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 駆逐艦「しらゆき」(3)

 前回は駆足で進水まで進めてしまったので、 今回は船台上の工事で説明を省略したものから紹介していくことにする。
 先ず最初は軸心見通しであるが、 単に軸心と言った場合には推進軸の中心線を意味している。 一般的な艦艇の機関室は船体中央部にあるので、 推進軸も商船等船尾機関の船に比べるとずっと長い。 従って船体歪の影響も受け易いので、 主船体の溶接工事が終わってから軸心を出すことが好ましい。 しかし実際には工程との関係があるので、 全ての主船体ブロックの搭載が終わるまで待つだけの余裕は無い。 そこで推進軸より前方のブロックによる熱影響は無いものと判断し、 軸が貫通する範囲のブロックの固めが終わったら見通しを行っている。 この方法で何ら問題は発生していないので、 実際前部ブロックの溶接による熱影響は無いものと思われる。
 船台上の船は太陽熱によって甲板が膨脹し、 昼は船首尾部が垂れ下がっているので、 軸心見通しは温度が安定する深夜に行われる。 具体的には船首尾部の上下方向の変化を計測し続け、 動きが止まってから見通しを開始することになる。
推進軸受  見通しが終わって軸心が決定したら、 各々の軸受は軸心を中心にして切削作業を開始する。 軸受部の鋳物の肉厚はある程度の余裕をもって作られているが、 もし軸心が大幅に狂ってしまった場合には、 必要な肉厚を確保出来ない場合も考えられる。
 右の図は軸受部の断面図であり、 白い部分が鋳物、黒線はその中心を示している。 青線のように若干軸心がずれただけならば、 十分な肉厚を確保出来るのでそのまま削っていけば良い。 しかし赤線のように大きくずれてしまうと、 一方では強度上必要な鋳物の肉厚が不足し、 他方では軸受が推進軸に接しない状態となってしまう。 これでは推進軸を通すことが出来なくなってしまうので、 ブロック段階からその精度を把握しておき、 船台搭載後はブロック継手部の溶接歪の影響に注意を払い、 計画値とのずれを確認しながら搭載していく必要がある。
 本艦の場合には左右両舷共減速機が同じ位置にあるので、 推進軸の傾斜はどちらも同じである。 しかし所謂シフト配置の場合には軸の傾斜と長さが異なるので、 この点にも十分注意しておく必要がある。 軸心見通しでは長さ方向の計測も重要であり、 特に本艦のように可変ピッチプロペラ装備艦では作動油圧管が内部を走っているので、 許容範囲もより厳しいのではないかと思われる。
 
 主船体の溶接工事が終了し、上部構造物も載って船殻関係の工事が終了すると、 船体中心線の見通しを行い、その標示板を取り付ける。 標示板は暴露甲板に設けるが、 船体中心に構造物がある場合には左右どちらかへ平行移動させて設置する。 後に改装工事等を行う場合には、 この標示板に基いて搭載位置を決定することになる。
 船体中心線と同様水平面の基準となる標示板も必要であるが、 そのためにはキール見通しを行ってベースラインを定めておかなければならない。 ブロック搭載時には船台盤木の上面を暫定的なベースラインと見なしている訳だが、 ブロックを結合していくと僅かだがその下面は波を打っている。 キールは盤木に載っているので、キール見通しも直接行うことは出来ず、 見通し線を平行移動させて計測する。
 計測が終わるとその値を基にして、本艦のベースラインが決定される。 少し艦艇に詳しい者だとベースラインはキール上面と言う知識を持っていると思うが、 それはあくまでも計画あるいは設計時のベースラインであり、 就役した実艦では多少ずれているのである。 勿論船底の凸凹が全く無ければべースラインはキール上面となる訳だが、 そのような工事は不可能であると言って良いだろう。
 凸凹と言ってもせいぜい1p程度のものであり、 精密機器に従事している者にとっては巨大に感じられるかもしれないが、 船とすれば全長の1万分の1以下であり、精度は高いと言うことが出来よう。 何しろ太陽熱による船首尾部の上下動はそれ以上であり、 水に浮かべば波の影響でやはり船体は大きく撓むのであるから。
 実際に計測したキール下面の値を基にして新しいベースラインを決定する訳であるが、 その計算方法に関して改善点があると思ったので設計に提案したのだが、 造船所としては従来の方法でやりたいと言う意向であった。 現場では積極的に新しい方法を試みて進水作業を行ったのに対し、 設計部門で従来の方法に拘ることに何かしら違和感を感じたものだが、 勿論従来の方法で不都合が発生する訳ではない。
