艦船の外壁とも言える外板や暴露甲板は、
内側のフロア・フレーム・ビーム(肋板・肋骨・梁)によって支えられている。
この構造は潜水艦の場合にも同様であるが、
海面上を航走する艦船とは異なっている点もある。
その一つは周囲が一連の外板であるために全てフレームと呼ばれていること、
そしてそのフレームが外板の外側に設けられる場合があることが挙げられる。
フレームを外板の外側に設ければ水の抵抗が著しいものになるから、
外フレームに出来るのは完全複殻式の潜水艦に限られる。
複殻式の潜水艦の場合には内殻(耐圧殻)の外側に非耐圧の外殻が設けられており、
外殻にも補強のためのスチフナが取り付けられているが、
こちらの場合はフレームとは呼んでいないことと思われる。
水上艦船の場合でも船側が二重となっている場合も珍しくはないが、
フレームと呼んでいるのは船側外板に取り付けられたものだけであり、
内側の隔壁の場合にはスチフナと呼ばれることになる。
従って水上艦船の場合には外フレーム方式で建造されることは無い。
潜水艦のフレーム配置は、概ね右図のようになる。
現在の複殻構造の潜水艦では外フレーム式となっている場合が多いが、
これは図を見ても分かるように船内の有効容積が大きく取れるためである。
内殻径が同じであれば重量的には内フレーム式の方が有利なのだが、
有効容積を同じにしようと思えば内殻径を大きくする必要があるので、
結局は外フレーム式の方が軽く建造出来ることになる。
右図は鋲接構造の場合を示しているが、
下側の内フレーム式の場合には内殻への圧力が直接フレームに伝わるのに対し、
外フレーム式では圧力が鋲を介してフレームに伝わる様子が分かることと思う。
即ち内フレーム式では鋲はフレームの倒れ止め程度の強度があれば良いのに対し、
外フレーム式では鋲の強度が潜航深度にも大きく影響することになる。
たとえフレームの強度が十分であっても、
鋲が千切れてしまえば内殻は圧壊してしまうのである。
鋲の強度に関しては後ほど簡単な計算を試みることとするが、
鋲接での外フレーム構造を目にしての第一印象は、
水密性も含めて大胆な構造であると言うものであった。
なお溶接構造の場合にはフレーム溶接部が十分な面積を持っているので、
外フレーム構造であっても固着部の強度を問題にする必要はない。
従って現在の複殻構造の潜水艦の場合には、
外フレームとするのが常識であると思って差し支えない。
福井静夫著光人社刊「日本潜水艦物語」によれば、
日本で最初に外フレーム構造を採用したのは伊68(海大六型、後の伊168)であり、
昭和6年起工であるから、
日本の潜水艦史を考えれば比較的早い時期であると言うことが出来る。
堀元美著原書房刊「潜水艦〜その回顧と展望」には建造中の伊29の写真が載っているので、
当時の外フレーム式の構造を見ることが出来る。
ただし進水直前の写真なので内外殻共に完成状態であり、
組み立て中の船殻構造の詳細を知ることは出来ない。
光人社刊「軍艦開発物語」には、
建造中の第58潜水艦(後の伊158)の写真が多数掲載されており、
内フレーム式とは言えフレームと内殻板取り付け工事の様子を知ることが出来る。
同書によれば潜水艦でも水上艦の場合と同様、
フレームを揃えてから内殻板を張っていく方式であることが良く分かる。
外フレーム構造でも同様の建造方針であったことと思われるが、
この場合には内フレーム式ではあり得ない問題点が発生することになる。
水上艦や内フレーム式の場合には内殻板を吊ってフレームの外側に持って行けば良いのだが、
外フレーム式では円形のフレームの内部に内殻板を持って行かなければならない。
もし内殻板を吊ったまま所定の位置にまで持って行こうとするならば、
フレームを通過する度にワイヤーを架け替えなければならないので、
不可能ではないが手間のかかる厄介な作業となる。
その他の工法としては、内部に滑り台のような治具を設置しておき、
その上を滑らせて所定の位置まで移動させる方法も考えられる。
実際に取り付ける際にはやはりクレーンで吊る必要があるが、
この場合の前後位置の決定は微調整で良いので、
ワイヤーの移動は同じフレーム間での調整で間に合うだろう。
同型艦を多数造るのであれば、治具の製作に多少費用がかかったとしても、
全体では前記の方法よりも工数が少なくなり、安上がりになることと思われる。
フレームの下半分を船台に載せておき、
内殻板を全て搬入しておいてからフレームの上半分を完成させる工法も考えられる。
ただしこの場合には、フレームの真円度の確保が困難になると思われる。
また、内殻板は下から張っていかなければならないので、
搬入した鋼板を工作順序に従って収納できるだけの場所を確保出来るかという、
新たな問題が発生する可能性もある。
