新宿コマ劇場も演目が変わりつつあるようで、
今年の8月公演はモーニング娘。を中心としたミュージカル版「リボンの騎士」だった。
原作は手塚治虫の少女漫画であるが、
舞台化に当たって登場人物等に多少の変更があったようである。
脚本・演出は宝塚歌劇団の木村信司氏であるが、
オープニングやフィナーレ等は宝塚の得意とする手法が用いられていた。
舞台設定は中央円筒形の階段を配した簡潔なもので、
状況を説明する具体的な大道具類は殆ど見られないものの、
物語の進行に違和感を感じることは無かった。
むしろ大道具の移動を伴う舞台転換が無い分だけスピーディーであり、
豪華さは無いものの十分に楽しめるものであった。
レギュラー出演のモーニング娘。と美勇伝についての詳しいことは知らないのだが、
本格的なミュージカル作品として見た場合には不満があるものの、
娯楽作品としては十分に楽しめるものであった。
出演者は剣の試合の場面に4人の男優が出る他は全員女性なので、
当然男を演じる者も何人か存在する。
主役のサファイア姫(王子?)は両性とも言うべき存在なので、
王子として演じる場合でも男を意識する必要は無いだろう。
ベルばらにおけるオスカルとはまた違った存在だが、
元々は子供なのだから余り男臭さを出さない方がかえって良いだろう。
対抗するフランツ王子は完全に男ではあるが、
やはり大人の男とは若干違った存在である。
声も仕草も宝塚の男役のようには行かないが、
無理に男らしく振舞う必要は無いだろう。
牢番や騎士等は成人した男性ということになるのだが、
こちらも男役として見れば満足出来るものではない。
しかし舞台と言うものはただ本物らしく見せれば良いと言うものではないだろう。
舞台の目的は観客を楽しませるためのものであり、
彼女達が本物の男のように振舞ったとしたら、
観客はかえって興醒めしてしまうに違いない。
悪役である大臣を演じていた吉澤ひとみさんはメンバーの中では最年長なのだろうが、
声にはやはり無理があるものの腹黒い大臣の雰囲気が良く出ていた。
やはり悪役を演じるものが引き締まらないと、どんな物語でも面白みが無くなってしまう。
大臣の家臣と息子は二人ともとぼけた雰囲気が良く出ていて、
物語の緩衝材のような感じで舞台を和やかなものにしていた。
箙かおるさんは長年男役をやっているだけあって、
歌唱力でも存在感でも他の出演者を圧倒していた。
ただし欲を言うならば、
単に自分の持てる力を全力で出すというのではなく、
他の出演者とのバランスをとるように心掛けた方が良かったと思う。
最後に神として登場する時には絶対的な権力者なので、
十二分に自分の力を出し切って良い。
しかし最初の神と王様の場合には力を抑え、
他の出演者が霞んでしまわないようにするべきだったと思う。
観客の中で箙さんを知っている者は少ないことと思われるが、
フィナーレで登場した時には大きな拍手が沸いていた。
やはりその熱演が観客に伝わっていたのであろう。
この公演ではレギュラー出演のモーニング娘。と美勇伝の他、
フランツ王子役で安倍なつみさんと松浦亜弥さんが、
牢番と令嬢の役で辻希美さんが数日ずつ出演している。
この日は辻さんの出演日であったが、
本日は牢番のみで出演する、と言うような張り紙がしてあった。
二幕が始まってまもなく辻さん演じる牢番が出てきたのだが、
松葉杖を突きながら出てきたのには驚いた。
演出にしては少しおかしいなと思ったが、
足元を良く見るとどうも怪我をしているようである。
後でホームページを見て分かったのだが、
7月に行なわれた別のイベントで足を痛めていたのである。
物語として考えるならば、
松葉杖をしながら牢番の勤務と言うのは明らかに不自然である。
これが映画やテレビドラマであったとしたら、
当然代役を立てて辻さんは休演すべきであろう。
しかし生の舞台の場合には話が違ってくる。
観客は一つの作品として舞台を観る場合もあれば、
特定の個人を見たいがために足を運ぶこともある。
当然辻さんの出演に合わせて前売りを買っている人も多いことだろう。
そんな人たちにとっては辻さんが出演していること自体が重要なのであり、
不十分な演技であったとしても満足出来たのではないだろうか。
私としても『頑張っているな』と思うことはあっても、
不愉快に感じることは全く無かった。
勿論怪我を悪化させてまで出演する必要は無いが、
恐らく本人の希望によって出演することになったのだろう。
松葉杖も牢屋の場面ではドクロのアクセサリーが付いたもので、
フィナーレでは明るい感じのものになっていた。
裏方さんも含めて全員で支援していたのであろう。
客観的にこの作品を評価するとすれば、
やはりミュージカル作品としては弱かったと思う。
俄仕立ての男役では自然に見せることは不可能であり、
○○賞等の対象となり得るものではない。
しかし舞台と言うものは賞を取ることや評論家を喜ばせることが目的ではない。
最も重視すべきは実際に入場料を払って観に来る観客であり、
その観客を満足させることが最大の目的のはずである。
そうした面から評価するならば十分に満足できる作品であり、
東京まで出かけて行っただけの価値はあった。