 設計でも現場でも、従来の方法を踏襲していれば無難であり、 大きな問題が発生することは無い。 その反面、それではいつまでたっても進歩しないとも言えるのであるが、 新しい方法を取り入れた場合には思いがけない不具合が発生しないとも限らない。 それ故に人間は保守的になりがちなのであるが、 本艦では進水作業以外にも幾つかの新しい試みを実行している。 詳細は省略するが何れも十分に検討を行っており、 就役後に不具合が発生したと言う話は聞いていない。
 話が横道に逸れたが、ベースラインが決定すれば水平基準板の取付が可能となり、 吃水標の書き込みも可能となる。 吃水標の位置は実測し、適宜溶接ビードを置いて後の作業の便を図っている。 吃水標は外板の塗装が終わらなければ書き込めないし、 船底塗料は塗装から水に浸かるまでの時間が定められているので、 直ちに吃水標を書くことは出来ないのである。
 塗装の話が出たのでついでに紹介しておくと、 現在の艦艇では艦首両舷に艦番号が書かれ、艦名は艦尾端の1箇所だけである。 吃水標同様これらの書き込みに当たっても作業の便を考慮して要点に溶接ビードを置き、 それらを繋いで文字を完成させる。 ポンチを打ち込んでマーキングする方法もあるが、 余り浅いと塗料に隠れて見えなくなってしまうし、 外板に傷をつけるのだから深過ぎるのも問題である。 溶接の場合にもショートビードでは悪影響があるので、 ある程度の長さのビードを置くようにしている。 商船では船名を切り抜いた鋼板を溶接する場合もあるが、 艦艇ではそのようなことは行っていない。
 進水前にやっておかなければならない作業の一つに、船体主要寸法の計測がある。 主要寸法には防衛庁の定める許容範囲があり、 その範囲内に入っていなければ不合格となる。 実際にはブロック単位で計測を行い、 ブロック継手の開先を取る段階で微調整を行っているので、 誤差の発生はせいぜい長さで数p程度のものである。 同型艦と言っても実際の主要寸法は微妙に異なっていることになるが、 その差は2隻が並んで係留していても肉眼で分かるようなものではない。 時として長さをp単位まで表示している例を見かけることがあるが、 それが実測値であるかどうかまでは外部からは判断できない。 なお主要寸法の計測に当たっては、計測時の気温は定められておらず、 気温に対する修正も無い。
 現場での計測作業は船台基準盤を利用して行われ、 巻尺等を使って実測していく。 この場合注意しなければならないのは、船台には傾斜があるので、 新しく定められたベースラインに垂直又は平行に計測しなければならないことである。 米軍の空母等を見ているとどのように計測しているのか興味も湧いてくるが、 本艦の場合にはそれ程複雑な形状ではないので計測も容易であった。
 
 進水が間近になると、艤装員が発令されて着任する。 艤装員は本艦の就役後直ちに乗員となることが予定されている者であるが、 艦艇の建造期間は進水後も長いので、 幹部自衛官の場合には就役前に配属替えとなってしまう場合もありうる。
 また、この年の初めから5103号艦のブロック工事が始まり、 船体部の監督官は私一人では対処出来なくなる恐れがあったので、 舞鶴造修所から一名を兼務発令して両艦の建造に当たることと なった。5103号艦は本艦の進水時にはかなり工事が進んでおり、 前回の進水前の写真では艦橋上部とマストが見えている。
 艤装員は本艦の引渡し後直ちに母港への回航が出来るように、 各部門の任務を遂行出来るよう操作等を覚えていかなければならない。 また、艤装員は初代の乗員となるために、 本艦を使い易い艦とするように細かい配置等を検討して行かなければならない。 全体的な配置を変えることは出来ないが、 細部に関しては契約図面に記載されていないので、造船所の裁量によって決定されている。 私自身も図面段階での検討には加わっているが、 実物が出来てくると思わぬ不具合が発生することもある。 艦艇は戦車や航空機のように試作品を作って検討してから量産に移るのではなく、 最初から完成品の建造に着手する点が大きく異なっている。 更に艦艇は乗員の居住空間である点でも他の兵器とは大きく異なっており、 建造をより複雑なものにしている。
