日本の巡洋艦は缶室及び機械室の船体中心線に水密隔壁を持っていたが、
損傷を受けた場合には片舷だけの浸水となる可能性が高く、
復原性能上の問題が懸念されていた。
この問題に関しては造船担当者は十分に認識していたのであるが、
それにもかかわらず縦隔壁を設けて就役させている。
敢て危険を承知で建造したのには何らかの理由があったはずであるが、
当事者の記録も残されていないので真意を知ることは出来ない。
これはあくまでも私の推論に過ぎないが、
その理由と思しきものを拾い上げてみた。
先ず最初に船殻構造部材として見た場合であるが、
強度的にはこの隔壁は無くても何ら差し支えない。
実際には強度部材として縦強度計算に計上されているようだが、
これは実在するから計算に算入しただけのことであり、
縦強度への算入を目的として設置されたものではない。
同じ重量を注ぎ込むのであれば、
船底外板の板厚を増した方がより効果的である。
たとえ中甲板のガーダーに支えが必要になったとしても、
適宜支柱を設けることによって容易に対処できる。
室内配置の点からも隔壁は不必要であり、
むしろ隔壁があるために多くの床面積が必要となってしまう。
「妙高」を例に取れば第一〜第三缶室は1室に2缶を収納し、
第四〜第九缶室は1室1缶となっている。
これは船体中央部では幅があるので隔壁を設けることが出来るが、
前部に行くに従って船の幅が狭くなり、
隔壁を設けると整備・点検のための空間が取れなくなってしまうためである。
具体的に言うならば、
1室2缶の場合には左右の缶の間の空間が共有出来るのに対し、
隔壁を設けた場合にはそれぞれの缶室に整備空間が必要となってくる。
「妙高」の場合には配置上の問題から前部缶室を1室2缶としたのであるが、
後部の缶室も同様に1室2缶の配置とすれば缶室の幅が減少するので、
舷側の防水区画を大きく取ってより有効なものにすることが出来る。
別記事の「機関室配置」でも述べているように、
1室でも収まる2缶を別々の区画に収めた場合には、
運転に必要な人員は増加することになる。
直接運転に必要な人員は変らなくても、
指揮・通信に必要な人員が増加するからだ。
一万屯の巡洋艦において多少乗員数が減ったところで設計に影響する程のことは無いが、
将来の改装で乗員数が増えることは十分に予想されるので、
運航に支障が無ければ乗員数は少ない方が好ましい。
技術的に中心線隔壁が不要なのであれば、
隔壁の設置は用兵側の要求によるものと考えられる。
前述した非対称浸水による復原性の悪化に関しては、
用兵者もある程度認識していたことと思われる。
復原性能上の問題があることを承知で隔壁を設けると言うことは、
それ以上の利点があったはずである。
それでは隔壁を設けることにより、どのような利点があったのだろうか。
隔壁の効果として考えられるのは、やはり防御力の向上であろう。
一見復原性の悪化と矛盾していると思われるかもしれないが、
戦闘によって発生する被害は浸水だけでなく、
爆風や弾片による破壊効果、そして火災の発生もまた考えられる。
浸水に対しては隔壁が負の効果を持ったとしても、
他の被害に対しては隔壁がより有効に働くのであれば、
隔壁を設けるべきかどうかは十分検討に値する問題である。
果たして中心線隔壁にはそれだけの効果があるものか検討してみよう。
先ずは砲弾による被害だが、対象とするのは8吋以下の中小口径弾とする。
勿論装甲によって防げれば機関室内での被害は発生しないが、
状況によっては機関室内に被弾して炸裂する場合もあり得ないことでは無い。
この場合に被弾した個所の缶は当然使用不能となるが、
1室2缶の場合には同室内に隣接する缶も被害を受け、
使用不能となる可能性が極めて高いものと考えられる。
しかし両缶の間に薄いとは言え隔壁が存在した場合には、
隣接区画の缶が使用不能となる確率は格段に減少するものと思われる。
タービン主機の場合には缶よりも抗堪性が高いものと考えられるが、
やはり隔壁の有無によって生ずる残存率の比較は、
缶室の場合と同様であると考えて良いだろう。
爆弾の場合はどうだろうか。
大型爆弾であれば両缶とも使用不能となるだろうが、
小型爆弾の場合には砲弾の場合と同様であると考えて良いだろう。
被害の程度は爆発力の大きさに影響されることになるが、
小型爆弾の場合にはもっと上部の甲板で炸裂し、
あるいは機関室区画には達しないかもしれない。
しかし何れの場合であっても、
