航空母艦「大鳳」の沈没原因については、
格納庫内に充満した気化ガソリンの爆発と言う説が一般的である。
私自身も別記事「マリアナ沖海戦」においては、
疑問を感じつつも敢てこの件には触れずに記事を纏めている。
今回はこの「大鳳」の沈没原因に的を絞り、
その疑問点を追及していくこととする。
私の感じている疑問点を時間を追って取り上げれば、
大きな項目は次の3点となる。
1)船底にあるタンクからの気化ガソリンは、如何にして格納庫に達したのか?
2)気化ガソリンが爆発濃度に達するまでに、誰も漏洩に気が付かなかったのか?
3)格納庫内でのガソリン爆発だけで、沈没に至るような損傷が発生しうるのか?
気化ガソリンが爆発したことだけは事実であると認められるが、
爆発に至る過程、そして爆発後の経過については、
現場で作業した乗員の明確な証言は無いものと思われる。
軍隊に限らず組織内における事故調査というものは、
真実が伝えられること希であると言ってよい。
今となっては資料不足ではあるが、
以下客観的な立場から爆発の原因、
そして沈没に至る過程について考察してみたい。
被雷個所のガソリンタンクから気化ガソリンが格納庫に達する経路としては、
ガソリンが液体のまま上部のエレベータ室に侵入してから気化する場合と、
タンク及び空所で気化したガソリンが上部に拡散していく場合とが考えられる。
右図は被雷個所附近の概略図であるが、
最前部ガソリンタンクの直上甲板は吃水線以下となっている。
従ってタンク及び周辺区画が損傷して浸水した場合には、
ガソリンは海水に押し上げられて直上の最下甲板に達し、
更に最下甲板も損傷している場合には、
液体ガソリンが上部区画に侵入する可能性は十分にあり得る。
福井静夫著光人社発行「日本空母物語」によれば、
『前部軽質油タンクよりの軽質油ガスの漏洩により』数時間後に爆発したとされており、
被雷個所のガソリンタンク自体は破損していないと記されている。
同じく福井氏の出版協同社発行「日本の軍艦」でも、
被雷によって『軽質油タンク上部甲板接手が緩み』ガスが充満した、と記されている。
この表現によればガソリンは同タンク又は周囲の空所内で気化し、
直上の甲板に生じた隙間から徐々に格納庫内に拡散して行ったことになる。
あるいは気化ガソリンは空気より軽いと思っている人もいるかと思われるが、
空気より軽い気体は希であり、当然気化ガソリンも空気より重い。
空気より重い気化ガソリンが格納庫に充満するためには、
同区画が高温となって気化ガソリン自体の圧力が高くなることが必要であろう。
該当海面が低緯度区域であるとは言え同タンクは水線下にあるので、
気化ガソリンが最下甲板の亀裂からエレベータ室を介し、
更に上部の格納庫まで拡散する可能性は無いものと思われる。
陸上で気化ガソリンが拡散するのは空気の対流に便乗しているためであるが、
鋲接の緩み程度でそのような対流を生じるとは思えない。
福井氏が牧野茂氏と共同編集した今日の話題社発行「海軍造船技術概要」によれば、
タンクは破壊して直上甲板の亀裂部からガソリンが上部区画に溢出し、
そのガソリンが気化して格納庫に充満したと記されている。
前出の2書とは矛盾する表現であるが、
被雷個所は艦幅も小さいので十分な魚雷防御はなされていない。
直上の甲板に亀裂を発生するような規模の爆発であれば、
当然ガソリンタンクにも被害は発生したものと思われる。
最下甲板が鋲接構造であるのに対し、
ガソリンタンク自体は全溶接構造という利点はあるが、
それでも魚雷の爆発に耐え得るとは考えられない。
以上の観点から気化ガソリンの漏洩経路は「海軍造船技術概要」に記されている通り、
被雷によって海水がタンク及び空所に流入し、
