた熱を放出して、ブドウを育成する上で重要だとされています。その中でも象徴とも言えるのが、13種類の品種の使用が認められている、フランスで最初にAOCとして認定されたシャトー・ヌフ・デュ・パプです。この名前は「教皇の新しい城」を意味しますが、これは歴史に名高い「教皇のアヴィニヨン捕囚」により、南仏のアヴィニヨンに法王庁を構えた教皇が、その周辺にブドウ園を作ったことがその始まりとされています。

 フランスやイタリアの歴史において共通していることは、共に豊かな南の地方を、政治力と経済力で上回る北の地方が押さえつけ、搾取したという背景があることです。それは現在に至るまで後を引いていて、ワインの世界でもそれが如実に現われています。ブルゴーニュのワインにはローヌのシラーが混ぜられ、キャンティやアマローネのワインには南イタリアのアリアニコが混ぜられたこともありました。北の地域のブドウの出来の悪さを補うため、南で取れたよく熟したブドウをまぜ、古代ローマからの名産地は原料供給地に成り下がり、その名声は北の銘柄が独占する、という時代が長く続いたことは知っておかねばなりません。南の地方のワインの素晴らしさが見直され始めたのは、ようやく今世紀に入ってからのことです。品種が多くて分かりにくく、近代化に乗り遅れた面があるものの、時の流れに耐え抜いてきた、力強く個性豊かなワインはこれからの注目株と言えるでしょう。


白ワインのテイスティング

 白ワインは南西地方からアラン・ブリュモンの「ガスコーニュ・ブラン」、そしてドメーヌ・ペゴーの「シャトーヌフ・デュ・パプ・ブラン」をそれぞれ用意して頂きました。
 ガスコーニュはボルドーの南、ガロンヌ川上流からピレネーに至る地域で、ブランデーのアルマニャックやブルーチーズのロックフォールなどでも有名です。もともとここはアルマニャック用のブドウ栽培が中心でしたが、最近では酸味のしっかりした白のヴァン・ド・ペイ・ド・ガスコーニュへの転作が行われるようになってきました。今回試飲したガスコーニュ・ブランは、品種はグロ・マンサンとソーヴィニヨン・ブランが半分ずつ、明るい黄色で、さわやかな酸があり、非常に食事と合わせやすい白でした。

 今回は珍しい白の「シャトーヌフ・デュ・パプ」、しかも97年というかなり熟成を経たものをご紹介しました。「シャトーヌフ・デュ・パプ」は赤・白合わせて13種類の品種の使用が認められています。しかし実際には9割以上が赤ワインで、白ワインはわずかに2〜3%しか作られてはいません。しかも7〜8年経ってやっと真価を発揮し、エキゾチックな、オレンジの皮やリキュールを連想させる独特の香りを持つようになります。ルーサンヌ主体に若干のブレンドがなされており、かつアルコールも高いためか非常に形容しがたい、個性的な風味を持っています。最初は塗料を思わせるような強い芳香を感じさせますが、次第にスパイスやマスタードを思わせる香りへと変わっていきました。

 すっきりした酸のあるガスコーニュ・ブランは若干冷えた状態で、特徴的な香りを持つシャトーヌフ・デュ・パプ・ブランはある程度室温になった状態で飲むのが良いでしょう。白ワインは温度が低い方が喉に心地よいものですが、低い温度では香りが立たないからです。用意していただいたのは表面だけ炙ったサーモンの切り身を添えられたサラダ。レモンをかけたサーモンとしっかりした酸を持つ冷えたガスコーニュは非常に相性が良いのですが、しばらく時間を置いて落ち着いたシャトーヌフ・デュ・パプの白も、リキュールのような香りとアルコールでサーモンの切り身を包んでくれました。

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シャトーヌフ・
デュ・パプ・
ブラン
ガスコーニュ・
ブラン
白ワインを並べてみました
かなり色が違います
97年(左)は熟成した色をしています
サーモンの炙り焼きサラダ
南フランスの受難の歴史

 最近話題になったベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」、映画をご覧になった方も多いかと思います。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の謎解きに始まり、マグダラのマリアは南フランスに逃げ込み、そこからイエスの子孫はメロヴィング朝へと繋がり、シオン修道会やテンプル騎士団がその秘密を守っていたという話に通じていくわけですが、まさにそのキリスト教異端の活動拠点が南フランスだったわけです。

