平成16年4月15日、鉄人28号の生みの親である横山光輝氏が亡くなられた。
早朝に就寝中のベッド火災で全身に火傷を負い、
病院に運ばれたが夜になってから亡くなられた。
横山氏は数年前から足が不自由だったようなので、
火災に気付いても逃げ出せなかったのかもしれない。
詳細はまだ調査中であるが、煙草の不始末が原因の可能性が高いようである。
そうだとすれば真に残念なことであるが、煙草が横山氏の楽しみであったのであれば、
喫煙の習慣自体を責めることは出来ない。
煙草の後始末をしっかりとやっていれば、と悔やまれることは事実であるが、
これも運命として諦めるしか無いのかもしれない。
当サイト管理人のHNは、言うまでも無く「鉄人28号」に由来している。
子供の頃からその漫画を見ていたこともあるが、
「鉄人」は本名に「鉄」の字が付くためでもあり、
「68号」は愛用パソコン「X68000」に由来する。
本稿では横山氏の冥福を祈ると共に、横山氏の作品を幾つか紹介し、
管理人の想いも添えて横山氏への追悼記事としたい。
横山光輝氏の名前が一躍有名になったのは「鉄人28号」(以下単に鉄人と略す)であるが、
私が最初に出会ったのはその直前の作品と思われる「レッドマスク」である。
「レッドマスク」も鉄人同様SF漫画に分類して良いと思うが、
最も印象的だったのはPX号と呼ばれるロケット機であった。
ただしこの名称に関しては、何分にも昔のことなので不確実なものである。
鉄人にもPX団と言うのが登場するので、あるいは混同しているかもしれない。
名前はともかく、ずんぐりとした形のPX号は極めて頑丈で、
体当たりにより敵を攻撃するものであった。
純粋に科学的考証をするならば、PX号は飛行不能な構造であるし、
体当たりなんぞをすれば中の乗員は堪ったものではない。
しかし子供心にはそんなことまで気が回らず、凄いなあと思ったものである。
SFの科学性については、現在でも漫画はおろか、小説・映画でも不満足なものが多い。
当時の漫画としては、「レッドマスク」も秀逸な作品であったと思う。
ロボットものとしては「ジャイアント・ロボ」も有名であるが、
製作過程でトラブルが発生したらしく、
中途半端な形で終わってしまったのは残念なことである。
「バビル2世」にもロボットは登場するが、この作品の主人公は超能力者であり、
超能力をテーマとしたSF漫画は、まだ珍しいものではなかったかと思う。
超能力は魔法の未来版と言うことが出来るかもしれないが、
魔法と言うものが全く想像上のもので現実味を帯びていないのに対し、
超能力には科学が発達すれば発生しうる能力かもしれない、
と思わせるニュアンスが含まれているような気がする。
ロデムの変身にしても魔法で姿を変えるのとは違い、
分子構造を制御できるようになれば可能なのでは、と思わせる節がある。
一つだけどうしても理解出来なかったのは、主人公が詰襟の学生服であったこと。
場面によってはそれでも良いのだが、不釣合いな場面も多く見られたので気になった。
横山氏の作品ジャンルにおいて、忍者物も大きな位置を占めている。
作品としては「伊賀の影丸」「仮面の忍者赤影」が代表的なものであるが、
白土三平氏と共に忍者漫画の草分け的存在であったと言うことが出来よう。
とは言っても、両者の作風には大きな違いがある。
白土氏の作品は劇画調の画風で比較的現実味を帯びているのに対し、
横山氏の場合にはもっと軽いタッチで捉え、娯楽作品に徹した感じがする。
当時は映画やテレビでも忍者をテーマとした作品が多数作られていた。
それらの作品でも漫画と同様視覚に訴えるものが多かったため、
実在した忍者とは大きくかけ離れた忍者像を作り上げてしまったのは残念なことである。
メディアが何であれ、ジャンルが何であれ、娯楽作品には功罪両面が存在する。
そして誤った忍者像の浸透は、その「罪」の部分であると言うことが出来よう。
面白い作品とするためにはある程度の誇張は止むを得ないかもしれないが、
やはり製作者は常にその影響を考慮しつつ、
作業を進めて行く必要があるのではないだろうか。
少女漫画系は省略するが、
横山氏の大きなジャンルとして歴史をテーマにした作品群がある。
中国関係では「三国志」を始めとして、「水滸伝」「項羽と劉邦」等があり、
日本物では「徳川家康」「伊達政宗」その他がある。
それらの中で代表作ともいえる「三国志」は、
吉川英治氏の作品の影響が大きいようであり、
中国作品に多い生々しい表現を避け、日本人向けに脚色して描かれている。
これは「水滸伝」にしても同様であり、横山氏が不適当と判断した場面は省略されている。
実際「水滸伝」を忠実に漫画化したのでは残虐性が大きく、
この辺りは横山氏の良識が適切に働いていて好ましい作品に仕上がっている。
文字で表現されている小説とは異なり、
漫画の場合には登場人物をどのように描くかで大きく印象が異なってくる。
多くの「三国志」作品の源流は「三国志演義」であり、
どうしても劉備や諸葛亮に肩入れした作品になってしまうのは止むを得ないことである。
それでも横山氏の作品では、魏や呉の人間でも「悪党面」をした者は登場しない。
