『rose is a rose is a rose... 』

「おかえりなさい」
ドアを開けたウォンに、キースはぎゅっと抱きついた。
甘い口吻に、うっとりと目を閉じていたが、ふと顔を離すと眉を寄せた。ウォンの胸に掌を置いて、
「薔薇の香がする、本物の」
「よくお気づきで」
「君の肌から、だけじゃないな」
「まあ、生花には水が必要ですから」
「そうか、どれ」
キースはシャワールームをのぞいて、言葉を失った。
そこを埋めつくす、薔薇、薔薇、白い薔薇……。

実を言うと、ウォンは明るい場所で肌をさらすのを好まない。
彼がベッドで落とした男女の数を考えると嘘のような話だが、本来、中国人はそういう意味では慎ましいのである。
そうでなくとも、商談の相手に風呂を勧められること自体、警戒すべきことだ。あまりに無防備になりすぎる。
しかも、陶製のバスタブには、紅い薔薇が溢れるほど浮かんでいた。
「成金趣味と笑わず、お試しください。人を害するものは入っておりませんよ」
広大な薔薇園を持ち、どんな季節も花をたやさないと自慢する年長の主人である。接待をむげに断るのも得策でない。油断せず、だが好意に甘えることをウォンは選んだ。
赤くそまった湯に、身をひたす。
たゆとう香は、意外に柔らかい。
まとわりついてくる花びらも、うっとおしいかと思いきや、それはそれで風情がある。
身も心も暖まって現れたウォンに、主人はゆったりと微笑んだ。
「悪くないでしょう。薔薇には心を落ち着かせる効果がありますから、決して無駄な贅沢ではない」
ウォンは軽く肩をすくめた。
「しかし、紅い薔薇で埋め尽くされている様子は、あまり心臓によくないような」
「やさしい色合いがお好みでしたら、そういう薔薇に変えましょう。たとえばピンクは、心がやすまる色だとか」
ふと、キースの顔が思い浮かんだ。
だが、あの人の鋭い容貌に、パステル調は似合わない。
青い薔薇を贈ったこともあるが、風呂に浮かべる色でもない。
「あなたの薔薇園に、白薔薇は?」
主人は自慢げにうなずいた。
「むろん咲いています。香も形も様々にそろえております。グラミスキャッスル、アイスバーグ、ウインチェスター・カテドラル……いえ、お好きなものを、お好きなだけおもちください」
「好きなだけとは豪勢な」
「自慢の薔薇であなたの好意を買えるなら、いい取引でしょう。やはり英国の薔薇をお好みですかな、それとも?」
言われるまま、ウォンは幾種類かを選んだ。
その切り花を土産にどっさり持たされて、部屋に持ち込んだのがこの結果で。

キースはあたり一面を飾る白い花から、ウォンに視線を戻した。
「薔薇風呂か。君は先に入ったんだな?」
やましいことは何もないが、外で湯を使ったと言いたくなくて、ウォンは笑顔でこう答えた。
「ええ。できれば、貴方と一緒に、もう一度」
キースは首を振った。
「いや、これは一人で入るものだろう。ありがたく使わせてもらうことにする。それよりウォン」
「なんです?」
「その間、生クリームをたてておいてもらえないか? キルシュを入れて」
「構いませんが、何にお使いになりますか」
「食べるに決まっているだろう。何を想像してるんだ」
キースは服を手早く脱ぎ捨て、シャワールームに入っていった。
ウォンは言われたとおり、新しいクリームを硬くたてた。
白い花の中でくつろいでいる恋人を思い浮かべると、中を覗いてみたくてたまらなかった。アルコールの入ったクリームを、貴方の肌に浮かべて食べたい。ほんのり染まった白い肌を、舌先でいじめたい。たまらない、いくら食べても足りない、と囁きながら。
「うん、柔らかい、いい湯だった」
ローブを羽織っただけのなりで、キースはキチネットに入ってきた。その手にタオルと、見慣れない白い陶製の容器を持っている。
「薔薇なのに、キャラメルのような香の花もあるんだな。不思議だ。鼻が慣れてしまうのがもったいない」
「クリームは、これでよろしいですか?」
「ありがとう。実は土産がある。もう夜も遅いが、開けてみよう」
キースはテーブルに陶器を置き、皿を取りだす。
「なんです?」
「なんだと思う?」
カラ、と軽い音をたてて、皿の上に薄いピンクの塊が広がった。それぞれ小さな薔薇の形をしている。
「可愛らしいお菓子ですね」
「基本的にはクリームをつけるらしいが、最初のひとつは、そのまま味見してくれ」
ウォンはピンクの薔薇をつまむ。
歯にあたるとサクッと溶けて、口の中に薔薇の香が広がった。
よく見ると、容器には薄い色で文字が入っていた――《メレンゲ・ロザス》。
「薔薇の、メレンゲですね」
「うん。面白いだろう」
「ええ。クリームでしっとりさせると、また違った感じになりそうですが、これはこれで」
「気に入ったなら、一緒に食べよう」
二人はしばし、ふわりと溶ける薔薇を楽しんだ。
「貴方がこんなお菓子を……珍しいですね」
「薔薇の香には沈静作用があるというし、甘いものは疲れをとる。たまにはこういうささやかな菓子も、気分を変えるかと思ってな。今日は一人で羽を伸ばして悪かった、君にもサービスしてやるか、と」
キースはそこで微苦笑を浮かべた。
「なのに先手をうたれてしまった。ここまで同じことを考えていたとは」
「いえ、そんなつもりでは」
「風呂につかりながら、君と桜を見た春を思い出した……美しい夜だった。君は無邪気な我が儘を言って、この胸に甘えてくれた。どうして忘れてしまうんだろう、あんなに幸せだった日を。君の髪が元通り伸びたら、またどこかへ出かけよう。一緒に」
「キース?」
「残りはとっておこう。薔薇の魔法は、今晩はもう充分だ。それより」
ほんのり色づいた肌が、ウォンの前にさらされる。
「手折っていいぞ。これは君だけの薔薇だ。棘もない」
植物にも似た、青い匂いを嗅ぎながら、ウォンは恋人を抱きしめた。
「私の口の中で、溶けたい?」
「ベッドの上で、散らしていい」
「では、その美しさを、堪能させていただきます」
「あ」
シーツの上で、ゆっくり押し開かれ、蜜を吸われ、キースはすっかり食べられた。
わずかな罪悪感も屈託も、その中で消えてしまった。
それは薔薇の香のせいか、それとも別の理由のせいか……。

(2006.4脱稿)

*《メレンゲ・ロザス》の実物は、世田谷にあるパティスリー「フラウラ」に(たぶん、まだ)あります。この日のキースはイギリスから帰ってきたはずですが……いや、海外にも似たようなお菓子はあると思うので……。

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Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/