その海水によって上部のエレベータ室に押し上げられた液体ガソリンが気化し、
格納庫等に拡散していったものと思われる。
ただし液体ガソリンが床面に広がればその発見は気体の場合よりも容易なので、
何時間も対策がとられなかったことに対する疑問が湧いてくる。
被雷した「大鳳」は前部エレベータが途中で停止したので、
全力を注いでその復旧作業に当たっている。
当然最下部のエレベータ室にも作業員が入っているはずだから、
ガソリンが床面に溢れ出していれば気が付いたはずである。
エレベータ室の配置図は無いので該当区画の詳細は不明だが、
仮にガソリンタンク直上の一部区画だけに侵入したのだとしても、
ガソリンが気化すれば臭いで気付くはずである。
福井氏の「日本空母物語」によれば、
気化ガソリンの爆発濃度は1.5%から5%の範囲であり、
濃度が4%の時に爆発圧力が最大になると記されている。
更に濃度0.1%でも人間の嗅覚で容易に探知可能であり、
0.01%の薄い濃度でも異常を感じられるそうである。
しかも爆発濃度である1.5%の環境下ではごく短時間の作業しか行えず、
更に濃度が高まれば普通の防毒面を装着していても、
めまいがして呼吸困難となるそうである。
定説通り前部ガソリンタンクから溢れ出たガソリンが気化し、
エレベータ区画を通過して格納庫に至ったのだとすれば、
修理作業を行っていた乗員は気化ガソリンの混合気に曝されることになる。
気化ガソリンの濃度は当然タンクに近い所の方が高くなるので、
格納庫で爆発濃度に達するような状況であったとすれば、
それ以前にエレベータ修理の作業員は全滅していたと言うことになる。
ごく常識的に考えるならば、
ガソリン臭を感じた濃度の低い時点で何らかの対策を考えるであろうし、
仮にその時点では危険性を把握できなかったとしても、
倒れる作業員が続出すれば非常事態であることを認識するであろう。
いくら用兵者(応急作業に携わらない者)の認識が甘かったとしても、
格納庫内が爆発濃度に達するまで放置するとは考え難い。
一つの仮定として、先ずは濃度の高まったエレベータ室で爆発が発生し、
その炎によって格納庫に拡散していた低濃度の気化ガソリンが類焼、
更に格納されている航空機の機銃弾や爆弾の誘爆に至ったとも考えられる。
格納庫内では平常時でもこぼれたガソリンの臭いがしていた可能性もあるので、
あるいは整備員等はガソリンの臭いに慣れ切ってしまっていたのかもしれない。
多少ガソリンの臭いが強まっても『毎度のこと』と言う気持ちが働き、
原因を追究しようとしない場合には異常に気付くのが遅れる可能性がある。
それでも炎が走る程に気化ガソリンの濃度が高まっていたのであれば、
やはり臭いが強くなるので気が付くのではないかと思うのではあるが・・・
何れにしても、格納庫全体に爆発濃度の気化ガソリンが充満し、
一挙に大爆発を起こした可能性は皆無であると考えられる。
最初に小爆発があったとしても、
それが前部エレベータ附近で発生したとは断定できない。
本艦は就役して戦闘に参加するまでの期間が極めて短い。
マリアナ沖海戦においては航空機搭乗員の錬度低下が指摘されているが、
本艦の乗員はそれ以上に未熟であった可能性もあり得る。
気化ガソリンに対する危険性の認識が甘かったことは十分に考えられるし、
前部ガソリンタンクの被害とは無関係に、
誤操作によるガソリンの充満・爆発の可能性も皆無であるとは言えない。
しかし艦が沈没し、作業に関わった乗組員が死亡してしまえば、
永久に真実を知ることは不可能となってしまうのである。
最後は沈没の直接原因に関する問題である。
多くの文献で格納庫内での爆発によって沈没と記されているが、
果たしてそのような事態は起こり得るのであろうか?
