『人造毛皮』

異国の雑貨屋の片隅で見かけた白いコートに、ふとウォンの手が伸びた。
見たことのない種類の素材だ。普通のフェイクファーと、毛足の長いパイル地の中間といった感じか。
手袋を外して、触ってみる。
見た目どおり、くたっとして面白い触感の布地である。いかにも安物らしいが、それを着た人間は柔らかな縫いぐるみのような触りごこちになるだろう。これをたっぷり重ね着したキースに羽織らせて白熊のようにして、それをいつまでも撫でていられたら、どんなに気持ちがいいだろう。あの人は服装にはとんちゃくしないから、私が頼めば着てくれるだろう。お気に入りの熊と並べて寝かせたら、どんなに可愛い光景になるか……。
瞬間、店の奧から投げられたキースの視線を頬に感じて、ウォンは赤くなった。
今の思考、読まれたか?
貴方をおもちゃのようにして、いじりまわしてみたい、と願ったことまで?
恥ずかしい。
いつも貴方は、「俗っぽいことを考えたって構わないよ、だって僕がそんなに欲しいんだろう」と言うけれど。
一方的にもてあそばれる貴方なんて、それこそイメージにそぐわないんです。
高潔で、能動的で、決して自分というものを手放さない、それが貴方――。
キースは、ニコリともせずに近づいてきて、
「もうそろそろ、観光客のふりもやめていいだろう。いくらターゲットの出発が遅れているにしろ、日が暮れる」
「ええ。行きましょう」
二人は店を出た。
これから己が手を血に染めるかもしれないのに、白い服を買おうとする自分はなんだろう、とウォンは思う。それを言えば、この手袋とて同じなのだが、いくら暖かい異国とはいえ、一年で一番寒い時期に、わざわざ外すのもおかしな話だ。
「ウォン?」
「なんでもありません。本当にこの国は埃っぽい、と思っただけです」

再び安ホテルに泊まり、シャワーをすませたウォンは、ベッドの前で目を丸くした。
先刻ウォンが手触れたコートを、キースが素肌にまとっていたからだ。
いつ、買ったのか。
「……ウォン、来て」
しどけないポーズで手招きされて、ウォンはふらふらと近づいた。コートに覆われた胸を、そっと撫でさすってみる。
「ん」
キースが甘く呻いた。
「気持ち、いい?」
コクンとうなずくキースを見て、ウォンは重ねて囁く。
「今晩は、うんと焦らしてしまうかも……」
「でも、そのぶん、気持ちよくしてくれるんだろう?」
今度はウォンがコクンとうなずき、それからキースのしなやかな身体をなぞりだした。
服の上から、隅々まで――。

自分も一度放って、やっと息の整ったキースが、ムクリと身体を起こした。
「良かった、ウォン?」
「ええ、とても」
いざやってみると、己の欲望のままにいじりまわしているだけなのに、キースはすぐ息を乱し、瞳を潤ませ、たやすく身を震わせた。弄ばれるままの貴方なんて、と思っていたウォンも、そんな可愛らしい反応を目の当たりにしてしまうと、何もかもどうでも良くなった。コートの裾を乱して押し開き、甘い声をあげる恋人に夢中で腰をつかった。冷たい布ごしに愛撫を続けながら……。
キースはやっと白いコートを脱いだ。
ウォンは横たわったまま語りかける。
「どんなトリックを使って、それを手にいれました?」
「君が夢中で見とれている時に、店主に耳打ちして、後で届けさせただけの話だ」
「私はそんなに無防備でしたか」
「ああ。珍しいほど、な」
アイスブルーの瞳が、暗い蒼の瞳をのぞき込む。
「いつも金の有り余ってる君が、安物に直に触れて確かめている光景なんて、めったに見られるものじゃない。買うしかあるまい?」
そこでフ、と笑うと、
「いや、本当は、計算ずくでこのコートを見ていたんじゃないのか? わざと僕に、自分の妄想をのぞかせたんじゃ」
「違います」
ウォンは即答した。
「でも、こんな出先で油断していた訳ですから、そう思われても仕方がありません。恥ずかしいことです」
「そんなことは、ないが」
キースは裏返したコートを、恋人の身体にふわりとかけた。
独特の触感を素肌に感じて、ウォンの全身はあらたな情感に包まれた。
「キース?」
「次は僕が、この服で愛撫しよう。今度は君が、されるままになる番だ」
つるりと走る指に、ウォンは思わず身じろいだ。キースは意地悪く笑って、
「本当はこんな風に、僕にしてもらうところまで、望んでたんだろう?」
「違いま……あっ」
「僕だってたまには、君が泣いて“おねだり”するのを見てみたいんだ。こんなに良い小道具が手に入ったのに、僕が使わないとでも思ったか?」
「そんな」
「嫌なら抵抗すればいい。だが、終わったばかりなのに、もう君は反応してる」
「キース!」
かすれた声で抗議しつつ、ウォンは抵抗できなかった。コートの上から押さえつけられているからではない。キースの真剣な瞳と低い囁きに、魅入られていたからだ。
「大丈夫、前も後ろも可愛がってあげるよ……さっき君が、したみたいに」

