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☆★☆ 上州の方言 ★☆★

上州(群馬県)の方言は『べえべえ弁』とも言われていますが、
代表的なものは「○○だろう」の語尾が「○○だんべえ」となることで、
これは「〜〜じゃん」や「〜〜ずら」等と同じものと思って良いかと思います。
今では全く使われることも無くなりましたが、
祖父や祖母が使っていた方言を思い出しながら紹介していきたいと思っています。
もし間違い等を見つけましたら是非ご連絡下さいますようお願い致します。
新規追加分は赤で表示しています。

 §母のボケがひどくなってきて「もちゃつけ」な状態になってしまいました。
  今回の言葉は如何にも『方言』であると言う雰囲気のものばかりです。

≪もちゃつけ≫
 これは「世話が焼ける」とか「始末が悪い」とか、 「どうにも扱いようがない」と言ったような感じの言葉なのですが、 いざこうして説明しようとすると適当な訳語が見当たりません。 方言に限らず外国語を翻訳する場合でも、 100%その意味することを伝えることは出来ないのではないでしょうか。 その言葉を日常的に使っている人にとっては何でもないことなのですが、 初めて聞く人にはさっぱり意味が通じないでしょうし、 時々耳にする程度の人でも十分に理解することは出来ないでしょう。 常用している人でも交流の無い集団同士であれば、 互いにニュアンスの違いがあるものと思われます。 こうしてみると言葉と言うものは便利な一面もありますが、 反面≪もちゃつけ≫なものでもあるかもしれませんね。(07.4.25)
 
≪たっこねえ≫
 何となく意味が分かるのではないかと思いますが、 「根性が無い」「意気地が無い」あるいは「頼り無い」と言った感じの言葉です。 語源は「たっこ」が「無い」と言うことなのでしょうけれど、 肝心の「たっこ」とは何かと聞かれてもさっぱり見当が付きません。 本当にたっこねえ説明で申し訳ありません。(07.4.25)
 
≪びしょったねえ≫
 これも典型的な方言ではないかと思いますが、 語感からして良い意味で使われているとは思えないでしょう。 実際「だらしが無い」とか「身辺整理が出来ていない」と言うような意味ですが、 更に「不衛生である」と言う意味も幾分か含まれているような気がします。 やはり「びしょった」が「無い」のが語源なのでしょうけれど、 「びしょった」が単独で使われているのを聞いたことはありません。 私も子供の頃には祖母からよく言われましたが・・・(07.4.25)
 
≪てんごう≫
 文字で書いた時に「てんごう」で良いのか、それとも「てんごお」となるのか分かりませんが、 語気を荒げた時には「てんごお」と最後の「お」が強く発音されたように記憶しています。 意味は「いたずら」とか「悪ふざけ」と言った感じですが、 あまり悪質なものではなかったと思います。 強調して言う場合には「しちてんごう」と言っていましたが、 この「しち」と言う接頭語もずっと方言だと思っていました。 でも調べてみると辞書にも載っている言葉なので、 方言ではないことを初めて知りました。(07.4.25)
 
≪しゃいなし≫
 「しゃいなし」と言っても「恥ずかしがり屋の梨」のことではありません。 これも「てんごう」同様「いたずら」などを示す言葉なのですが、 「てんごう」よりも幾分か軽いものであり、 実害がないようないたずらに対して使っていました。 主に子供のちょっとしたいたずらをたしなめる時に用いましたが、 大人が子供をからかう行為に対して使うこともありました。 強調して言う場合には「しっちゃいなし」と言いましたが、 これは接頭語の「しち」を付けた「しちしゃいなし」が言い難いので、 感情が高ぶった状態でも言い易い「しっちゃいなし」になったのだと思います。(07.4.25)
 
