『upside down』

シャワーの音が、まだ続いている。
「キース様、今日はずいぶん念入りに……」
ちょっと中をのぞいてみたい、と思う心を抑えて、ウォンはバスローブ姿のまま、ベッド脇の籐椅子へ腰を降ろした。部屋の外はもう真っ暗で、ムードのある照明が部屋の中を淡く照らしている。強いエアーをあてた髪はもうほとんど乾いていて、彼はそれを胸に垂らし、ゆるく編んで結ぶ。
「キース様」
小さなため息。
軍とノアとに別れて暮らす彼らの久しぶりの逢瀬だ。ホテルの部屋で二人きりになった時、すぐにでもベッドへもつれこみたかったのだが、抱きすくめる前にキースの方から、
「慌てないで……ウォン、今日は君が先にシャワーを使って。ぜんぶ綺麗にしてきて」
艶っぽい眼差しでそう囁かれて、従うしかなかった。
キース様も今、全身を清めている――そう思うと身体の奥がうずく。早く貴方に触れたい。抱きしめたい。隅々まで、この掌で、この口唇で、この肌で愛撫したい。
「待たせてすまない」
生乾きの銀の髪。ウォンと同じローブ姿。上気した頬。アイスブルーの瞳が、いつになく熱っぽい。
ウォンの前までスリッパの足はためらわずやってきた。
しかし、腕を伸ばしてぎりぎり届かぬ間合いでふと足を止めると、キースはキリ、と頬を引き締めた。
「ウォン」
「はい」
何だろう。何を言われるんだろう。
ウォンの胸は妖しく波立った。
だって、キース様がこんな真剣な顔をするのは、何か大事な告白をする時だけだ。
でも、思い当たる事が何もない。
どうしよう。なんなんだろう。
キースの口唇が薄く開く。低い呟きにも似た声で、
「……君を、抱きたい」
「えっ」
キースは身を屈め、ウォンの掌をそっと取った。
「君が僕に触れる時、どんな気持ちがするのか身体で知りたいんだ。だから、今日は君を抱きたい。僕が愛撫したい。今晩だけでいいから、ううん、二時間でいい、されるままになって欲しい」
熱く湿った、その掌。
「キース様」
ウォンの胸が、大きく上下する。
なんと答えていいかわからない。キース様から触れてくれるなんて、それはとても嬉しいけれど、でも、されるままというのは。
「厭? それとも怖い?」
「怖くはないですが」
「なら……優しくするから、させて」
キースの口唇がウォンの掌に押し当てられる。その柔らかな感触。こちらを見つめてくる眼差しの切なさ。
ウォンの声はわずかに掠れた。
「今晩、だけなら……」
「うん。今夜だけでいい」

ベッドに並んで横になると、キースの口唇がウォンの頬に軽く触れた。
おとなしい、静かなキス。
ウォンは内心安堵しながら、じっとキースの吐息の感触を味わう。抱きたい、という言葉はどぎついが、キース様がしたいのはこういう可愛い愛撫なのだ。たまにはこんな晩があってもいい。キース様がそれで満足するのなら。
ローブ越しの体温を心地よく感じながら、ウォンはうっとりと目を閉じる。
ああ、キース様が、私を……。
柔らかな感触は頬を離れ、ウォンの口唇の端に触れ、それから耳元に移動する。甘い吐息に襟足と首筋をくすぐられて、ウォンはかすかに身じろぎする。
「ここ、感じる?」
「ええ……」
満足気な吐息が洩れて、ウォンは自分で驚いていた。くすぐったいだけだと思っていたのに、身の内にはすでに小さな情炎が灯っている。ウォンは震えた。
「ウォン。舌を少しだけ出して」
「え」
言われるままに舌を出すと、キースの口唇がそれをくわえて吸いあげた。軽く歯で挟まれ、わずかに上下に動かされ、キースの舌で嘗め回される。口唇同士はほとんど触れていないのに、それはまぎれもなくディープキスで、ウォンは一瞬気が遠くなるのを感じた。
キース様。
何処でそんな上手なキスを覚えていらしたんです。
私は、私はそんな口吻を、貴方にしたことはありません。
誰が貴方にそんな。
「ウォン。感じてるよな?」
キースの掌がウォンのローブの下に滑り込み、肩を露わにする。首筋に、鎖骨に、肩に、キースの口唇が、歯があたる。胸の突起に指があてられ、きゅっときつく絞りあげられる。
「あ……」
「胸、いいんだ、ウォン」
