お茶会報告の一環としてフェアウェルパーティーの様子を紹介していくが、
やはりその前に千秋楽公演の紹介もしておきたい・・・のであるが、
私はその公演を観ることが出来なかった。
ファンクラブに入っているのであればファンクラブにチケットを頼むのが常道であろうが、
今回は申込みをしなかった。
これまでの公演でも楽日のチケットを貰ったことはないし、
一般公演において渡されたチケットの座席位置、
そしてディナーショーにおける末席配置等から考えて、
到底千秋楽チケットが回ってくるとは思えなかったからだ。
古くから宝塚のことを知っている人の話によればチケット配布はスタッフ次第であり、
スタッフが気に入らない人間には回さないと言うことも聞いていたが、
本題から外れるのでここでは詳細は省略する。
なお当日券は前日の電話予約が必要であるが、
例によって繋がった時には売切れとなっていた。
東京では楽日公演は2回公演となることが多いようであるが、
その結果入り待ちをするためには相当の早出が必要となる。
入りは兎も角、最後なので出は参加しようと思って会服も注文しておいたのであるが、
会服として販売するのは恐らくどの会でも上に着るものだけかと思われる。
しかし会服と共に送られてきた案内には上下とも白い服と書かれていたので、
念のために事前に確認しておこうと思って電話した。
電話に出たスタッフの話では楽日の出待ちは上下とも白服が常識であり、
それは顔しか見えないような後列でも同じと言う話であった。
会服の注文書にはそのような説明は書いてなかったので、
何故後列でも上下ともに白である必要があるのか問い質そうとしたが、
兎に角上下白でなければ駄目との一点張りであり、
それ以上は不毛の会話になると感じたので電話を切った。
当日はどのような状況になるか分からないので会服は持参したが、
7時半頃でも一般の人の場所取りで殆ど満席状態となっていたので、
出待ちも諦めて先に会場に向かうことにした。
悪いことには芸術座が工事中のため、
その前には入ることが出来なかったのも混雑を高めた一因であろう。
劇場横で顔見知りの男性に会ったが、
上は会服を着ていたものの下は黒っぽいズボンをはいていた。
日曜ではあるが勤め帰りと言った感じで、
流石に白いズボンを持参して着替えるのは困難だったものと思われる。
上下ともに白でなければ駄目と言う話をすると驚いていたが、
構わないから後ろに並んでしまえと告げて別れた。
会場は7時半受付開始、8時開場と言うことであったが、
8時を少し回ってから会場に入っても来客らしい姿は数人に過ぎなかった。
何はともあれ壇に近ければ檀ちゃんにも近くなると思ったので、
該当するテーブルに占位してひたすら食事に励むことにした。
楽も観られず、出待ちも駄目となれば、残る手段は食べることだけである。
来客よりもホテルの従業員の方が多い状態がしばらく続いたが、
このような状況下では食べまくるのも何かしら気まずい思いがするものである。
スタッフも他の生徒のファンクラブから派遣されたものと思われるが、
来客者も含めて見知らぬ人ばかりと言うこともあり、
親しく会話しながら食事をするような状況ではなかった。
料理自体は満足いくものであったのだが・・・
3時半公演だからサヨナラショーや挨拶を入れても7時半頃には終わるはずである。
多少長引いても8時前には終わるはずであり、
出待ちに参加しない人は会場にやってくるはずである。
歩いても10分程度で来られる距離なのであるが、
観劇を終えてから来たと思われる人は見当たらなかった。
この時点で『何かあったな』と言う予感はしたのだが、
スタッフからもホテル側からも、公演が遅れていると言う説明は無かった。
観劇を終えた者がやって来たのは9時頃であっただろうか。
そして顔見知りの人から開演前のトラブルで公演が30分くらい遅れたと言う話を聞かされた。
観劇組の第一陣は出待ちをせずにやってきたものであり、
檀ちゃんがやって来たのは10時頃になっていたと記憶している。
公演が遅れたので止むを得ないことではあるが、
各会場を回る星組の在団生は退団者以上に忙しかったことと思われる。
檀ちゃんの会場に最初にやって来たのは万里さんとにしきさんで、
にしきさんは最後に檀ちゃんが大階段を降りる時にちょっと危なげだったことを、
派手なジェスチャー入りで説明していた。
何しろ時間が無いので次の来客者は既に待機しており、
記念撮影が終わると直ぐに入れ替わると言う慌しさであった。
二人が去るのを待ち兼ねたかのように湖月さんを先頭にして、
朝峰さん、安蘭さん、高央さん、真飛さん、彩愛さんの6人が入ってくる。
湖月さんもやはり檀ちゃんの階段降りに冷や冷やしたと言いながら、
にしきさん同様檀ちゃんの物真似をやっていた。
この時も最後の一段を降りる時と思っていたのであるが、
CSで流された映像を見ると最後の一段はしっかりと降りていたので、
最初の一段の踏出しが危うかったのかもしれない。
やはり一人一人がゆっくりと話をしている余裕はないので、
話したいことがあっても急いで交代しなければならない状況であった。
その後も絶えることなく星組生が同期毎にやってきたが、
組長を含めてこの会場へは来られない生徒も多数いた。
第一ホテルでも既に予定時間を超過していたが、
これは他の生徒の会場でも同様だったことと思われる。
