昭和19年6月に発生した「マリアナ沖海戦」は、
最大規模の空母機動部隊による海戦として知られているが、
この海戦に関する記事の注目点は小沢長官の採用したアウトレンジ戦法であり、
その可否について述べられたものが多いように見受けられる。
戦術的に見ればアウトレンジ戦法は興味を引くものであるが、
この海戦の結果がもたらした最大の意義は、
太平洋戦争の帰趨が完全に決したことであり、
日本の勝算は皆無となってしまったことにある。
まだ艦隊は残っているとか、本土には決戦用の戦力が温存されているとか、
徹底抗戦と言う無責任の発言をする者は多い。
そしてそのような発言をする者に限って、
終戦となれば前言を翻して従順であることを装い、
己の命だけは大切にする輩が多いように見受けられる。
本稿では単に戦術的に海戦を分析するだけでなく、
その後の戦局に与えた影響についても述べていくこととする。
先ずこの海戦を戦術的に見た場合、
両軍の戦力差には著しいものがあり、日本軍の勝算は極めて少なかったと言ってよい。
当時の日本海軍がどの程度敵情を把握していたかは不明な点も多いが、
米軍の戦力の見積もりは甘く、
自軍の戦力を過大視する傾向は依然として存在していたと言えよう。
孫子の言う『敵を知らず己を知らない』状態であり、
自分に都合の良い条件だけを考慮しての作戦であったと言わざるを得ない。
アウトレンジ戦法に拘った小沢長官及び首脳部の考え方は、
敵にだけ損害を与え、自軍は安泰とするものであった。
当時の戦力差及び生産力を考えるならば、
戦略的に正しい選択であったと思われるかもしれない。
確かに狙い通りに作戦が遂行されるならば、
日本軍にとって最善の作戦であったということが出来よう。
しかしそれは自分に都合の良い条件だけを考慮し、
自軍の欠陥及び現実の敵の行動を無視したた独善的な考えであり、
開戦後の戦訓が全く生かされていないと言って良いだろう。
自軍の搭乗員の練度が低く、
アウトレンジ戦法を実行するための長距離飛行能力が無いことは、
現場の指揮官から首脳部にも報告されている。
ミッドウェイ攻略戦に先立っての机上演習においては、
都合の悪い結果が出た場合には自軍に有利になるように仮定を変えてやり直し、
最終的に日本軍勝利と言う結果を導いている。
机上演習とは客観的な条件の下でシミュレーションを行い、
作戦の成否について検討すべきものである。
恐らくこの海戦の机上演習においても、
搭乗員の実情を知っている現場指揮官の意見は無視し、
搭乗員の練度を遥に高く見積もって検討したものと思われる。
後に小沢長官は、
「アウトレンジ戦法が駄目ならどのような作戦があったのか」と語っているが、
実際この海戦に日本軍が勝利することは極めて困難である。
しかしアウトレンジ戦法が適切な作戦であったかと言えば、
やはりそれは自軍の安泰、更に言えば自らを死地に曝さない、
甘い考えに基いた作戦であったと言わざるを得ない。
アウトレンジ戦法と言う戦術を検討する前に、
この海戦の戦略的意義をはっきりさせておかなければならないのだが、
ご多分に漏れず戦略的には曖昧なまま戦場に向かっているように見受けられる。
敵艦隊の撃滅を最優先とし、そのためには自軍の損害も顧みない方針を採るのか、
逆に味方艦隊の温存を最優先とするのかによって、
戦術も大きく異なってくる。
勿論最小限の損害で最大限の戦果を挙げることが出来れば理想的であり、
アウトレンジ戦法はそれを狙ったとも考えられるが、
現実を客観的に見て判断するならば、
アウトレンジ戦法は艦隊の温存を最優先する作戦であったと言うことが出来よう。
なおマリアナ沖海戦はあ号作戦の一環として発生したものであり、
単独に切り離して評価するのは必ずしも適当であるとは言えない。
そしてあ号作戦全般を見回してみると、
日本軍の怠慢な作戦行動を至る所で見ることが出来る。
敵の動きを敵の立場になって検討することがなく、
自分の都合が良いように敵の来襲を想定して防御体制を固めた結果、
多くの奇襲攻撃を受けて多大の損害を出す結果となってしまった。
陸海軍共にその人事は硬直化したものであり、
それが柔軟な作戦遂行を阻害していたことは随時指摘されているが、
あ号作戦においても従来からの慣習を変えるまでには至っていない。