≪どどめ≫
 『どどめ』と言うのは桑の実のことですが、 養蚕に縁の無い地方の方は見たことが無いと思います。 童謡の「あかとんぼ」においてはそのまま『桑の実』と言う表現が使われていますが、 三木露風の故郷である兵庫県龍野地方では固有名詞が無かったと言うことなのでしょう。 現在では群馬県でも養蚕は下火になっていますから、 農家の子供であっても『どどめ』と言う言葉は知らないかもしれません。
 『どどめ』はキイチゴの実を円筒形にしたような感じで、 熟して黒っぽい紫色になると食べることが出来ます。 甘酸っぱい味で取り立てて旨いというものでもありませんが、 貧乏な農家の子供にとってはただで食べられるご馳走でした。 現在のように自動車が走らないので砂埃を被ることも無く、 畑でそのまま食べていましたが腹を壊すようなことはありませんでした。 養蚕のための桑原では背丈を越すくらいになると枝ごと切られてしまいますが、 畑から外れた所々に養蚕には利用しない桑の大木があり、 そんな桑の木は大粒の実を沢山付けていました。
 大抵の木は黒っぽい『どどめ』を付けるのですが、 中には小粒で濃い桃色の『どどめ』を付ける木もありました。 私たちはこれを『たご』と呼んでいましたが、 食べても普通の『どどめ』のように手や口が紫色に染まることも無く、 味も良いので珍重していました。 園芸店で『マルベリー』と言う苗木を見かけましたが、 その実は『たご』と良く似ていました。(06.5.24)
 
≪おこさま≫
 『おこさま』と言っても『お子様ランチ』のお子様ではなく、 恐らく『お蚕様』を縮めたものではないかと思いますが、 そのものずばり『蚕』のことです。 昔の農家は色々な家畜や家禽を飼っていましたが、 動物に『様』を付けて呼んだのは蚕だけでしょう。 養蚕は貴重な現金収入源であり、 それだけ蚕を大事にしていたとも判断されますが、 実際には労力の割りに収入は僅かなものではなかったかと推測されます。
 蚕は目に見えないほど小さな卵から孵化した状態で農家に持ち込まれますが、 畳ほどの大きさの平たい竹篭に紙を敷いた上で育てます。 一日中食べているだけの蚕はどんどん大きくなるので、 過密状態にならないように篭の数を増やして分散させなければなりません。 最後には家中が蚕棚で一杯になり、 人間が蚕に追われて屋内の片隅で寝起きするような状態となります。 人間よりも蚕の方が優先されている訳ですから、 蚕に『様』を付けて『おこさま』と呼ぶようになったのかも知れません。(06.5.24)
 
≪ず≫
 蚕は最終的には小指よりも少し大きい位にまで成長しますが、 糸を吐いて繭を作れる状態になった蚕を『ず』と呼んでいました。 蚕の外観は乳白色の皮膚で覆われていますが、 『ず』になると体長が少し縮んで丸みを帯びた形となり、 体が透明な感じになってきます。
 同じように見える蚕にもやはり個体差はあり、 『ず』になる時期には若干のずれがあります。 『ず』になるとそれまでの篭から『まぶし』を敷いた篭に移しますが、 沢山の蚕の中から『ず』だけを選び出すにはやはりそれなりの経験が必要です。 なお『まぶし』と言うのは蚕が繭を作りやすくするための家のようなもので、 昔はどの家でも稲藁で自作していましたが、 現在ではより効率の良い『まぶし』が開発されているそうです。(06.5.24)
 
≪なだれ≫
 蚕も生き物なのでやはり病気にかかることもあり、 最も嫌われたのは『なだれ』と呼ばれるものでした。 『なだれ』は体が真っ黒になって溶けるように腐る病気で、 黒い液体が他の繭に掛かると繭を作っている糸が染まってしまうので、 少しでも掛かるとその繭は商品価値が無くなってしまうのです。
 他には『なだれ』とは逆に体が白い粉を噴いたようになり、 体が小さく固まってしまう病気もありましたが、 この病気には特定の名前は無かったようです。 学術的には名前があるのかもしれませんが、 農家では特定の名前は無かったと思います。 勿論この病気にかかっても繭は作れませんが、 他の繭に影響することが無いので重視されなかったのでしょう。(06.5.24)
 