このことも横山三国志を清々しい物にしている一因ではあるまいか。
多彩な登場人物の顔を見ていると、それぞれに対する横山氏の思い入れが読み取れて面白い。
横山三国志の中で、とても印象に残り、気に入っている台詞がある。
第48巻「孟獲心攻戦」の中で、南征中に孟獲の兄孟節に会った諸葛亮は、
「人有る所に人なく、人なき所に人あり」と言っている。
どうやらこの言葉は横山三国志だけに登場するようで、
他の作品も幾つか調べたのだが見当たらなかった。
前半分に関しては、俚言集覧に「人ある中に人なし」と言う言葉があるようだが、
後半分に相当するものは見つからなかった。
なお仮名手本忠臣蔵の中に
「人ある中にも人なしと申せども、町屋の中にも有ればあるもの、・・・」
と言う表現があるようなので、
これを横山氏が修正して諸葛亮の台詞としたのかもしれない。
(出典:小学館発行「故事ことわざの辞典」)
最後になってしまったが、「鉄人28号」はどうしても外せない作品である。
月刊誌「少年」に掲載されていた当時は、
手塚治虫氏の「鉄腕アトム」と共に人気を二分していた作品である。
テレビアニメ、そして米国でのテレビ放送も話題となり、
世間一般ではアトムの方が有名であるが、
私にとっては当時から鉄人の方が重要な位置を占めていた。
あるコンピュータ関連の番組で、鉄人は第4世代コンピュータ、
アトムは第5世代コンピュータを搭載していると言う解説があった。
鉄人の場合には操縦器から行動目的を送信し、
鉄人は内蔵コンピュータによってその目的を達成するように行動するものであり、
アトムの場合には自ら目的をも判断して行動するのである。
コンピュータの面からはアトムの方が進んでいた訳であるが、
構造等を比較すればアトムの矛盾点は鉄人よりも遥に多く、
それ故に私は鉄人の方に興味を惹かれたと言っても良い。
アトムでどうしても許せなかったのは、尻から飛び出す機関銃と、
手足が消えてしまうロケット噴射である。
そのロケット噴射で相手を吹き飛ばしてしまうのも非科学的で、
アトムを今一つ好きになれなかった要因の一つである。
空を飛ぶためのロケットは鉄人の場合にも問題があり、
翼のない鉄人が背中に付けたロケットで水平飛行をすることは出来ない。
漫画だから、と言ってしまえばそれまでだが、子供心にも疑問点が残ってしまうと、
なかなか本腰を入れて応援できない場合がある。
鉄人にはライバルとして様々なロボットが登場した。
鉄人の一つ前に作られた大型27号、そして電波をかく乱する(と思ったが)アカエイ、
内蔵ロケットを装備したスマートなバッカス、パワーで鉄人を圧倒するブラックオックス。
何れも懐かしいロボットの面々である。
鉄人は雑誌を飛び出してラジオで放送され、
テレビ放送が始まると特撮の実写版、そしてアニメ版が放映された。
今年も4月から放送されるという噂は耳にしていたのだが、
深夜番組と言うことに気が付かず、2話までは見逃してしまった。
勿論今後はそのようなことは絶対にしない。
映画も作られると言う話であるが、過大な期待はしないで待つこととする。
過去の例を見ると、往々にして原作から逸脱してしまうケースが多いからだ。
さて、最後は鉄人を語る上で欠かせないことを紹介することにしよう。
ロボット漫画に弾丸を跳ね返す特殊合金の存在は欠かせないものだが、
鉄人の場合はそれに加えて高い抗堪性を持っているのが大きな特徴である。
大多数のロボットは胴体部が無傷であっても、手足を損傷すると行動できなくなってしまう。
ところが鉄人の場合には、関節部から壊れることで胴体への損傷を防ぎ、
かつ行動を持続できるように作られている。
一見何でもないことのように思われるかもしれないが、
これはシステムを計画する上で重要なことなのである。
十数年前に発生した日航ジャンボ機の墜落事故は、まだ記憶に残っている人も多いかと思う。
あの事故において致命的だったのは、
操縦系統の動力が一挙に使用不能に陥ってしまったことだと言われている。
鉄人の場合には動力源が油圧か電気かと言う詳細なことまでは不明だが、
多少の損傷ならば動力を確保できるように設計されていた。
漫画だからと言って門前払いするのではなく、
たとえ漫画ではあっても優れたものは優れたものとして、
現実の製品に反映させていくべきではないだろうか。
ジャンボ機が動力を確保できるような構造になっていたならば、
犠牲者の数は遥に少ないものですんだはずである。
私のHNは、インターネットに接続する以前、
電波新聞社の「マイコン」誌の時から使っている。
昨年このサイトを開設する時にも、横山氏の承諾は得ていない。
名前もアイコンも全く同じと言う訳ではないので、
法的には問題ないものと思っている。
しかしサイトの運営が順調に行くようになったら、
横山氏に連絡を取って正式に承認して頂くつもりでいた。
しかし残念ながらこのような事態になってしまい、
その機会は永遠に失われてしまった。
今後は横山氏の冥福を祈りつつ、鉄人68号の名に恥じぬよう、
サイトの運営には至誠を尽くして行く所存である。