艦船は言うまでも無く海水による浮力によって浮かんでおり、
沈むためにはその浮力を喪失しなければならない。
そして浮力喪失の最も一般的な原因は海水の浸入であり、
その侵入経路は水線下外板の破損が最も一般的である。
となれば格納庫内での爆発によって、
水線下の外板にまで被害が及ぶかどうかが問題となってくる。
爆発による圧力は四周に拡散し、
相対的に弱い個所を破壊して圧力は低下していく。
格納庫の上部は甲板だけであり、
側面も薄い仕切壁と外板だけである。
これに対して水線下の場合には上甲板より薄いとは言え2層の甲板があり、
最も広い区画である機関室を例に取れば、
側面には魚雷防御のための何層もの防御壁がある。
さらに外板の外側は海水の圧力を受けているので、
爆発によって水線下外板が破損する可能性は極めて少ないものとなる。
なお本艦は飛行甲板に装甲を設けており、
そのために圧力の逃げ道が塞がれ、
艦内の被害が大きくなったと言う記事を見かけることがあるが、
これは実情を知らない全く的外れの見解である。
装甲と言うものは船体構造とは全くの別物であり、
個々の装甲板がボルト等により船体構造物に固定されているに過ぎないのである。
従って爆風に対する抵抗は装甲板自体の強度ではなく、
取付ボルトの強度に左右されることになるのである。
前出の「海軍造船技術概要」によれば、
本艦の場合には格納庫での爆風によって飛行甲板が変形するのを防ぐために、
逆に装甲板の取付を強固なものにしている。
被弾しても発着艦を可能にするための措置であるが、
この場合には当然艦内における圧力は高まることになる。
そこでその対策として格納庫側面の装甲板の取り付けを簡易なものとし、
内圧によって容易に開放して圧力を逃がすよう工夫されている。
仮に気化ガソリンが格納庫全体に充満して大爆発になったとしても、
その爆発によって沈没に至るような損傷は考えられないのだが、
本艦は他艦による魚雷処分によることなく沈没している。
やはり火災の発生によって格納庫内での爆弾等の誘爆が続発し、
水線下にも損傷が及ぶようになって浸水が増加し、
最終的に沈没に至ったものと考えられる。
艦船火災の消火活動において陸上火災と大きく異なる点の一つに、
消火や冷却に要した海水を艦外に排出しなければならないことが挙げられる。
甲板上に溜まった水は傾斜に沿って移動するので、
荷崩れと同じ様な効果を発揮するのである。
特に航空母艦の場合には高所にある格納庫に仕切壁が無いので、
流動水による復原力の悪化はより著しいものとなる。
就役後の応急作業に関する訓練が十分行われていたとは考えにくいので、
あるいはこうしたことが原因で転覆・沈没したとも考えられる。
友鶴事件や第四艦隊事件が発生した後、
技術者はその事実を受け止めて正面から原因追求に挑み、
有効な対策を考えて同種の事故の発生を防止している。
しかるに用兵者はミッドウェイの戦訓を生かせるよう、
被弾時の応急作業に関して十分な努力を払ったであろうか。
恐らく現場で作業に従事した乗員からは様々な要望が寄せられたことと思うが、
自らは安全な状況下にある軍令部の高級将校は真剣に考えたのであろうか。
不燃対策の不徹底等の状況から判断するならば、
海戦の敗北自体を隠蔽するのに要した努力とは対照的に、
被害を局限するために十分な努力を払ったとは到底思えないのである。
数年前のことであるが、
飛行船ヒンデンブルクの事故原因に関するテレビ放送があった。
従来言われていた水素爆発説に疑問を感じ、
最終的に外皮に使われていた塗料に問題があったと言う結論である。
私も同船の火災に関する映像を見た限りでは、
火災の広がり方は水素によるものではないと思っていた。
しかし多くの人が「水素=爆発=危険」と言う先入観を持っていたために、
水素爆発説について誰も反論しなかったものと思われる。
またこの放送で特に注目すべきことは、
製造所は事故直後に塗料の問題を認識していたにもかかわらず、
それを公表しなかったと言うことである。
役所にしろ企業にしろ、
組織が正直に真実を公表するのは希なことなのである。
真実の隠蔽は現在でも公害問題等に多々見られるし、
身近な問題では自動車事故の真相が究明されることも無い。
真実を知る者も死んでしまえば証言することは出来ない。
「大鳳」沈没の真相も、永久に解明されることは無いであろう。