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 駆逐艦「秋月」

 Torpedo Boat Destroyer、直訳すれば「水雷艇破壊艦」である。 だが日本人はこの艦を「駆逐艦」と名付けた。誰が名付け親かは知らないが、稀に見る名訳である。 「守るも攻めるも」は日本海軍を象徴するものであり、攻め込んで敵艦を「破壊」するのではなく、 攻めてくる敵艦を「駆逐」すれば自衛の目的は達せられる。しかしその海軍も時代を経て 「攻めるぞ攻めるぞ」の精神が最優先されるようになり、現在では他国に軍事力を派遣しても 「自衛」隊と称する時代になった。
 駆逐艦の誕生当初は、主力艦に群がる敵の水雷艇を駆逐するのが主任務であったが、 時代と共にその性格を大きく変え、やがては自らがSuper Torpedo Boatへと進化することとなった。 しかし潜水艦や航空機が登場して海戦様式が多様化してくると、Submarine Destroyer あるいはAircraft Destroyer としての役目も必要となり、後者の目的で登場したのが 「秋月」級の駆逐艦である。
 秋月は当初は「対空直衛艦」という構想で計画が進められていた。排水量的には小型巡洋艦と 呼ぶべきかも知れないが、その任務が従来は考えられなかったものであったため、 新しい艦種として計画されたのかも知れない。このこと自体は画期的なものであると言えるのだが、 結局は魚雷兵装が追加されたために、「乙型駆逐艦」という従来の域を出ない艦種となってしまった。 しかし私は「駆逐艦」の呼称に不満はない。前述したように、主力艦たる空母に群がる敵航空機の 駆逐を主任務とする、正に「航空機駆逐艦」として誕生したのだから。

 秋月の特徴は、と聞かれれば、殆どの人は連装4基の長10p砲を挙げるだろう。 勿論それは間違いではない。だが是非とも知っておいて貰いたいのは、18節8000浬という 長大な航続力である。外観上知る手掛かりはないので、あるいは知らない人が多いのではないかと思う。 だが航続力というものは艦艇に限らず、極めて重要な要素であることを知っておいて欲しい。 艦の運用上の問題だけでなく、設計を進めていく上でも、慎重に考慮しなければならない要素なのである。
 18節8000浬と言う値は、日本の駆逐艦としては異常とも言える数値である。 だが艦隊決戦を主任務とした従来の駆逐艦と、空母直衛を主任務とした本艦との違いを最も良く 表しているものとも言える。開戦後は駆逐艦の航続力不足が指摘されたこともあるようだが、 これは建造時の戦略構想とは全く違った方向へ戦線を拡大していったためであり、駆逐艦自体の 優秀性を減ずるものではない。
 具体的に言えば、日本海軍の想定した決戦海域は西太平洋であり、日本へ侵攻してくる敵艦隊 (主として米海軍)を迎撃するものであった。日本近海で戦うのだから長大な航続力は必要とせず、 居住性が多少悪くても大きな障害とはならない。従って米英海軍と同程度の大きさの艦を造っても、 強力な戦闘力を持たせることが出来たのである。無計画な戦線拡大は艦艇を最善の状態で運用する ことを阻み、備蓄燃料の急激な減少に繋がったとも言えるだろう。長大な航続力を持った秋月にしても、 燃料がなければその威力を発揮することは出来ないのだ。
 長10p砲は、前大戦において最も優れた高角砲であると言ってよいだろう。65口径の長砲身は 従来の5吋40口径砲を大きく上回り、当然米海軍主力の38口径砲をも凌駕している。 米軍の場合には近接信管の採用によって砲弾の威力を増しているが、長10p砲は時限信管であっても 同程度の威力を持っていたと言えるだろう。