 南フランスは当然、気候に恵まれた豊かな土地で、フランスという国家ができるはるか昔から商業都市として、そしてワイン産地として栄えていました。もともと紀元前の時代には、今のローヌ地方や南西部のガイヤックあたりがブドウ栽培の北限でした。内陸部からのケルト人の侵攻に堪え兼ねてローマに援軍を求めたら、その見返りに植民地にされてしまいます。プロヴァンスという地名はもともとローマの属領を意味するプロヴィンキアから来ています。ローマの有力者達は、この「ガリアふぜいのワイン」からイタリア本土の自分たちのブドウ園を守るため、皇帝にはたらきかけ、ついに紀元92年ドミティアヌス帝は南仏のブドウ畑拡張を禁止し、畑からブドウを引き抜くことを命じることになります。これは約二百年後にプロブス帝によって解除されますが、その意味では南フランスのワインは最初から受難続きでした。

 もともと南フランスは豊富な資源を背景に、独自の文化・言語を保っていました。フランス語が公用語となるまでは、独自の言語であるオック語が広く用いられていたのです。ラングドックという土地の名はそもそも「オック語を話す」という意味なのです。1208年に始まるアルビジョワ十字軍は、この南の文化を徹底的に破壊しました。そもそも十字軍とは、エルサレムをイスラムから奪回するために、ローマ教皇がヨーロッパの各国に挙兵を呼びかけたものでしたが、最初のこころざしは何処へやら、回を重ねるに従って目的を見失い始めます。1203年に始まる第四回十字軍は、あろうことか同じキリスト教国であるはずの東ローマ、コンスタンティノープルに攻め込んたほどです。アルビジョワ十字軍は、トゥールーズ、ラングドックに広まっていたカタリ派を異端とみなし、これを討伐するのが目的でしたが、ひどい話で実際に攻撃された都市アルビには、殺された1万の住民のうち、アルビ派はたった500人しかいなかったと言われています。これが未だにありがちな、異端討伐に名を借りた侵略戦争であることは明白でした。結果としてラングドック、プロヴァンスはフランスのカペー王朝に征服され、南フランスは二度と繁栄を取り戻すことはできませんでした。


 この悪名高き第四回十字軍とアルビジョワ十字軍を承認したのが、「教皇は太陽であり皇帝は月である」と言い放ったインノケンティウス3世ですが、この時代を頂点として、教皇の権力は下り坂に向かいます。十字軍は教皇が諸国を束ねるコスモポリタン的な時代の象徴でしたが、強力な軍隊を遠くへ派遣するにはそれに見合う権力が必要となるので、結果としてそれぞれの国家の中央集権化を早めることになり、それが逆にローマ教会の凋落と修道騎士の没落を招くことになったのです。1303年、フランドルへ侵攻する戦費調達のために教会財産に課税しようとしたフランス王フィリップ4世は、「アナーニの屈辱」事件によって教皇ボニファティウス8世を捕縛、急死した教皇の代わりにボルドー大司教だったベルトラン・ド・ゴーを新しい教皇へ推挙します。新教皇クレメンス5世は分裂状態のローマへ行くことを拒み、南フランスの教皇領ヴナスクに定住。今や教皇をフランス国内に閉じこめたフィリップ4世は、誰はばかることなく十字軍の財源を握っていたテンプル騎士団を処刑し財産を没収、絶対王権への足場を固めます。

 クレメンス5世はワイン好きで、ボルドーの別荘はシャトー・パプ・クレマンとして残っています。その後を継いだヨハネ22世もワイン好きで、アヴィニョンの北オランジェに別荘を作り、その周辺にブドウ園を作りましたが、これが後のシャトーヌフ・デュ・パプのもとになりました。もっとも出来たばかりの畑ですぐにワインができるわけでもなく、ご本人はボーヌのワインばかり飲んで死んだとか。次に教皇となった派手好きのクレメンス6世は、1348年プロヴァンス伯からアヴィニョン市を買取り、教皇庁宮殿の建設などを大々的に行います。これによりアヴィニヨンは治外法権の自由都市となり、各国の政治犯が避難してきてさながら悪徳の街ソドムのように繁栄したとのことです。
 歴史が古いため、シャトーヌフ・デュ・パプにはブルゴーニュやボルドーと同様に、昔から酒造りを伝統とする名門名家が多く存在します。そんじょそこらの成り上がりとは格が違うぞ、ということで、浮き彫りの刻印が入った特製の瓶を使用しています。これらの名門名家は、フィロキセラによりフランス全土が壊滅的な打撃を受け、そのために詐称や作為的なブレンドがまかり通るようになると、品種の研究を徹底的に行い、ワインの品質を維持するためにその出生を明らかにして使用品種を規定することを宣言しました。これが後に原産地統制呼称法となって実を結びます。フランスが世界に誇るAOC法は、シャトーヌフ・デュ・パプが生みの親なのです。