 艤装員から改善要望が提出されると、 艤装員・造船所・監督官の3者で協議してその工事を行うかどうかを決定する。 基本設計の変更となることや、著しく工期が伸びるような要望は却下するが、 艤装品のちょっとした装備位置変更等はかなりの割合で行っていたと記憶している。 ただし殆どの工事が火気工事となるので、一見簡単に移設できるように見えても、 裏面の関係で施工出来ない工事も存在した。
 造船所の担当者の話では、 たとえ同型艦であっても艤装員が変れば出される要望も変るので、 以前に建造した艦の配置は参考にならないとのことであった。 本艦型では一番艦である「はつゆき」が住友重工浦賀工場で建造中であり、 既に海上公試も始まっていたことと思うが、 やはり同艦での艤装員要望が本艦に反映することは殆ど無かったようである。 舞鶴工場では後に同型艦である2217号艦(やまゆき)を建造しているが、 艤装員要望を受入れた後の本艦と同じ様な艤装をしたとしても、 新たな艤装員の要望によって変更を迫られたものもあると思われる。
 新たに建造される艦型の一部の区画は、 模型審議と言って実物大の木製の模型を作り、 各種機器の配置の適否について検討することがある。 本艦型の場合には艦橋周りと機関操縦室がその対象であったと聞いており、 本来ならば検討後の模型の通りに作れば問題は発生しないはずである。 しかし実際にはそうも行かないのが実情であり、 本艦では艦橋周りへの不安が艤装員から提出された。
しらゆき&ながつき  右の写真は岸壁に係留して艤装工事中の写真であるが、 本艦の外側の艦は蒸気タービン艦の「ながつき」である。 本艦はまだ未搭載物件が多いので吃水が浅く、 実際の運用状態よりも水面上の大きさが誇張されてしまうことになるが、 両者を比較する上で良い写真かと思ったので掲載した。
 両艦の長さと幅に大きな差は無く、 正面から見た艦橋の大きさにも大差は無いと言って良いだろう。 しかし後方に見える煙突、艦橋ウイング下部の陰になっている所などから、 本艦では艦橋からの後方視界が悪いことをある程度想像出来るかと思う。 実際には更にウイング直後に巨大なCIWSが搭載されるので、 後方視界はより一層悪化することになってしまう。 CIWSの位置も模型審議で検討されているのだから、 後方視界の問題も解決しているはずである。 しかしその審議内容が現場で建造を担当する監督官に知らされることは無い。
 本艦では01甲板が飛行甲板となっており、 その上に巨大なヘリコプター格納庫が設けられている。 格納庫の左舷側には舷側一杯にまで整備員待機所が設けられており、 これもまた後方視界を妨げていることは、 後部から見た写真で良く分かるかと思う。
 巨大な上部構造物は後方視界を悪化させると共に、 風圧側面積を増大させることにもなる。 風圧側面積が大きいと言うことはそれだけ風の影響が強くなることであり、 離着岸の時にはより慎重な操艦が求められることになる。 後方視界の不良も加わって離着岸作業は従来艦には無い困難が予想され、 艦長予定者である艤装員長もこの点に不安を持っていたようである。
 この点に関しては当然のように改善要望が出されたのであるが、 現場での改善で解決できる問題ではなかった。 艦橋へは何度も行って改善策を模索したのであるが、 後方視界を確保するためにはウイングから更に張出しを設け、 艦幅を超える所まで視線を持って行くことしか考えられなかった。 しかし張出しが固定したものであれ収納式であれ、 改装工事になるので現場で勝手に施工することは出来ない。 艤装員長も独自に本艦の要求元である海幕と協議したようであるが、 結局は何ら変更することなく就役に至っている。
 艦橋の模型審議と言うと旧海軍の「高雄」型巡洋艦が有名であるが、 用兵者の要求を全て取入れた結果、巨大な艦橋になってしまったと言われている。 現在の模型審議でも用兵者の意見が最優先されることと思われるが、 建造が進んでから問題が発生すると言うことは、 模型審議自体の権威は極めて貧弱なものであると言わざるを得ない。 審議委員の構成がどのような人選によるものかは知らないが、 先任下士官等も審議委員に任命して、 より現実的な審議を行うことが重要かと思われる。