キースは妖しく微笑み、ローブ姿のままウォンの上に馬乗りになる。紐をとかれ、前をはだけられて、ウォンは思わずキースから顔を背けた。
「灯り、もう少し暗くして下さい」
「構わないが……君も、感じてる顔を見られるのは恥ずかしいのか」
灯りを落としながら、面白がっているようなキースの声。ウォンの頬が朱く染まる。確かに、これっぽっちの愛撫で喘ぎ声を洩らす自分が恥ずかしい。
ウォンは黒の瞳を薄く潤ませながら、
「キース様も、脱いで下さい……」
「ああ。でも、もう少し後でな」
キースの口唇は胸板を滑り、身体の中央へ降りてゆく。その掌がウォンの下着を取り去る。
「あ、駄目」
ウォンが足を閉じて、中心へ触れようとするキースの掌を拒む。
「何が駄目なんだ? こんなに硬くしてるくせに」
キースの指は巧みにそこへ滑り込んで、その頭を軽くはじくようにする。
「あっ」
「もう熱いな……少し冷ました方がいいな」
どこから取り出したのか、キースは壜入りのローションを掌に垂らし、ウォンの足の間に掌を伸ばす。そのヒヤリとした感触にウォンは思わず身をこわばらせた。ヌル、とキースの指が動いて、ウォンの長い部分を軽くしごく。
「ふ、うっ」
ウォンのものが、さらに硬く、熱くしなる。
キースはウォンの足を押し開き、顔を間近に寄せ、てっぺんへ柔らかく息を吹きかける。
ウォンの口唇から悲鳴に近い声が洩れる。
「駄目です、キース様、そこには口をつけないで……!」
「どうして口をつけたら駄目なんだ?」
「だって、我慢が……」
今、キース様にここを含まれたりしたら、それだけで暴発してしまう。さっき舌にされたような愛撫を加えられたら、絶対我慢しきれない。
「可愛いことを言うんだな。じゃあ、ここは嘗めないから」
そう言われてほっとしたのも束の間、キースの指はツーッと動いて、ウォンの蕾に押し当てられた。
周囲を探られ、前立腺の通るあたりを強く押されて、ウォンはビクンと震えた。
「なるほど、ここがいいのか。じゃあ、中からも……」
「だ、駄目です、そこは」
ウォンは必死に身をよじって拒む。
「中は駄目……駄目です……」
「何故だ?」
「だって、汚い……」
「汚くなんてない。さっきシャワーを浴びたろう? それに、これは君がいつもやってる事じゃないか」
入口をそろりと撫でながら、キースは甘く囁く。
「でも駄目です、汚れます」
「それなら」
キースは極薄のゴムの手袋を取り出して、右手にすうっと填めた。
「これでするなら、文句はないだろう?」
「それは」
ウォンが驚いていると、キースはこともなげに笑って、
「サージカル・グローブだ。外科手術用の手袋だから、丈夫で衛生的だ。指も思うように動くし、君の中もよくわかる」
ウォンは羞恥で全身を染めながら、
「どこでそんな小道具を」
「医療部から拝借してきただけだ。ほら、ウォン、足を開いて」
とろぅり、とローションを更に手袋の指に垂らして、キースは薄く微笑む。
「入れるから、力を抜いて」
「あ」
静かにもぐりこんでくるキースの指。力を抜こうとしてもうまくできず、短い呼吸で懸命に堪えているウォン。耳を淫らに嘗め回すようにして、キースは囁く。
「凄く狭いな……もしかして君、こんなことをされるの、初めてか?」
ウォンは、口唇をきつく噛んで答えない。
確かに初めてだからだ。
誰かを抱くことは数多くこなしてきたが、されるのは本当に初めてだ。若い頃、庶子というだけで常に同族から付け狙われていた彼にとって、誰かに身をまかせることはすなわち死を意味した。年をとってからもそれは同じで、相手に奉仕をさせる事すらほとんどしないできた。
そう、相手がキース様でなければ、こんな事絶対にさせやしない。
それに、たぶん、こんなに感じない。
「本当に初めてなのか」
キースは指をさらに深く沈めながら尋ねる。
「……」
「じゃあ、ゆっくりほぐしていくから……力、もう少しだけ抜いて、ウォン」
ウォンはきつく目を閉じる。
身体の力を抜くことができない。それは初めてだからというだけでなく、キースの指が的確なポイントを探っているからだ。息があがる。頭の芯がだんだん痺れてくる。