隔壁の存在によって被害が減少する効果は存在すると言ってよいだろう。
火災に対しては隔壁の存在は更に有効であると考えられる。
1室2缶の区画で火災が発生した場合、余程迅速に消火活動が成功しない限り、
2缶とも使用不能となってしまうであろう。
しかし隔壁によって区画が分けられている場合には、
多少消火に手間取っても延焼を防いでおけば被害が拡大することは無い。
ここで重要なことは、火災の発生は戦闘による被害に限らず、
平時においても発生し得ると言うことである。
日本の工業力、特に生産能力が大幅に米国に劣っていることは、
用兵者の間においてもそれなりに認識していたと思われる。
1発の砲弾、あるいは何らかの過失による火災により、
1缶の損害で済むところが2缶の損害にまで被害が拡大してしまうことは、
戦力の復旧に要する費用・期間が大きく異なってくる。
米国のように工業力に余裕の無い日本においては、
被害の拡大は出来るだけ避ける方針で行かなければならない。
勿論米国においても被害の縮小には力を注いでいたはずであるが、
その深刻さは日本の方が遥に高いものであったことだろう。
この被害を局限する狙いこそが、
船体中心線隔壁を設けた最大の理由ではなかったかと推測する。
なお機関の温存と言う観点から推測すれば、
隔壁設置の要求は用兵者側から出たものではなく、
機関部担当の技術側から出たものであるかもしれない。
では中心線隔壁を設けた場合の欠点は何かといえば、
既に多くの指摘があるように非対称浸水による復原性の悪化である。
しかし殆どの指摘は単にその結果のみを見て論じたものであり、
詳しく分析した文章を目にしたことは無い。
どの区画にどれだけの浸水があったかを把握し、
その結果復原モーメントを失って転覆した、
と言う記述が無いのであれば説得力には乏しい。
艦幅一杯に浸水した場合でも自由水面が発生するので、
やはり復原性は低下するのである。
浸水による復原力の問題を検討する場合、
その浸水の速度は重要な要素の一つである。
即ち最終的な浸水量が同じであったとしても、
魚雷による大破孔から急速に浸水する場合と、
至近弾の破片等による小破孔からの緩慢な浸水とでは、
浸水の状況は全く異なったものとなる。
破孔が比較的小さい場合には浸水速度も遅くなるので、
燃料の移動、注水可能な防水区画への注水、
そして最悪の場合には隣接する反対舷区画への注水で対処できる。
戦艦のように専用の注排水設備は装備されていないが、
消火管からの注水量でも十分に対処できるものと思われる。
勿論破孔からの浸水を遮断したり、
浸水区画からの排水作業も並行して実施する必要がある。
隣接区画への注水を行った場合には缶あるいは主機は使用不能となり、
1室2缶の場合と同じ結果になると思われるかもしれない。
しかし自由水面が隔壁によって細分化されるので、
復原性能は隔壁があった方が優っているのである。
魚雷による大破孔からの浸水は急激なので、
戦艦で急速注水を行っても同量の注水は不可能である。
中心線隔壁があって問題となるのはこの場合であり、
消火管からの反対舷注水では到底傾斜を復旧するには至らない。
被雷による傾斜を「妙高」を例にして推測すれば、
1発の魚雷で最大の浸水量となるのは機械室間の横隔壁附近に被雷した場合であり、
その際の浸水量は1500t程度と見込まれる。
復原力曲線が無いので正確な傾斜は計算出来ないが、
初期GM値から推測すると横傾斜角は20度弱と思われる。
実際には傾斜に伴ってGZ値が増加するので傾斜はもっと少ないと思われるが、
何れにしても1発の魚雷で即転覆に至る訳ではない。
なお「古鷹」の場合には長大な缶室に中心線隔壁を設けているが、
隔壁が無いと1室4缶の巨大な缶室が出現することとなり、
隔壁の有無に関わらず、軍艦としては好ましく無い配置であると言うことが出来る。
前後の缶を横隔壁で区分することの方が、
縦隔壁の設置よりも優先されるべき問題である。
以上の推論から、砲弾に対しては中心線隔壁があった方が有利であり、
魚雷に対しては無い方が優る、と結論付けて良いのではないかと思われる。
となればその艦の計画時に用兵者がどのような戦闘構想を持っていたかが重要であり、
それによって隔壁の有無も決定されることになると言って良いだろう。
当時の海軍の構想は西太平洋における艦隊決戦であり、
所謂「重巡」の役割は漸減作戦の一環として敵主力艦の戦力を減少させることであった。
それ故に日本の巡洋艦は全て魚雷を装備していたのであるが、
