この手の話は私の最も苦手とする分野の一つである。
ぐじゅぐじゅとした公家社会の生活様式・生活態度がどうにも我慢できないものであり、
人間離れした妖怪の世界を見ているようにしか思えないのである。
いやいや、こんなことを言ったら妖怪達に怒られるかもしれない。
わしらはもっとしっかりした生活をしとるわい、と。
しかし嫌いな分野に挑戦してみることも必要では無いかと思い、
CSの放送では台詞回しもしっかりしていたので観劇することとした。
その結果はどうかといえば、残念ながら期待外れ、
と言うよりは予想通りと言うべきか、退屈極まりないものであった。
ただしこれはあくまでも私個人の感想であり、
拍手やアンコールの状況から判断すれば、
会場全体での評判は極めて良かったようである。
宝塚の舞台は元々圧倒的に女性客が多いものだが、
この公演は更にその傾向が強いようであった。
やはりこうした公家社会と言うものが男には理解し難いものであるのに対し、
女性にとっては憧れの社会と言うことなのであろうか。
舞台は4幕で、1幕1場構成となっており、それぞれが1つの季節を表している。
舞台装置は最後まで全く同じであるが、
小道具類を変えて季節の移り変わりを表現している。
表現方法としては面白いと思うのだが、
同じ舞台設定で演じているだけに、台詞の内容には細心の注意が必要である。
物語は夏から始まり、最後は冬から春へと季節が変わって終わるのだが、
これはこれから先への希望を繋ぐものとして適切な表現であった。
ただし、最後の幕では季節の変化だけでなく、
年数も飛んでいたような台詞があったと記憶しているが、
これは私の聞き違いであったのだろうか。
年数も飛んでしまうと折角の演出の効果も薄れてしまう。
ストレートプレイの場合、歌や踊りが無い分だけ物語の展開は速くなるはずである。
しかしこの舞台では公家調ののんびりとした話し方のためか、
台詞を聞き終えるまでにイライラしてしまう。
しかも結構長い台詞が多いので、余計にまだるっこくなって来る。
気の短い人間には向いていない作品であることは確かだ。
話の主題は、徳川幕府の圧力によって予想外の天皇が即位し、
更に徳川の人間を新しい天皇の皇后として送り込むために、
それまでの妃が退けられてしまい、最終的には出家してしまうというものである。
話の筋は悲劇な訳であるが、舞台となっているのが庶民離れした所であるためか、
何か遠い世界の話という感じでしか観られなかった。
登場人物の動きが極端に少ないのも特徴かと思われるが、
これも公家の世界の特徴と言うことなのであろうか。
しかし動きが少ないと言うことは更に台詞の重要性が高まると言うことであり、
各出演者は台詞の言い回しには研究した跡が見られるが、
印象に残る台詞が少ないことが、
この作品を退屈なものにしてしまった最大の原因かと思われる。
主演である後水尾天皇の轟さんの日本物は流石であるが、
天皇としての威厳には欠けているように感じられた。
今までに演じた轟さんの主要な役を見てみると、
今回のような身分の高い役は「あかねさす紫の花」の中大兄皇子くらいであろうか。
案外この手の役は苦手なのかもしれない。
花總エリザベートのように天性の気品が現れる人もいるが、
轟さんの場合には演技によって品の高さを出さなければならないから大変だ。
しかし天皇と言っても特別なことをした人間ではないのだから、
実際にはこのように平凡な庶民と同様の人間であったのかもしれない。
前の妃であるお与津の白羽さんは和装が良く似合い、
本当に雛人形を見ているようであった。
しかし雛人形としては丸顔の童顔が良い面に出ていたが、
2児の母としては幼過ぎる印象を受けた。
直接子供は登場しないものの、やはり母親としての人物像を、
一部でも良いから表現して欲しかった。
歳が来たら娘をも出家させるような台詞はあったのだが、
他人行儀で母親らしい雰囲気には乏しかった。
後水尾天皇の弟、信尋の音月さんは無難にこなしていたが、
台詞が無い時の存在感が希薄に感じられた。
何しろ動きの少ない芝居なので、
じっと座っているだけで存在感を出すのは難しいことかもしれない。
まだ若いのでこの公演自体のことよりも、今回の公演の経験を生かし、
再び『芝居の雪組』『日本物の雪組』を目指して頂きたい。
白川女の未来さんには脱帽である。
未来さんが娘役をやるとは聞いていたのだが、
舞台を観た限りではどの役を演じていたのか分からなかった。
幕が上がって誰もいない舞台に「ごめんやす」と言いながら登場する姿は、
娘役というよりも子役と言った方が良いような雰囲気を持っていたが、
これまでの未来さんからは想像出来ない役であった。
たった一人だけ登場する庶民であると同時に、狂言回しの役も暗に兼ねている。
『おとめ』によれば東京出身となっているが、
長い京都弁の台詞にもメリハリをつけ、良くその任を果たしていた。
芸の幅の広い人である。
最後に演出に関する注文を一つ。
桜の木の変化や、紫陽花やススキ等で季節感を出していたのは良いのだが、
夏場によく登場する雷鳴には工夫が欲しかった。
雷の場面では舞台に限らず、映画やテレビドラマでもそうなのだが、
必ずと言って良いほど稲光と雷鳴とが同時になっている。
しかし誰でもが経験していることなのだが、
実際には雷鳴が後から聞こえてくることの方が圧倒的に多い。
いわゆる『遠雷』と言う奴であるが、
今回の場面では『遠雷』の方が場面に相応しいものであったと思っている。
♪おまけ
歌劇誌9月号、カラーページのニュースに載っている後水尾天皇の月輪陵は、
京都市東山区の泉涌寺の中にあります。
泉涌寺には楊貴妃観音も安置されており、
「お散歩気球」コーナーの「楊貴妃観音」から泉涌寺のHPへ行けますので、
興味がありましたら訪ねてみて下さい。