お互いを綺麗にし、すっかり汚してしまったコートをバスルームへ投げ込んで、二人は再びベッドへ戻った。
ウォンは頬を染めたまま、大きな身体を縮めた。
まだ、行為の余韻が残っているからだ。キースから「さあ、ねだってごらん」と囁かれた時、全身が燃えるような心地がした。そういう時は「嫌」という言葉さえ相手を誘惑するし、素直にねだればもっと淫らなことを囁かれるのだ。だがそれは、ずっと自分がキースにしてきたことで……何が「一方的に弄ばれる貴方なんて、イメージとあわない」だ。ずっと自分の触りたいように触って、貴方の快楽を支配していたのに。貴方を喜ばせたいなんてキレイゴトを呟いて、実際は自分が楽しんでいただけだったのに。
キースは満足しきった表情で、ウォンに身をそわせる。
「そんなに良かったか? 今度は手袋をつけたまま、触ろうか?」
「もう、許してください」
「もっと欲しがって、っていうのは、君の得意台詞じゃないか」
「ですから、もう」
「そうか」
キースはあっさりウォンから身体を離した。
「じゃあ、今度のバレンタインには、君に白くまの縫いぐるみをプレゼントしよう。ああいう布で……なければ、特注でつくらせよう」
「貴方のいない晩は、それで我慢しろと?」
「僕より縫いぐるみの方が、扱いやすくていいんじゃないか? 君を押し倒したりもしないしな」
ウォンは深いため息をついた。
「縫いぐるみは、私を欲しがってくれませんから。本物あってこその偽物、現実あってこその理想です」
「偽物に心奪われて僕から目を離して、偽物で何度もいったくせに」
「それは」
事実なのでウォンが詰まってしまうと、キースはふと真顔になった。
「いいんだ」
「え?」
「いつも君が愛しているのは、幻の僕だ。君の心が描き出す、一番綺麗な偶像だ。だからそれからはみ出すと、君はとまどう。もう一度僕を、美しく祭り上げてしまおうとする」
ウォンの生え際に指を滑らせながら、
「だから安物に目をやる君を見て、安心したんだ。人造毛皮も、本物も、美しいと思って両方愛せるなら、むしろ心が健康な証拠だ。こういう晩なら、君も素直に、本当の僕を見てくれるんじゃないかと思って……」
「キース・エヴァンズ」
ウォンは相手の頬に掌をのばした。
「バレンタインにくださるなら、本物がいいです」
「バレンタイン、だけ?」
「そういう訳では」
「じゃあ、証拠を」
もう一度顔を重ねてから、キースはホウ、とため息をついた。
「なあ。どんな風にねだったら、君は可愛い、と思ってくれるんだ? どうしたらいい?」
一瞬、ウォンの瞳が、驚きに見開かれた。
そういうこと、だったのか。
わざわざコート姿で待っていたのも。
そのコートで私を意地悪く愛撫したのも。
ぜんぶ――甘えたかったから?
「そんな、途方にくれた顔をして……」
きゅっと抱きしめながら、ウォンはキースの耳元に口唇を寄せた。
「大好き、ってこの胸に飛び込んできてください。そういう貴方が、見たい」
「馬鹿だな」
キースはなぜか首まで赤くして、
「……好きじゃなかったら、こんな回りくどいこと、しやしない」

(2006.1脱稿)

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Written by Narihara Akira
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