「感じてるんだろう? 締め付けてくるようになったし、前もこんなに熱くしてるんだから……ほら、さっきより、もっとずっと硬くなって」
前をスル、と撫でられて、ウォンはうめく。
「お願いです、言葉でなぶらないで下さい……どこで、どこでそんな言い方を……」
「ひどく、恥ずかしい?」
「キース様」
「なぶってなんかいない。確かめてるだけだ。それに、君だって、僕を眼差しでなぶるくせに。恥ずかしいんだぞ、すごく。言葉でなぶられる方がまだましなくらいだ」
ローションに濡れた掌で前をしごかれてウォンは喘ぐ。中の指が増やされる。確かに感じている。前を熱くしているのも後ろで指を締め付けてしまっているのも本当で、ウォンは恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
ああ、あんな音まで立てて。
ふと、キースの愛撫が止んだ。ウォンが薄目を開けて見ると、キースはするりとローブを脱いだ。下着も取り去って、再びウォンにのしかかる。その声には更に艶が加わった。
「ウォン。入りたい」
「駄目……汚れます」
「汚れやしない」
「駄目です」
「しかたないな」
キースの身体がすうっと離れた。
ウォンがはっと身を起こすと、キースは小さな袋を彼に手渡す。
「なら、これはウォンがつけて」
ゴムだった。
ウォンは霞んだ表情のまま袋の口を開いた。
屈みこみ、キースの足の間に顔を近づける。
「キース様」
若い果実を押しいただくようにし、それから舌で熱く濡らす。
「あ!」
キースが初めて甘い声を上げた。その声を聞いた途端、ウォンの掌は巧みに動いてキースのものを屹立させた。口唇がむさぼって、熱い精を一気に吐き出させようとする。
「駄目だ、ウォン。早くつけて」
制止の声に、ウォンははっとしたように口を放し、それからゴムをつける。キースはそそりたったそれの上にもローションを垂らす。
「これぐらい濡らせば、入れてもいいよな?」
「キース様」
ウォンはほうっとため息をついた。
どうしてこんなに身体が拒んでしまうのかわからない。確かにいつも、自分がキース様にしている事なのに。キース様も、こんなに恥ずかしい思いを、いつもしてらっしゃるのだろうか。いつも平気そうな顔をしているけれど、本当は。
なら、今晩だけは、自分もこの身を思いきって開かねば。
「優しくして、くださいね」
「うん」
改めて横になったウォンに、キースは寄り添う。足を押し広げ、そっと自分をあてがう。
「あ、ふ……」
キースのものがゆっくり入ってくる感触に、ウォンは身悶えた。
感じる。中でもかなり感じる。
先からさんざん刺激されている外側も、更に硬くなる。
「ウォン……もう、動かしていいか?」
「はい」
ウォンの片足を肩にかけると、キースは深く収めたものをひねるようにして腰を動かし始めた。
「あ、いい!」
キースの口唇から快楽の吐息が洩れる。
「ウォン、凄くいい、君の中……熱い!」
堪えきれず、ウォンも深い吐息と共に締め付けてしまう。中が動いているのが自分でわかって、思わず顔を覆ってしまう。キースの声が掠れる。
「ウォン、いいなら我慢しないで達って。僕は、もうすぐだから……中で達きたい!」
「そんな……」
「ウォン!」
キースの掌が胸をいじる、前に触れる。打ちつける腰の動きが早まる。
「も……あ、キース様!」
「!」
ウォンが先に、キースがその後すぐに達して、ガクンとそのまま崩れ落ちる。
「は、ぁ……っ」
キースはなんとか息をおさめると、霞んだ顔のまま身を起こし、不要になったものを捨ててウォンと自分を簡単に清める。
相手を見おろし、満足げなため息を一つついて、
「大丈夫か、君?」
ほどけて乱れた黒髪をすくいあげ、それから濡れた額にかるく口づける。
「はい」
「中は痛まないか? つい夢中になって、乱暴にしてしまったが」
「平気です。それより、キース様は良かったんですか」
「うん。気持ち良かった。君もいつもあんなにイイのか?」
呟いて、ウォンの胸に甘えかかる。ウォンはその背を撫でながら、