 秋月は船舶としての基本性能も極めて優秀であった。艦首にフレアのついた特型以降の独特な船型は 凌波性に優れ、荒天時でも空母への同伴が可能であった。船型が大型化したことも影響しているだろうが、 やはり優れた船型であったことは間違いない。特型で培った造船技術は、 以降の艦に脈々と受け継がれていたのである。
 優秀な船型は、反面生産性に劣る一面も持っていた。外板を複曲面で仕上げなければならないので、 製造には高度な技術と時間を必要とした。保有量が制限される平時においては問題化されることはないが 、絶対数の増加が求められる戦時になると状況は一変する。やはり建造工数の多いことは大きな欠点であり、 第一線からは本艦の補充要求があったものと思われるが、完成したのは僅かに12隻のみであった。 しかも戦局の悪化に伴って喪失した艦もあり、本級が堂々と艦隊を組んで空母を護衛する状況は 発生しなかった。
 魚雷発射管の搭載も、本艦にとって大きな負担となった。発射管と4本の予備魚雷だけでなく、 その操作要員の増加も艦型の大型化に拍車をかけることになる。一般の人には理解し難いかも知れないが、 元々狭い艦内に多数の乗員が乗っている艦艇にとって、人間が増えるということは重大問題なのである。 戦時中の機銃増加の場合等では居住性云々を議論する必要は無かったかもしれないが、 新造時では食料・水を始めとして最低限の生活を確保しておかなければならない。発射管がなければ もっと小型で生産性も上がるので、より多くの艦を戦線に送り出すことが出来たはずである。
 High-low Mixという言葉がある。高性能の兵器は価格が高いので多数揃えることは出来ない。 そこで数の不足を補おうとすれば、性能的には低くても安価な兵器に頼らざるを得ない。 この相反する2系統の兵器を併行して揃えていこうというのが、High-low Mixの考え方である。 この考え方は決して新しいものではなく、呼称は異なっても昔から存在する考え方なのである。 平時には性能の高さが最優先で要求され、戦時になると生産性が最も重要な要素へと変貌する。 連合艦隊も生産の主力は丁型や海防艦となり、手間のかかる秋月級が優先されることはなかった。 尤も後期の艦が就役した時には、もはや護衛すべき空母も僅かであり、燃料は底をついていたのであるが。

 外国の例を見れば、英海軍では5500屯13p砲10門のダイドー、米海軍では6000屯5吋砲12門の アトランタが建造されている。両艦共秋月の2倍の排水量を持ち、ある程度の舷側装甲も 施されているので、巡洋艦への分類は妥当なものであろう。
 自艦防御のための機銃の数は、両艦共秋月を大きく上回っている。しかし主任務たる空母護衛に 関して言えば、射程の長い長10p砲を装備した秋月は、両艦に匹敵する火力を持っていると言って よいだろう。更に言えば、護衛艦としては6000屯の排水量はあまりにも大きすぎる。独立した 機動部隊として運用するためには、対潜警戒も含めて数隻の駆逐艦を同行させることになるだろう。
 輪形陣というのは、対航空機防御を考慮した隊形である。速度の速い航空機は何れの方向からでも 攻撃可能なので、空母を中心として全方向に対空防御の艦艇を配置する必要があるのだ。アトランタを 艦隊に配属した場合、最も多い正横からの攻撃に対処するためには、最低2隻は必要である。これを 秋月が担当したとすれば、概ね4隻の配備が可能となるわけで、防空能力は比較するまでも無いだろう。 秋月こそは、前大戦で出現した最強の防空艦であったと断言する。

 昭和17年秋、秋月は就役早々ソロモン海域に進出した。見慣れない艦を発見した米軍機は航空撮影 を行い、写真は情報部艦型識別班に送られて分析され、新型の防空艦であると判断を下された。 新鋭艦出現の情報は直ちに全軍に伝えられたが、このような素早い対応は米軍の長所であり、日本海軍 とは対照的であったと言える。ただしその真の実力を知るのは交戦した直後になるのだが・・・

 最後に、計画のみに終わった防空巡洋艦の概要を紹介しておく。既存の由良・天竜の改造型も計画 されていたが、やはり注目すべきは新規計画艦である。公試排水量は8500屯、連装12基の長10p砲は 前後部及び中央両舷に3基ずつ配置され、それぞれ独立した射撃式装置を持っていた。長10p砲24門 の計画艦は、砲1門あたりの排水量では秋月よりも小さく、極めて重武装の防空艦であったと言える。 しかしアトランタの項でも述べたように、空母の護衛では1艦だけ超強力な艦がいてもしょうがない。 それよりも秋月級の艦を多数揃えた方が効果的なのである。

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