≪こくそ≫
 『こくそ』と言うのは蚕の糞のことですが、 辞書にも載っているので方言ではないようです。 『こくそ』は籠の上に敷いた紙を使って処分していましたが、 蚕が食べ残した葉脈や小枝も一緒に処分する必要があり、 これらを一纏めにして『こくそ』と呼んでいたと記憶しています。
 『こくそ』は畑に撒いて肥料として利用していたし、 食べ残した小枝等は牛や山羊の飼料としていたので、 当時の農業は無駄の無い循環式の有機農業でした。 今日のように有機々々と騒がなくても、 自然と密着した有機農業だったのです。(06.5.24)
 
≪けえど≫
 これは家の敷地内への入口のことで、 我家のような小さな農家でも昔は門がありました。 農家の庭は作業場も兼ねているのでそれなりの広さを持っており、 泥棒ならば門以外の所から容易に侵入することが出来ます。 門扉はあっても不審者を防ぐと言う実用的な目的よりも、 家に害をなす自然界の悪霊の侵入を防ぐ意味合いの方が強かったのではないかと思います。 子供の頃には正月の七日間は食物を供えていましたが、 これは『けえど神』に対する感謝の気持ちを表したものであると言って良いでしょう。 昔の農家では色々な所に『神様』がいたものです。
 はっきりとした語源は分かりませんが、木製の簡単な門である『木戸』が訛ったものか、 あるいは門(かど)がそのまま訛ったものではないかと思います。(06.3.31)
 
≪とぶぐち≫
 『けえど』が敷地内への入口であるのに対し、 こちらは家屋への入口である玄関のことです。 和式の建物ですから『とぶぐち』は引き戸で、 心張り棒で戸締りをした後は小さな通用口から出入りしていました。 勿論現在のようなガラス戸ではなく、 通用口も付けられる丈夫な板戸でしたから、 閉めてしまえば家の中は真っ暗になってしまいます。
 板戸は雨戸のように完全に収納することが出来、 『とぶぐち』は一間幅の広々とした間口となります。 内側には上半分だけ紙張りの障子があったと思いますが、 この辺りは記憶がはっきりとしていません。 『とぶぐち』を入った所は広い土間になっており、 色々な農作業が行なえるようになっていました。 特に養蚕時には建物全体が蚕部屋のようになってしまうので、 作業性を考慮すれば一間幅の広い間口が必要となるのです。(06.3.31)
 
≪こじゅはん≫
 これは「おやつ」のことですが、 子供ばかりでなく大人も食べていました。 とは言っても今のように食べ物が豊富な時代ではありませんでしたから、 いつでも食べていたと言うわけではありません。 主として農作業の合間に食べていたもので、 春から秋にかけては暗くなるまで働いていましたから、 午後の作業はとても長時間になってしまいます。 『こじゅはん』を食べるために家に帰ったのでは時間が無駄になるので、 子供が田圃まで持参して食べるのが普通でした。 田圃で食べるので『こじゅはん』としては容器が不要な物が適しており、 「田舎饅頭」や「じり焼き」と言った片手で持って食べられる物が主体でした。(06.3.31)
 
≪じり焼き≫
 『こじゅはん』の項で『じり焼き』が出てきたのでついでに紹介しておきます。 『じり焼き』は今で言う「お好み焼き」のようなものですが、 小麦粉の比率が大きくて具は刻みねぎが主体でした。 直径は10p、厚さは1p弱くらいでじっくりと火を通して焼いていました。 取り立てて美味いと言うほどのものではありませんでしたが、 貧乏百姓にとっては何でもご馳走でした。
 『じり焼き』は郷土料理(ちょっと大袈裟かな?)のようなものなので、 方言と言うのは適当ではないかもしれません。 しかし名前だけではどんなものか分からないと思いますので、 簡単に紹介した次第です。(06.3.31)

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