実際にどのような工法で造られていたのかについては、
写真も記録も目にしたことがないので不明である。
しかし外フレーム式の艦が多数建造されているということは、
建造に困難が伴ってもそれ以上の運用上のメリットがあったと言うことになる。
やはり潜水艦においても、
生産性よりも個々の艦の性能が重視されていたと言うことであろう。
昭和造船史別冊の「日本海軍艦艇図面集」には、
外フレーム式の伊68(後の伊168)の中央部構造切断が載っているが、
工作図ではないので残念ながら鋲の寸法やピッチまでは載っていない。
やはり外フレーム式の伊15の場合には線図及び一般艤装図、
そして数枚の切断図が載っているが、こちらは構造切断は掲載されていない。
しかし海大六型以降は同じ方針で設計されていると思われるので、
伊15を例にして外フレーム構造における鋲の強度を推定してみたい。
日本造船学会編コロナ社刊「船舶工学便覧」第2分冊によれば、
伊15のフレーム心距は60cm、鋲締めは1列である。
内殻板の厚さは20oとなっているので直径20oの鋲を使用してピッチを90oと仮定すると、
1本の鋲が負担する面積は540平方p、
安全潜航深度100mにおける荷重は約5500sとなる。
20o径の鋲の断面積は314平方oであるから、応力は約17.5s/平方oとなる。
船舶工学便覧によれば伊15の内殻はDS鋼となっているが、
同一寸法でSM44を使用しても建造可能であるとなっている。
SM44の機械的性質は不明であるが、戦後のSM52から推測すると、
降伏点は27s/平方o程度と思われる。
鋲の材質は不明であるが、同程度の材料を使用しているはずであり、
この場合の安全率は1.55となる。
同便覧によれば伊15は安全率1.61(内殻の圧壊に対してと思われる)となっており、
鋲の引張りに対する安全率もほぼ同様と言うことになる。
なお鋲頭部の詳細形状は不明であるが、
略図から計測すると鋲穴附近での厚さは丸頭の場合で10o程度はあるので、
この場合の断面積は凡そ600平方o、せん断応力は9s/平方o程度となる。
かしめ側で多少鋲頭が歪になったとしても、鋲の頭がすっぽ抜ける恐れは無い。
船舶工学便覧には鋲の標準ピッチが掲載されているが、
当然これは水上艦船用のものであり、潜水艦用のものではない。
標準ピッチは水密構造で鋲径の5倍、油密構造で4倍となっている。
上記計算では単純にその中間程度と推測したのであるが、
高い水圧がかかるので実際にはもっと細かいものであったかもしれない。
鋲径も推測に過ぎないが、
僅かであるとは言え引張り応力による鋲径の減少をも考慮すれば、
もっと鋲径を大きくして安全率を高めていたかもしれない。
何れにしても適切に設計すれば、
鋲構造での外フレーム方式でも問題ないことが確認できた。
旧海軍においては海大六型以降、可能であれば外フレーム構造としているようである。
ドイツ海軍の\C型は日本の呂35(潜中型・外フレーム)とほぼ同じ大きさ、
同時期の建造であるが、溶接構造の内フレーム式となっている。
更に\C型ではフレーム心距を大きくして内殻板を厚くしているのに対し、
呂35ではフレーム心距を小さくすることで内殻板の減厚を図っている。
重量的には呂35の構造が優っているのであるが、
建造面では\C型の方が優っており、両者の考え方の違いが良く現れている。
英米の潜水艦に関しては資料を持ち合わせていないので不明であるが、
恐らく建造の容易な内フレーム式ではないかと思われる。
呂35は良好な性能に加えて乗員の評判も良く、
当初は多数の建造が予定されていたようである。
にもかかわらず建造が見送られたのは用兵側の誤判断が最大の要因であったが、
生産性の悪さも一因であったのかもしれない。
鋲構造での外フレーム式潜水艦は、現場での工作にも高度の技術が要求され、
個艦として見れば極めて優れた潜水艦であることは議論する余地は無い。
しかし兵器というものは常に生産性と性能との兼ね合いが重要であり、
外フレーム構造が最善であったかについては疑問も残る。
最後は本題とは離れるが、福井氏の著書に面白い記事があったので紹介しておく。
当時においても工廠関係者には潜航手当てが支給されていなかったそうだが、
ある時白ペンキで潜望鏡に『金呉れないに水くぐるとは』と書き、
横須賀鎮守府長官が視察する眼前で潜航公試を行ったのだそうである。
この書き込みは言うまでも無く、
小倉百人一首の『ちはやぶる〜』の下の句を捩ったものであるが、
その後まもなく潜航手当てがつくようになったそうである。
海上自衛隊でも技術関係者のみ手当てが支給されていなかったが、
現在はどうなっているであろうか。
因みに同様な行為を行ったとしても、
風流を解するだけの人物は存在するだろうか・・・