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 海洋観測艦「すま」

 昭和54年度計画AGS、即ち後の海洋観測艦「すま」は、 日立造船舞鶴工場において前年度計画の駆逐艦「しらゆき」と併行して建造された。 建造隻数の少ない海上自衛隊において同じ船台に2隻が並ぶのは珍しいことであるが、 幸いなことに両艦の監督官を務めることが出来て貴重な経験をさせてもらった。
 と言いながら、冒頭からケチを付けるような発言になって申し訳ないのだが、 私はこの『海洋観測艦』と言う長ったらしい名前が嫌いである。 任務を忠実に表していると言ってしまえばそれまでだが、 艦船が実施する観測は大抵が海洋に関するものなのだから、 単に『観測艦』としても本艦の目的から外れるものではない。 他にも『潜水艦救難母艦』やら『多用途支援艦』と言った何とも無粋な艦種名があるが、 それならば「しらせ」は是非とも『砕氷観測輸送艦』にしてくれと言いたくなってくる。
 
 余談はさておき、本艦は3年線表(予算成立年を含み3年以内に完工させる)なので、 5年線表の53DD(しらゆき)よりも1年早く就役することになる。 日立造船舞鶴工場には船台は1つしかないので、 もし本艦を受注することになれば船台で2隻同時に工事を進めるか、 商船用の巨大な建造ドックで小さな本艦を建造することになる。 本艦は大きさの割りに幅の広い船型をしているが、 舞鶴工場の船台は余裕があるとは言えないまでも、 53DDとの2隻併行建造が可能な幅を有していた。 ただしそのためには予め盤木をそのように配置しておかなければならない。
 53DDの起工は54年12月だが、 その時点ではまだ本艦の建造予算は成立していなかったはずである。 したがって2隻を同時に建造することになるかどうかは不明のままであるが、 現在の起工式は形式的なものであり、 かつての鋲接艦の時代のように起工と共に船台上に部材が載る訳ではない。 実際に船台上に姿を見せるのはある程度のブロックが完成してからになるので、 盤木はそれまでに設置すればよいことになる。 実際にブロックの搭載が始まったのは5月の連休が明けてからであり、 盤木の設置も4月になってから行なわれている。 なお本艦用としては場所を確保しておくだけでよく、 盤木の設置を行なったのは翌年になってからのことである。
 右の写真は翌56年5月連休明けの状況であるが、 本艦の場合には構造・艤装共に戦闘艦艇ほど複雑なものではないので、 ブロックが載りだすと船体の形が現れてくるのも早い。 左側の53DDとの間隔は必ずしも十分であるとは言えないが、 両艦の工事を進める上で支障が発生するようなことは無かった。 また船台の右手の方に加工工場とブロック置場があるのだが、 本艦のブロック搭載作業に際しては53DDの存在は全く影響が無かった。
 写真では本艦の甲板が灰色っぽく見えるが、 これは鋼板の下地処理剤として従来のウォッシュプライマーではなく、 ジンクリッチプライマー(以下ジンクと略す)を使っているためである。 防錆効果としてはジンクの方が優れていることは既に知られていたのであるが、 当時はまだ防衛庁の使用基準では認められていなかった。 別記事の「しらゆき〜その1」の中でも述べておいたが、 53DDにおいてもジンクの使用は検討されている。 しかし53DDの場合には高張力鋼も使っているのでジンクの使用は避けたのであるが、 本艦で使っているのは軟鋼のみであり、設計もNK準拠として行なっているので、 ジンクを使いたいと言う造船所の希望に沿って使用を認めたものである。
 厳密に言えば違反行為ということになるかもしれないが、 どちらが良い船として仕上がるかと言えば明らかにジンクの方である。 商船に比べて艦艇の場合には船台期間が長いので、 ウォッシュプライマーではどうしても錆の発生が避けられない。 一旦錆が発生してしまえば現場での錆落し作業には限度があり、 出荷直後の鋼材の状態にまで戻すことは出来ない。 価格的にジンクの方が高いのも防衛庁が使用をためらう理由の一つであったが、 錆が抑えられれば錆落しの作業が不要となるので、 結果的にはジンクを使った方が建造費を抑えられるのである。 ただし原価計算は私の所掌範囲ではないので、 どの程度反映されているかについては不明である。
 防衛庁の監督官と言う立場から言えば、 使用基準に従ってジンクの使用は認めない方が得策である。 建造費が上がったところで本人の懐が痛む訳ではないし、 錆が発生し易いと言っても従来と同じ状態なのだから、 何ら責任を問われることは無い。 公務員精神を重視するならば、新しい事には手を出さない方が賢明である。 しかし私は少々へそ曲りなところがあるので、 そのような考え方は大嫌いであった。 自分が手掛ける船である限り、より良い物を造りたいと言う気持ちの方が強かった。 しかしこのような考え方は損をする場合の方が多いので、 他人にまで押し付ける気は無い。
 