 写真があるのでついでに説明しておくが、 本艦は深さも「ながつき」とほぼ同様であるにもかかわらず、 艦尾乾舷が極端に低くなっている。 艦首乾舷と同様、艦尾の場合も「連続する2区画に浸水しても乾舷を確保できる」 と言う設計基準があったように記憶している。 本艦ではその基準に従って艦尾乾舷を確保するために、 最近の艦としては珍しく大きな艦尾シアーをつけたと聞いている。 勿論上甲板をそのまま延長すれば乾舷の問題は発生しないのだが、 直前に装備されたシースパローの影響か、 あるいは重量軽減のために一段低くしたものと思われる。
 結果的に本艦の艦尾暴露甲板は応急甲板となってしまったので、 下部にある舵取機室前部隔壁に扉を設けることは出来なくなり、 舵取機室へは暴露甲板から入るしか手段がなくなってしまった。 しかしそれでは非常時に対処できなくなる恐れがあるので、 船楼後端に舵取機室に入るためだけの廊室を設けている。 船体設計としては好ましくない配置ではあるが、 艦尾甲板が水に浸かれば舵取機室に入れなくなってしまうので、 止むを得ない措置だったようである。
 
 工事が進むに連れて艤装員の数も増し、 防衛庁で監督行為と呼んでいる工程中検査の殆どが終了すると、 海上公試、即ち各種の完成検査が行われる。 海上公試は名前の通り岸壁を離れて海上で行うものであるが、 そのためには船としての基本的な安全性が確保されていなければならない。
 船の安全性と言うと復原性が直ぐ頭に浮かぶかと思うが、 その確認のためには重心査定試験(重査)を行って艦の重心位置を求めなければならない。 重査のやり方は修繕船の場合と同じであり、 風や波の影響を受けないようドック内で行う。 一部には未搭載物件もあったかと思うが、 重量を計測して搭載位置が分かれば修正は容易である。 重査は速力公試前の出渠時に行うのが一般的であるが、 これは速力公試に必要な排水量とトリムに艦を調整するためでもある。
 その他にも安全上欠かせないものとして救命設備がある。 搭載艇の揚降試験は岸壁で可能だが、 搭載艇は両舷にあるので一度に行うことは出来ない。 現在用いられているのはグラビティ型なので、 降下に際しては作動を確認するだけで十分であるが、 揚艇に当たっては機力による時間計測を行うと共に、 人力による揚艇作業も行われる。 人力の場合でも作業に要する時間は定められているのであるが、 協力を依頼した艤装員は張り切ってハンドルを回すので、 かなり短い時間で終了したように記憶している。 人力の場合は操作する人間の腕力等を定めることは出来ないので、 艤装員が満足出来るものであるかどうかの方が重要であるとも言える。
 救命設備としては膨脹式救命筏も装備しているが、 こちらは投下装置の作動確認だけを行い、実際に海面までは落とさない。 海面まで落としてしまったら筏が開いてしまうからだ。 筏そのものの検査はメーカーで行っているので、 本艦で行うのは投下装置の作動確認だけで十分なのである。 また、武器関係の公試が始まる頃には艤装員の数も増え、 関連メーカーの乗艦者も増えるので、 その場合には臨時に救命筏を仮搭載して人数分を確保するようにしている。
 錨に関しては、揚錨機の能力試験は必要な水深のある海面まで行く必要があるが、 その前に錨の収納状況を確認しておかなければならない。 錨が外舷に設けたベルマウスにしっかりと収まっていなければ、 動揺によって外板を傷つけてしまう恐れがあるからだ。
 ベルマウスの形状はそれに続くホースパイプの角度も考慮して縮小模型を作り、 状態を確認してからメーカーに発注するのであるが、 最後の収納状態では微妙な修正がどうしても発生する。 錨もベルマウスも鋳物自体の精度がそれ程高いものではないので、 模型では隙が無いように見えても実物ではその隙が拡大されることになる。 修正は溶接によって肉盛りを行ったり、逆にグラインダーで削ったりして行う。 論理的にどの程度修正すれば良いかを計算して数値化することは出来ないので、 この作業は作業員の経験と勘が頼りの作業となってしまう。
 錨は同じ物が両舷にあり、ベルマウスも対称形ではあるのだが、 微妙な調整はやはり左右舷それぞれが独立して行わなければならなかった。 更に錨がどのような状態で揚がってきても外舷を傷つけることなく、 ベルマウスに確実に収容できなければならないので、 錨の爪の向きを人為的に変えたりしながら何度も試験を繰り返した。
 錨の収納確認は現場の勘が頼りの作業なので、 厄介と言えば最も厄介な作業であったと言える。 それでも確実に収納できるようになったので、 いよいよ海上公試に出られるだけの準備は整った。

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