「私はいつも、あんな風に貴方に触れていましたか?」
キースは苦笑して、
「今日が初めてなんだ、君みたいに上手くは出来ない」
「お上手でしたよ。あんなに道具を使われるなんて思いませんでしたが」
「厭だったか?」
「厭というか、恥ずかしくて」
「だって、道具ぐらい使わないと、勢いがつかないじゃないか」
「え」
ウォンがはっとキースの顔をのぞき込むと、彼は長い睫毛を伏せて、
「怖かったんだ、僕だって。初めての事なんだから……しかも、君を抱くんだから。どうやったら厭がられないかとか、どうしたら最後までちゃんと出来るか、一生懸命考えたんだ。君に抵抗されたら、とてもじゃないけど、それ以上できないし。でも、どうしてもしたかったから……たまには僕も、あんな風に君を愛したくて」
「キース様」
ぱっと頬を染め、ウォンの胸に顔を伏せてしまうキース。
「ごめん。そんなに恥ずかしかったなら、もう、しないから……」
ウォンは思わずキースを抱きしめてしまった。
可愛い。
やはり貴方は可愛らしい人だ。
「キース様」
「なんだ?」
「もしかしてキース様は、される時、あんな風に言葉でなぶられたいのですか」
キースははっとしたようにウォンを見つめ返し、そして、小さくうなずいた。
「君に優しくされるの、好きだけど、時々は……」
そうだったのか。
愛したいというだけでなく、こんな風にして欲しいと伝えたくて、あんな事を。
ウォンはキースの耳元に口唇を寄せ、
「時には、うんとイヤらしい言葉を囁かれたい?」
キースは口唇を尖らせた。
「そんなにイヤらしい事なんて言わなかったろう、僕は?」
「とんでもない。心臓が破裂するかと思いました。貴方の口唇からあんな台詞をきかされるなんて」
キースは苦笑いして、
「悪かった。君もされるのは初めてだったんだものな。もう少し優しくしなければいけなかったんだな。つい忘れてしまって……まさか君が初めてだなんて思わなかったから」
ウォンも苦笑で返す。
「意地が悪いですね、キース様」
「だって、あんなに可愛い君は初めて見たから……つい虐めたくなったんだ」
「可愛かった?」
「うん。僕も、君の下であんななのか?」
「いいえ。もっとずっと可愛いですよ。愛しくてたまらなくなる」
「ウォン」
口唇が重なる。
長い、でも静かなキス。
顔が離れると、キースは優しくウォンを見おろした。
「もし、君が厭じゃないなら、いつかまた、あんな風にしてもいい?」
ウォンも優しくキースを見上げた。
「ええ。でも、その後、ちゃんと交替してくださいね。私も貴方に触れたいんですから」
「じゃあ、これから……してくれる?」
「ええ。イヤラシイ言葉を囁くのは少し難しいですが」
「君も意地が悪いな」
キースは腰を押し付け、さっきまで入れていたものでウォンの腹部をつつきながら、
「そんなこと言うと、二度と下になってやらないぞ。うんと虐めてやる」
「そんなことを言わなくても、キース様はいつでも上ですよ」
「え?」
「下にならなくていいです。この姿勢から入れますから」
「あ、ん」
ウォンの指に後ろを探られて、キースが小さく喘ぐ。
ウォンは薄く微笑む。
どうしてさっきあんなに怖かったか、なかなか身体を開けなかったか、やっと解った。
私はせめてベッドの中だけでも、貴方の上にいたかったのだ。身も心も下になったら、完全に圧倒されて、何もできなくなってしまうと思っていた。
でも、それは違うのだ。
だって、終わった後でも、ちゃんとこうして対等でいられる。
「キース様……感じて……」
「うん……」
そして、キースの吐息がウォンの胸にこぼれ落ちた。
ウォン――愛してる。

(1999.4脱稿/初出・恋人と時限爆弾『Movin'On In-Out You』1999.5)

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Written by Narihara Akira
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