 さて、十字軍の時代が終わり、英仏百年戦争が始まります。この頃、ボルドーは英国領で、後のボルドーワインのスタイルを決定づけたことは第一回のワイン会で説明した通りですが、実は当時、現在の銘醸地メドックには殆どブドウはなく、イングランドへの輸出を支えていたのはむしろ南西地方のガスコーニュでした。ボルドー市はむしろ商業都市であり、港町だったのです。逆に言えば、ボルドーは他の競争相手の土地と海との間に位置する港であるという立場を利用して、地元のワインを先に売るよう画策することが出来たわけです。ガスコーニュのワインは、ボルドーの地酒よりも良質だったので、ボルドーの商人達は地元の酒に有利な「ワイン証書」を作り上げ、イングランドは税収確保のためにそれを認めていました。その証書には「ラングドックのワインは12月1日までボルドーで売ることはできない」とも記されています。1776年にこの特権が廃止され、運河や鉄道の開通により南フランスのワインは急速に北部へと広まったものの、フィロキセラの害やそれに伴う質の低下により評価は下りました。フィロキセラは接木によって防ぐことができることが分かっていましたが、南フランスの大量生産の平地ではむしろ畑を水浸しにする冠水法が奨励されました。確かに効果的で即効性もありましたが、その分決定的に品質は落ちてしまいます。南西地方やラングドックのワインが、数々の生産者達の努力により名声を復活させはじめたのは、主に第二次大戦以降のことでした。

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赤ワインのテイスティング

 赤ワインは先程の白と同じ生産者、南西地方はアラン・ブリュモンの「マディラン・シャトー・ブスカッセ」、南ローヌはドメーヌ・ペゴーの「シャトーヌフ・デュ・パプ・ルージュ」をそれぞれ用意して頂きました。

 マディランは主要品種としてタナを使用します。タナはタンニンを多く含み、かなり色も濃くボルドーを思わせる力強さを持っています。もともとタナという品種の名称もタンニンが由来となっているようです。アラン・ブリュモン氏は本来あるべき濃厚な「マディラン」を復活させるべく、自分の所有するブスカッセとモンテュスの2つの畑にタナ種を植え、色の濃い濃厚なスタイルのワインつくりに取り組み、見事にそれを成功させました。色が濃くて苦味が強く、ボルドーのカベルネ・ソーヴィニヨンにも匹敵するパワーを持った赤は、濃い味付けの肉料理にも良く合います。

 一方、シャトーヌフ・デュ・パプ・ルージュの方は、非常に深いルビー色に、若干ですが美しいオレンジ色が混じっていました。マディランは非常に粘土質が強い土壌で葡萄の色付きが濃いのですが、南ローヌの方は石灰質で葡萄の色付きがやや薄くなります。そしてもう一つワインの色に影響しているのは樽熟成です。アラン・ブリュモンのシャトー・ブスカッセは1年の樽熟成を経ていますが、ドメーヌ・ペゴーのシャトーヌフ・デュ・パプは2年間大樽で熟成させるので、オレンジ色への変化が進んでいるというわけです。造り手によって使用する品種の比率が異るので、さまざまな味のシャトーヌフ・デュ・パプが存在することになり、一本だけ飲んで「これがそうか」と思い込んではいけないと言われていますが、香りが華やかでまとまりの良いグルナッシュ主体の赤は、大抵の肉料理と相性が良いようです。