下士官兵は月月火水木金金の猛訓練で精強になっていたが、
将官級の失策を下士官兵の努力で挽回することは不可能と言っても過言ではない。
日本海海戦勝利の最大の要因は、
敵艦隊の撃滅を最優先すると言う一貫した戦略によるものである。
結果的にはロシア艦隊の長期航海による疲労・訓練不足等にも助けられ、
味方の損害は予想外の軽微なものとなったのだが、
その戦略はいかなる損害を出しても敵を撃滅することにあったのである。
いわゆる「刺し違えてでも相手を倒す」気構えで臨んだわけであるが、
マリアナ沖海戦ではその気迫は忘却の彼方となっていた。
戦術に絞ってこの海戦を眺めてみると、
空母決戦とは言いながら大きな戦果を挙げているのは潜水艦である。
ただしそれは米潜に限っての話であり、
味方の潜水艦は旧態依然とした海軍の方針に縛られて戦果を挙げるに至っていない。
また、この海戦では航空機による決戦に気を取られていたので、
潜水艦に対する警戒が手薄になってしまった、と言う言い訳は通用しない。
日本海軍でも艦隊決戦に潜水艦を協力させることを計画していたのだから、
それが航空決戦と形を変えても潜水艦の参戦は当然予期していたはずである。
燃料不足も作戦に制限を及ぼす要因の一つであり、
あ号作戦以前から日本軍は石油不足に陥り始めている。
これは米軍の潜水艦を甘く見ていたことも一因であるが、
最大の原因は消費量の見積もりが甘かったことであると言えよう。
開戦時に備蓄していた何年分と言う見積もりは、
決戦海面を西太平洋とした場合の消費量に基くものと思われるが、
現実の戦況は戦線を広大な範囲に広げてしまったので、
当然開戦時の見積もりは大きく狂うことになってしまう。
日露戦争における弾薬消費の実例を見れば、
その消費量は開戦前の見積もりを大きく上回っている。
こうした先例を注意深く分析していけば、
弾薬のみならず燃料の消費量も見積もりを上回るであろうと推測することが出来る。
負け戦から戦訓を学ぶ者は多いが、勝ち戦からでも学ぶことの出来る者は少ない。
尤も負け戦からも何ら学ぶことのない人間も多いのであるが・・・
内地では航空燃料の不足から搭乗員の訓練を十分に行うことが出来ず、
燃料の豊富な南方方面においては、
潜水艦の出没によって空母への発着艦訓練が十分に出来なかったとされている。
これに加えて艦隊に随伴できる高速油槽船の確保も十分ではなかったので、
小沢艦隊は艦艇の行動にもある程度の制限を受ける状態のまま、
戦場に向かうことになってしまったのである。
空母「大鳳」を攻撃した潜水艦「アルバコア」の記録によれば、
「大鳳」の速度を27kt程度と見積もって雷撃したようである。
日本側の記録は無いようであるが、
27ktと判断して6本中の1本だけではあるが命中しているのだから、
「アルバコア」の判断に大きな間違いはなかったものと思われる。
一般的に発着艦作業を行う航空母艦は、
相対風速を上げて搭載機の発着艦を容易にするために、
風上に向かって全速で直進することになっている。
特に未熟な搭乗員に対しては絶対に必要なことであり、
経験を積んだ搭乗員の場合には発着艦間隔の短縮にも繋がる。
また、発着艦作業のために直進せざるを得ない空母は潜水艦にとって絶好の目標であり、
その襲撃を避けるためにも実戦での発着艦時には全速航行が必要となってくる。
「アルバコア」の攻撃距離は2,000ydsであり、
雷速40ktと仮定すれば走行時間は100秒となる。
もし「大鳳」が実際の27ktではなく、全速の33ktで航行していたとすれば、
その間に300m、即ち艦の長さ以上余計に進んでいたことになる。
勿論その場合には「アルバコア」も発射諸元を修正して攻撃することになるが、
目標の移動範囲が大きくなるので命中確率は低下することになる。
更に言えば「大鳳」の移動が早ければ、
襲撃可能地点はもっと遠方になっていたことも考えられる。
全速航行をしていれば確実に被雷を避け得たとは断定できないが、
27ktでの航行はやはり燃料不足が原因であると思われ、
燃料不足が「大鳳」の喪失にも影響していたと推察される。
「翔鶴」の場合には速度の記述は見当たらない。
しかし攻撃距離が1,200yds程度と近くなっているとは言え、
