[←前へ] [↑上へ] [次へ→]

国防軍戦車兵
Panzer Crewman

〈ツィタデレ作戦〜クルスク会戦〉




 1941年、ソ連領内奥深く侵攻した独軍ですが、モスクワ攻略失敗と、スターリングラードにて第6軍が包囲殲滅される等、戦況は次第にソ連有利となった1943年春。
 雪解けによって泥濘と化したロシアの大地は進撃の足を鈍らせ、この間に両軍は戦力回復を図ります。南方軍集団司令官フォン・マンシュタイン元帥は、ドネツ盆地ミウス川に沿った戦線を放棄して敵を誘致し、集中した機甲部隊で以て、撃破する策を立てますが、占領地を一時的にでも放棄するのが気に入らないヒトラーに却下され、代わりに総統大本営は、冬の戦いでクルスクに突出したソ連軍を挟撃し、劣勢を一気に挽回する『ツィタデレ(城塞)』作戦を立案。しかし、イギリスからの解読情報“ウルトラ”を通じて独軍の企図を知ったソ連軍は縦深防御陣地〈パックフロント〉を構築します。
 
 この作戦は、準備の整わない敵に対し、先手を取るべきでしたが、戦力不足を危惧するヒトラーによって、当初予定の5月3日、次いで6月12日の予定も延期され、奇襲の効果は全く失われました。7月5日、ようやく作戦発動され、“史上最大の戦車戦”と云われるクルスク会戦が起こりました。
 12日、プロホロフカで彼我合せて約1500輌もの戦車が激突。独軍は辛うじて勝利するものの、多くの兵力を損耗します。更に10日にはシチリアに連合軍が上陸し、オリョール周辺でのソ連軍の攻勢が、作戦の意義を喪失させ、作戦は中止。イタリア戦線へと戦力を転進させました。
 結局ツィタデレ作戦は、何ら戦略的効果を得られなかった、東部戦線での最後の反攻作戦となったのでした。


補足
 “ウルトラ”を通じて=ソ連側が、ツィタデレ作戦の内容を知りえたのは、スイスに本拠を置く反ナチスのスパイグループから送られる、いわゆる“ルーシー情報”と云う説がありますが、最近では、それらの情報は大して役に立たず、実際はドイツの暗号機『エニグマ』を大戦前に入手していたイギリスのMI6(軍事情報第6課)がドイツの通信を傍受・解読したものが提供されたと云う説が有力ですが、真相はよく判っていません。
 シチリアに連合軍が上陸
=7月10日の連合軍によるシチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)と19日のローマ空襲により、イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世は“統帥”ムッソリーニを解任・幽閉し、9月8日、連合国に降伏を声明しますが、イタリアは、かつての盟友ドイツの占領下に置かれ、スコルツェニーSS大尉率いる特殊部隊に救出されたムッソリーニを首班とする、イタリア社会共和国(事実上、ドイツの傀儡政権)と、ローマを脱出した国王とその政府のイタリア王国による、イタリア人同士の戦いが始まる事になります。