同期生が一団となって檀ちゃんにメッセージを送った期もあったが、
言いたいことを言えなかった人もいたことであろう。
そんな中から印象の強かったものを紹介する。
同期の紫蘭ますみさんとの会話は思いの外簡単なものであった。
話したいことは沢山あったことと思うが、
同期であるが故に逆に簡単に済ませたのかもしれない。
この会場でなくても話す機会は幾らでもあるだろうから。
柚希さんとの会話はやはりスミレキッチンに関するものであったが、
負けたとは言ってもそれ程悔しそうな感じではなかった。88期
生(2002年初舞台)からは寮で檀ちゃんから桃を貰って感激したと言う話があったが、
予科生時代と言うことだから檀ちゃんの月組時代と言うことになる。
当時の檀ちゃんは月組のトップ娘役であったから、
やはり忘れられない出来事であったのだろう。
来訪する生徒が途絶えたのは11時頃かと思われるが、
そろそろ帰りの電車が気になる時間帯である。
新橋駅から上野駅まではそれ程時間がかかる訳ではないが、
この時間帯では山手線も京浜東北線も運転本数が減ってくるので、
最終電車に乗るためには余裕を持って帰る必要がある。
最後まで見届けたいのは山々であるが、
何時に終わるか分からないので途中で帰らざるを得ない状況であった。
この日は檀ちゃんの宝塚最後の舞台も観られず、出待ちにも参加できず、
パーティーに最後まで居られなかったのも残念なことであるが、
このパーティーではそれ以上に残念なことが二つあった。
その一つは昔から檀ちゃんを応援してきた人の顔が見られなかったことである。
ファンクラブが発足したのは1998年末、雪組での最後の公演の時だった。
その当時から会員だった人も星組トップになってから顔を見かけなくなってしまったのだが、
最後のパーティーなので出席するのではないかと期待していたのだ。
当時の東京公演は1000days劇場での公演であり、
前売り券は大劇場同様発売当日に劇場窓口で発売していた。
ファンクラブの並びは6時半集合であり、
冬の日比谷公園はまだ薄暗く、風が吹けば冷え込みも厳しいものであった。
そんな状況でも毎回参加するような熱心な人も多数居たのだが、
檀ちゃんが月組を去ったからと言って急激に嫌いになったとは思えない。
檀ちゃんが専科から星組に移り、
それまで休眠状態だったファンクラブも新たな行動を開始した。
しかし劇場でもお茶会でも月組時代からの見慣れた顔を見かけるのは減る一方であり、
とうとう最後のパーティーでも会うことの出来ない人が多かった。
もう一つはパーティーの遅れに対するファンクラブスタッフの対応である。
公演の遅れ自体は止むを得ないものであり、
その結果パーティーにも遅れが発生してしまったのはスタッフの責任ではない。
しかし問題はその遅れに対する処置の仕方である。
第一ホテルのパーティー会場では、スタッフからもホテル側からも遅れに関する発言は全く無かった。
パーティーはあくまでも私的なものであるから、
東宝劇場での公演が遅れたからといって劇場の責任者からホテルにその旨を連絡する必要は無い。
遅れを連絡するのであればパーティーの主催者であるファンクラブのスタッフから、
会場を担当しているスタッフに連絡するか、直接ホテル側の担当者に連絡する必要がある。
しかしパーティー会場ではどちらからも遅れが発表されることは無かったから、
連絡は全く無かったものと思って良いだろう。
劇場内がどのような状況であったのかを知ることは出来ないが、
芝居が終わって中休みの時点で連絡することは容易だったはずである。
終演が遅れ、順繰りにその後の行事が遅れることは明かなのであるから、
ちょっとした気配りがあればパーティー会場への連絡は思い付くはずである。
仮に会の責任者が気が付かなかったとしても、
十数人のスタッフが観劇していたものと思われるので、
誰かが気が付けば直接会場に連絡するか、責任者を通して連絡出来たはずである。
皆観劇に夢中で、パーティー会場で待ちぼうけを食わされる人のことまで頭が回らなかったのであろうか。
会服云々を唱えることよりも、ずっと重要なことであると思うのだが。
第一ホテルは宝塚関係のパーティーに関しては経験豊富であると思われるので、
多少の遅れやパーティー時間の延長には容易に対処出来ることと思われる。
しかし今回のような大幅な遅れに対しては、
やはり何らかの不都合が発生したのではないだろうか。
遅れる旨の連絡があれば料理や配員に関しても計画を見直し、
より適切にパーティーを進めることが出来たことであろう。
大きな災害が発生すると「危機管理」と言う言葉が声高に唱えられる。
しかし危機が去ればすっかり忘れてしまうのが多くの日本人の特性であり、
過去の経験が生かされることは極めて少ない。
今回のことも小規模ながら一種の「危機管理」であり、
劇場に居たスタッフは全く管理出来なかったと言うことが出来よう。
「危機管理」と言うような大袈裟な表現をしなくても、
大幅な遅れがあるのなら連絡するのが社会人としての常識であるし、
観劇出来なかった人への思いやりと言うものが欲しかった。
大きな転機となった雪組での「浅茅が宿」新人公演がちょうど7年前、
以来中国公演等を除いて可能な限り観劇を続けてきたが、
最後の公演がこのような形になるとは想像したこともなかった。