 用意していただいたメインディッシュは、鴨のコンフィ。なるほどコクのある「マディラン」には鴨や野鳥獣肉(ジビエ)が向いているとされる一方で、教科書には「鴨のオレンジソース」に合うのは「シャトーヌフ・デュ・パプ」と書かれているほどですから、ある意味鴨肉はベストの選択。コンフィとは、肉類を低温の脂とともに加熱して素材を柔らかく煮る調理法です。肉の保存が目的だったと言われるコンフィですが、近年ではさまざまな調理法に応用されているようです。実際肉の味は濃くてそれでいて柔らかく、パワフルなマディランと優雅なシャトーヌフ・デュ・パプの両方にマッチしていました。

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マディラン・
シャトー・
ブスカッセ
シャトーヌフ・
デュ・パプ・
ルージュ
(ボケてますが)ボトルは右が
シャトーヌフ・デュ・パプ
グラスは左が
シャトーヌフ・デュ・パプ
鴨のコンフィ

定番デザートのクレープ

ワインの保管について

 これだけ暑い時期が続くと、買ったワインをどう保管しておくかが悩みの種となります。大抵の本には、一年を通して10〜15℃の低温を保つことと書かれているので、専用のセラーを購入して低温保存することが一番望ましいのですが、そうでなければ、少なくとも夏の間は冷蔵庫の野菜室にでも置いて、温度による劣化を防ぐ必要があります。

 特にワインの劣化を考える上で、重要なものが光と温度です。どちらも化学変化を促す要因となるもので、日光を遮断し、急激な温度変化が起こらないように気遣う必要があります。ワインボトルが濃い茶色や緑色をしているのはそのためですが、最近ではリサイクルの関係上透明瓶の使用が奨励される傾向にあり、そういったものはセロハン等で包まれて飾られたりしています。

 ワインは通常コルクで栓がされており、専用のオープナーやソムリエナイフか必要となりますが、最近ではそれらを必要としないスクリューキャップが増えてきています。英国のヒュー・ジョンソンなどは「全てスクリューキャップにすべき!」という意見の持ち主ですが、ニュージーランドでは高級ワインも含めて7割が既にスクリューキャップになっています。コルクが自然物で、かなりの割合で劣化(ブショネ)があるというのがそもそも問題なのですが、コルクかキャップかという選択は、専門家の間でも結論が出ていないようです。シャンパーニュメーカーのカーヴでは、熟成中のシャンパーニュはコルクではなく王冠で栓がしてあります。密閉性の点では、王冠やスクリューキャップの方がコルクよりも上回っているようです。

 さて、そうやって大事に保管していたワインは、果たしていつ頃飲むべきものなのか……もともとワインは、ヨーロッパにおいても日本酒同様、新酒が最も良い物とされていました。それがガラス瓶とコルク栓の発明により、長期保存が可能になると事情が変わってきます。特にポルトガルの甘口酒精強化ワインであるポートが英国で親しまれ、しかもそれが瓶熟によって美味しくなることが知られるようになったことがそもそもの始まりだと言われています。一部の高級ワインにおいてボトル熟成により風味の増すことが知られるようになってから、ワインは寝かせるものという意識が広まりましたが、それでも販売されている殆どのワインは、すぐ飲むべきものであることに変わりはありません。
 しかもどんな高級ワインでも全て寝かせれば寝かせるだけ美味しくなるというものでもなく、出来の悪い年のワインは必要以上に置いていてもただ枯れていくだけという意見もあります。従って、10〜20年もの熟成が可能となるものは、高級ワインでかつ秀逸なビンテージの物に限るということになりますが、ビンテージ・チャートはあくまでその年、その地域の天候を反映させたものであり、生産者によって同じビンテージでもかなり仕上がりが違ってくることは注意する必要があります。同じ年でも地域によって天候には大きな差があり、しかも同じ地域でも、雨が降ったので収穫を早めた生産者と、雨が上がるまで辛抱強く待った生産者ではおのずと結果か違ってきます。そのためビンテージ・チャートには「全ての生産者が同じ傾向となるわけではない」と但し書きが添えられているものの、市場価格は嫌でも影響を受けてしまうため、生産者の努力が報われないこともしばしば起こるわけです。

 デザートは「NYX」定番の「クレープ」、プレーンタイプでした。
 次回は、参加者アンケートでも一番リクエストの多かったシャンパーニュがテーマです。その特殊な製法と、紆余曲折を経た歴史をご紹介しつつ、通常食前酒として楽しまれることの多いシャンパーニュで、敢えて食事の最初から最後まで通してみようと思います。

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