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言葉世界

Chris' words


エッセイ集 「離家出走《完全本》」より〔知命〕



2003年8月に発表されたエッセイ「離家出走《完全本》」より。
「人生、多くを求めすぎてはいけない。ある程度の妥協が必要。そんな風に毎日を過ごし、生きていること自体を幸せに思うべき。求めすぎれば自分を苦しめるだけ。」これはクリスの人生論なのかな。
文章に出て来る「阿虫」は風刺漫画の作者、厳以敬氏自身でもある登場人物のことです。


〔知命〕

一年の四季の中で、僕は特別クリスマスが好きだ。
クリスマスの雰囲気は僕が多くを形容するまでもなく、気分はとてもロマンチックで、とても暖かい。特にホワイトクリスマスはすごくいいよね。

ずっと夢見ていた。ある日、僕の最愛の人とクリスマスイブの夜に町を歩き、ディナーを楽しみ、そのあと家の暖炉の前でささやき合い、すてきな時を過ごすんだ。

残念なことに、現実と願いは違うものだ。

そこで、この夢の改訂版を作ろう。

同じようにクリスマスイブの夜に町を歩き、そのあと同じようにディナーを楽しみ、同じように家の暖炉の前でクリスマスを過ごすんだ。でも僕1人で過ごすんだ。
もしくは友だちや親戚などを呼んでもいい。ローストチキンを食べ、卵酒を飲み、そのあと話が弾み、恋愛話までするんだ。一緒にいる人がいなくても、受け入れるしかない。それが運命とするんだ。

数十年も人をやっていて、やっと学んだんだ。多くのことは、求めても得られず、諦めて次のものを求めるしかないってことを。

海沿いに住めなかったら、自分に言い聞かせる。海の近くに住めれば、それでいいじゃないか。
大勝できなかったら、自分に言い聞かせる。一敗地にまみれなければ、それでラッキーだったと。
お腹いっぱい食べられなかったら、自分に言い聞かせる。飢えることなければ、それでいいと。
背が高く生まれてこなかったら、自分に言い聞かせる。身体が健康であれば、それで満足すべきだと。
永遠の時間がなかったら、自分に言い聞かせる。すでに持っているものでありがたいと。
添い遂げることができなかったら、自分に言い聞かせる。反目することなく、まだ友人であるなら、それは不幸中の幸いだと。

香港人の言う阿Q精神、おそらく僕はそういうタイプだ。
前人が言うところの「三十にして立ち、四十にして天命を知る」はちっとも間違っていない。

僕はこだわりのある人間だ。物事をいい加減にできない。時には完璧を求めてしまうほどだ。

でも、強く求めれば、自分を苦しめることになる。

知るべきだろう。人生には限りがあり、それを早く悟れば悟るほど、早く苦しみから逃れることができる。

小さい頃、よく厳以敬氏の新聞の風刺漫画を見ていた。
最近は、彼は入魂の域に達し、阿虫に成ってしまったぐらいだ。生気に溢れた書法で、短い言葉の中に明確に意味深く表現し、美しい水墨画ととてもよく合っている。

みなさんは厳以敬氏の「知福福常在、随縁縁随來(常に福があることを知り、縁が来るに任せる)」という言葉を体得してるだろうか。

毎年のクリスマス、町行く恋人たちを見て、自分に言い聞かせる。この世には僕と同じような人が一人いて、あちこち僕を探している。
もしかして、命あるうちに僕らはお互いを見つけるかもしれない。あるいはゲームオーバになり、僕らは出会う縁がないかもしれない。

部屋の中で、一生懸命に何かを探している時、結局探してるものはもともと部屋の中にはなかったなんてことを、経験したことがあるだろうか?

もし僕の人生が部屋だとしたら、たとえば、神様がいわゆる真命天子(自分の理想とする自分)というものを置くのを忘れてしまったら、僕は何を探し、何を待っているのか?

外国人が面白い例えを言っていた。四十歳以上の女性がテロリストに殺される可能性は、四十歳以上の女性がもう一度愛する人を探す確率よりももっと高いというのだ。
実際、僕はこのことは、女性に限らず、人はみな平等だと信じている。
だから、僕は思う。毎年のクリスマスを楽しく過ごし、毎日をちゃんと過ごせれば、あとのことはボーナスみたいなものだと。

思おう。こういう風に思おう.....。