 本艦の主要艤装品は後甲板に装備されることになるが、 一番艦でもあるので実物大の模型審議が実施されている。 模型審議と言うのは艤装品を装備した後甲板の状態を実寸で作成し、 投入・揚収等の各種作業が支障なく行なえるかを確認するものである。 不都合があれば手直しをして再確認をすることになるのだが、 海上自衛隊の実施する模型審議の参加者は海幕に勤務する幹部自衛官が殆どであり、 就役後実際に作業する下士官級の人間ではないという大きな欠点が存在する。
 模型審議の結果と、後に艤装員が発令されてからの意見の食い違いは、 2番艦として建造されている53DDにおいても見られたことである。 しかし艤装員から要望が出される頃には工事も進んでいるので、 大幅な変更は殆ど不可能な状態となっている。 幸い本艦の場合には深刻な事態に陥ることは無かったが、 模型審議のあり方については実情に合わせて検討すべきであろうと考える。
 
 本艦は53DDに遅れること1ヶ月弱で進水となったが、 ブロックの搭載を始めてから半年ほどなので、船台期間は53DDに比べると格段に短い。 船首の進水用抱台は53DD同様船体に固着したものであるが、 53DDに比べれば長さも短いし進水重量も軽いので、 初めて採用した53DDの時のような不安は全く無かった。
 日立造船の検査・監督を担当していた舞鶴調達管理事務所の船体担当者は私一人であったが、 本艦のブロック検査が始まる頃から同地区にある舞鶴造修所の若手幹部が兼務発令となった。 恐らく戦後では前例の無い2隻併行建造と言うことで監督態勢を増強したものであるが、 下請け検査の多い横浜や大阪の検査官から見れば贅沢な配備に思えたかもしれない。 確かに私一人でも全く不可能と言う訳ではないのだが、 若手の教育も兼ねての人事と思ってご容赦頂きたい。 なお純粋に技術的な見地から見るならば、 余程の小型船で無い限り、検査官はともかく監督官は一艦一名が本来の姿なのである。 下請け検査のために担当艦を離れる時間の方が多いような状況こそが異常なのであるが、 恐らく現在でも改善はされていないことと思われる。
 船体部監督官は進水後の状態を確認するために乗艦することにしているが、 53DDでは私が乗り込んだので今回は彼に任せることにした。 造修所との兼務なので忙しかったかもしれないが、 若い内に貴重な経験が出来たのは幸運なことであったかと思われる。 53DDに比べると地味な艦となるので見学者も少なく、 進水式自体は幾分か控えめな感じであったかもしれないが、 天候には恵まれたので気持ちの良い進水式であった。 なお進水後海面に浮かんだ本艦の写真を写真室に掲載してあるので、 興味があったらこちらから御覧頂きたい。
 