6本中の3〜4本命中していることから推測すれば、
やはり全速航行をしていなかったことも考えられる。
幾ら燃料不足とは言え、既に「大鳳」が米潜の襲撃により被雷しているのだから、
もし全速での発進作業を行っていないのであれば、
それは小沢艦隊の怠慢であると言わざるを得ない。
ただ1発の被雷に過ぎない「大鳳」の沈没原因が、
漏れたガソリンの気化・引火爆発によることは良く知られている。
当時の船殻構造は鋲接を主体としたものなので、
爆発の衝撃等によって鋲継手が緩み、液体が漏れ出すことは十分に予想されていた。
それ故に油タンクの周囲にはコファダムと呼ばれる小区画があり、
漏れた油をその区画に止められるように計画されていた。
更に揮発性の高いガソリン(軽質油)タンクの場合には、
戦闘に先立って水を張ることにより、
損傷した場合の漏洩を防ぐようになっていた。
では「大鳳」の場合には張水されていたのだろうか。
記録がないので真実は不明だが、
被雷後の経過を見れば水は張られていなかったと見るのが妥当であろう。
現場での張水の担当が機関科になるのか航空科になるのかは不明だが、
その指示は艦長から発せられるべきものであり、
現場で勝手に張水することは出来ない。
米潜の脅威は出港時から、
と言うよりはその前の訓練時から現実化しているのだから、
応急面に理解のある人間ならば出港時から張水を指示していたはずである。
しかし日本海軍では兵科の将校が機関科将校の上位に位置しており、
機関科からの進言は無視されてしまう可能性も十分に考えられる。
甲板関係でも応急作業に携わるのは運用や主計関係の人間と思われるので、
応急面に詳しい兵科将校が居なかった可能性は高いと言ってよいだろう。
攻撃訓練だけに偏重した日本海軍の欠陥が、
本来ならば沈まないはずの「大鳳」を沈めてしまったと言うことも出来よう。
次艦の「信濃」ではガソリンタンクの周囲を鉄筋コンクリートで固めているが、
これは「大鳳」の沈没に対する過剰反応と言うことが出来る。
確実と言えば確実であるかもしれないが、
その反面馬鹿にならない重量と工数を要している。
もし「大鳳」が事前の張水によって沈没を免れていれば、
恐らく「信濃」のコンクリート工事は施工されなかったであろうから、
幾分か就役が早まった可能性もあり得る。
応急に対する認識不足が、悪い方向へ加速されてしまったような気がする。
冒頭で本海戦の敗戦によって戦争の帰趨が決したと述べたが、
これは極めて重要なことである。
何故ならば非戦闘員の死傷者の大多数は、本海戦以降に発生しているからだ。
もしこの敗戦を機として終戦が早まっていれば、
非戦闘員の被害は軽微なものに抑えることが出来たはずである。
なお兵隊とは言っても徴兵の乱用で一般国民を掻き集めているのだから、
籍は軍隊にあっても実質的には非戦闘員と大きく変るところはない。
本海戦以降も空母は存在し、戦艦も巡洋艦も存在し、
内地の陸軍も健在である。
従って大勢を知らない下級将校が敗戦を潔しとせず、
最後まで徹底抗戦を唱えるのは無理もないことかもしれない。
しかし戦争指導者たる高級将校が客観的に戦況を把握することが出来ずに、
策も無く戦争継続を主張するのは犯罪行為とも言うべきものである。
ほんの僅かでも良いから戦略眼を持ち、
彼我の戦力並びに国力を把握して分析出来る者ならば、
如何にしたら早急に戦争を終結させるかに目が向くことだろう。
計画性も無くずるずると戦争を延長し、
無意味に多くの国民を死に追いやりながら、
己の身の保全だけは確保する軍人の多さにはあきれ果てるばかりである。
幹部候補生学校には5分間講話と言うのがあった。
恐らく現在でも継続されていることと思うが、
起床後の体操の後に、候補生が順番に自分の考え等を同じ分隊の同僚に話すのである。
ある時私はこの海戦を例に取り、負けは負けと認めること、
引く勇気を持つことも大切である、と言うようなことを述べたことがある。
仲間の反応は予想通り、まだ負けではない、戦うべきだ、と言う反論が多かった。
まだ20代前半の血気盛んな頃だから、
戦略的な判断力に欠けていたとしても、それは止むを得ないことであろう。
ではどのような作戦で戦局を挽回できるのか?