やはり一義的には砲戦を主体と考えていたと思ってよいだろう。
5吋砲装備の駆逐艦とは異なり、8吋砲装備の巡洋艦では砲の射程が長いので、
砲戦で敵巡洋艦に大きく遅れを取るようでは雷撃の機会は失われてしまう。
砲と魚雷のどちらを重視するかは、用兵者の間でももめることが多かったようである。
結局は勢力の強い鉄砲屋の意見が通ってしまうようだが、
こんなことも隔壁の設置に影響していたのかもしれない。
また、当時にあっては航空魚雷や潜水艦魚雷に対する認識も薄かったものと思われるが、
潜水艦の戦例は第一次大戦で数多く存在するので、
用兵者の研究不足が後々まで影響したと言うことが出来るだろう。
もう一つ気になるのは、応急に対する用兵者の認識である。
当時は兵科と機関科が完全に分かれており、
兵科が機関科の上部に位置すると言う風潮があったので、
意見が対立した場合には兵科の意見が優先されてしまうと思って間違いないだろう。
戦闘の際に応急作業を担当するのは機関室では機関科であり、
その他の区画では運用・主計・補給と言った分野の兵員であったようである。
何れも兵学校出身の士官が配備されることは無かったと思われるが、
こうしたことが兵科士官の応急に対する認識不足に繋がってしまったのではないだろうか。
大型艦においては機関室に降りて来たことの無い艦長もいたという話もあるくらいだから、
応急という概念すらなかった可能性も考えられる。
旧海軍の訓練自体は厳しいものであり、
それはそれで十分評価に値するものであろう。
しかしその訓練は全て攻撃に関するものであり、
被弾時の想定訓練はなされていなかったのではあるまいか。
訓練においては被弾することは無いのだから、
どうしても応急作業と言うものは軽視されがちとなり、
攻撃で良い成績を残した艦が優秀な艦であると言うことになってしまう。
実戦が始まり、損傷艦が続発するようになって認識も変ったようであるが、
もはや手遅れであると言うべきであろう。
開戦後の実情は魚雷被害が予想以上のものであり、
中心線隔壁は無い方が良いと考えられるようになった。
その結果隔壁にマンホール程度の穴を開けて非水密隔壁としたが、
開口部の総面積が過小なものであっては効果的に機能を発揮することは出来ない。
隣接区画へ流入する量が少なければ一時的に非対称浸水となり、
その間は船体は傾斜することとなる。
複数の魚雷を受けた場合にはさらに傾斜が大きくなるので、
隔壁が無い場合に比べれば危険度は大きい。
ただし最終的に満水となれば対称浸水となり、
浸水による転覆モーメントは発生しない。
その場合には前述したように中心線隔壁が制水隔壁の機能を果たすので、
浸水による復原力の減少はより軽微なものとなる。
極度に船殻の軽量化を図っていた日本艦艇においては、
このような局部的な縦通部材でも縦強度に算入していた。
それ故に一気に隔壁を撤去することも出来ず、
開口も縦強度に影響しない範囲で開けていたのではないかと思われる。
隔壁を完全に撤去してもそれに変る縦強度部材を取り付ければ問題ないのだが、
戦時においてはそれだけの工事を行う時間的な余裕は無かったのであろう。
では縦強度の不足を承知で隔壁を撤去したらどうなるだろうか。
縦強度計算で定めている許容応力というものは、
弾薬・燃料等の積み付け条件が最悪で、波高の高い荒天に遭遇した場合の値である。
従って通常の航海状態で多少波のある海面を航行するくらいでは全く問題は無い。
隔壁自体はそれ程縦強度に大きく影響する位置には無いので、
縦強度が不足したとしても僅かなものであると思われる。
私個人の見解としては、
このことを踏まえて隔壁を撤去してしまうのが最善の策であったと思っている。
中甲板のガーダーを支えるための支柱は必要となるだろうが、
こちらはそれ程大規模な工事とはならない。
平時と戦時とでは艦艇の性格も変わって当然だと思う。
例えば竣工当時の「友鶴」が存在し、敵艦が現れたとしよう。
復原性が悪いからと言って「友鶴」を温存し、
敵艦に好き勝手なことを許してしまう軍人は恐らくいないだろう。
更に言えば「回天」のようなものは戦時だから造られたのであり、
平時においては絶対に造られることは無い。
殆ど遭遇することは無いであろう荒天時には危険に陥るかもしれない艦と、
複数の魚雷を受けたら転覆の可能性が高い艦とでは、
どちらが優先されるべきであろうか。
平時においては常に安全である艦を優先するべきであろう。
戦時においては戦闘時に安全である艦を優先するべきであろう。