 本艦の主要装備品は観測機材であるが、 それらの機材を有効に使うためには静粛性が要求されるので、 主機を止めても航行出来るように船首に電動式の補助推進器を装備している。 ただし潜水艦のように大容量の蓄電池を搭載している訳ではないので、 船首推進器を使うためには発電機を運転する必要があるが、 騒音の発生を抑えるために発電機には防振装置を付け、 船底からの距離をとって船首楼甲板上に装備されている。
 本艦の船首推進器は揚降式となっており、 下部には船底外板と面一になるように整流版が取り付けられているので、 通常航海時には艦内に収めることによって推進抵抗の増加を防ぐことが出来る。 船首推進器は全周旋回式となっているので、 サイドスラスターの役割を果たすことも可能となっている。 また船首推進器のみによる速力及び旋回試験も行なっているが、 規定値は無かったように記憶している。 なお船首推進器の装備は本艦が初めてではなく、 試験艦「くりはま」でも同様な推進器が装備されていたと記憶しているが、 本艦用のものと同じ形式かどうかまで分からない。
 本艦はその任務遂行上単艦での長期行動が多くなるので、 乗員の精神的な休養を主目的とした休憩室が設けられている。 元々が小さな船なので床面積は僅かなものであるが、 落ち着いた雰囲気が出せるように内張りを張ってフレーム等が見えないようにし、 内張りや家具類は木目調の物で統一した。 ただし電装品や武器関係に属する通信機器等は艦艇の標準色のままなので、 完全に室内の色調が統一されていた訳ではない。 デザイン的には残念な結果となってしまったが、 自分の所掌範囲外のことにまで口を出すことは出来ないので止むを得ない。
 戦闘艦ではフィン式の減揺装置が一般的になっているが、 フィン式の欠点は低速航行時には効果が期待出来ないことである。 したがって本艦ではタンク式の減揺装置を装備し、 低速航行時でも減揺効果得られるようになっている。 減揺タンクは同じ容量ならばタンク間の距離を大きくした方が効果的なのであるが、 残念ながら本艦の場合には船幅一杯にまで取ることは出来なかった。 本艦は小さな船体に多数の観測機材及びその運用機器を満載しており、 それらの運用作業を支障なく行うためのスペースの確保が優先されるので、 減揺タンクの幅が縮小されてしまったのも止むを得ないことである。
 
 船体構造関係では船首推進器の周囲が他艦には無い特殊なものとなったが、 全般的には特記するような特殊な構造は無い。 ただし上甲板中央部の配置が左右舷で大きく異なっているので、 船首楼甲板の外板はこれに合わせて左右舷でその長さが異なっている。 強度甲板は船首楼甲板で縦強度を計算しているが、 外板の短い右舷の影響を考慮して船首楼甲板の有効面積を減じても全く問題は無かった。 全長も短くてずんぐりとした船型なので、 強度甲板に余程大きな開口が無い限り縦強度が問題になるようなことはない。
 上甲板上の配置が左右舷で異なる原因は観測作業を右舷で行うためであるが、 その作業の支障とならないよう2隻の搭載艇は何れも左舷に搭載されている。 搭載艇の内の1隻は一般的な内火艇よりも大きな11m作業艇なので、 小さな本艦に搭載されるとより一層大きく感じられる。 上甲板の非対称な配置と合わせて右舷後方から見ると、 あるいは重心が左に偏っているような印象を受けるかもしれない。 しかし艦の重心は目に見える範囲の船体や装備品だけで決定されるのではなく、 艦内の装備品も合わせて最終的な重心位置が決定するので、 他の機器の位置を工夫することによって船体中心に重心が来るようにし、 横傾斜が発生しないように設計されている。
 
 本艦の海上公試は年が明けてからであったが、 日本海側では最も気象条件の悪い季節である。 幸い悪天候で公試が延期され、納期に遅れるような事態とはならなかったのであるが、 雪による塗装への影響には悩まされた。 年末までに引渡し出来れば雪の影響は殆どないのであるが、 官給品の納入が順調であれば本艦程度の大きさなら十分可能であると思われる。 ただし本艦の場合には53DDとの併行建造となってしまったので、 年度末ぎりぎりの引渡しとなってしまったのは止むを得ないことと思われる。

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