と訊いてはみたかったが実行はしなかった。
答を期待できないのは明らかであったからだ。
再び小沢長官の言に戻るが、
アウトレンジ戦法以外の作戦を選んでも勝算が乏しいことは事実である。
私も幾つかの作戦を検討してみたが、
SF的な新兵器でもない限り、日本軍を勝利に結びつけることは出来なかった。
勿論一部の架空戦記のように、あるいは海軍の机上演習のように、
実現性を無視して自分に都合良く戦闘結果を導けるならば話は別であるが。
作戦の成功を困難にしているのは兵力差が大きな要因であることは勿論だが、
しばしば指摘される搭乗員練度の低さ、更に燃料不足による艦隊の行動の制限、
そして米潜の接触による行動の非隠密性も大きな要素となっている。
片や敵艦隊の発見に四苦八苦しているのに対し、
片や常時その存在を把握できるような状況では、
自分だけ駒を表にして軍人将棋を指すようなものであるのだから。
では小沢艦隊の最善の策としては、
どのようなものが考えられるだろうか。
既に述べているように、艦隊の温存を図るのならアウトレンジ戦法でも良い。
しかしこの海戦を日米決戦の分岐点にしたいのであれば、
刺し違える覚悟で肉薄していくしか勝算は無い。
日本海海戦における東郷艦隊は、
ロシア艦隊の撃滅と言う戦略目標をはっきりと認識し、
自らの危険も承知で決戦に持ち込んだ。
この海戦においても戦略目標が米艦隊の撃滅にあるのならば、
当然接近して決戦に持ち込まなければならないのである。
決戦に持ち込んだところで、日本軍の勝算は極めて薄いものであろう。
戦力差を考えれば敵艦隊を撃滅して自軍だけ無事であることは考えられず、
上手く行っても小沢艦隊が潰滅的損害をこうむることは避けられないだろう。
そしてこの海戦で日本海軍が潰滅していれば、
戦争の終結は現実よりもずっと早いものになっていたと考えられる。
また、この海戦で米軍に大きな打撃を与えたところで、
日本政府及び軍部の貧弱な外交能力では、
欧米諸国の思想及び政策からから推測して、
講和条件が有利になる可能性はそれ程大きなものとはならないだろう。
陸海軍の不協和も早期終戦への大きな障害であり、
やはり無条件降伏に近い形での戦争終結となった可能性は高い。
では捨身の米艦隊への突撃が無駄になるのかと言えば、決してそうではない。
戦争期間が短縮されると言うことは確実に被害の軽減に繋がり、
特に前述したような非戦闘員の死傷者は軽微なもので済むことになる。
米艦隊の大損害は米国民にも大きな影響を与えるであろうから、
戦争終結を望む声が高まることは考えられる。
何れにしても明確な目的も無いまま戦争を続けるのは愚の骨頂であり、
戦争責任を回避したいだけの指導層の自己中心的な行為に過ぎない。
軍隊とは国民を守るものではなく、国を、
と言うよりは軍隊と言う組織を守るためのものだとも言われる。
戦争末期の日本軍の様相は、
正にその通りであると言うことが出来よう。
戦争に限らず、勝負事の勝敗は自軍の好手段によるものよりも、
相手の失策によって決着する場合の方が遥に多い。
人間の行為である以上失策を冒すことは避けられないが、
自分の失策を警戒しつつ、相手の失策を誘うのも勝負のコツである。
戦力的に不利なマリアナ沖海戦において日本軍に勝利があるとすれば、
米軍の失策を招くような作戦が必要であったということが出来よう。
極めて困難な課題ではあるが・・・