『神の名を呼べ』恋人と時限爆弾


翻訳書ばりの重厚な文体、陰りのある雰囲気、どことなく影を背負う登場人物たち。それぞれに、人生の救いを求めてもがき苦しみながら生きる彼らの姿は時に醜く、美しく、また神々しい。「神の名を呼べ」は人生のトレランスとイントレランスを感じさせてくれる本だ。
主人公も実にいい。端麗な容姿、奇妙に人を引きつける人なつっこさ、しかしどことなく危なげで今にも崩れそうな脆さが肩ごしに見える。人を食ったような肩透かしの行動様式、被虐癖に犯罪癖、何とも捕らえどころがない、それでいて近くにいるとすぐに背筋にちりちりと感じるような男、主人公天野祐は本当に生き生きとしている。まるで文章に縛られていない彼に、思わず拍手かっさいを送りたくなるのは私だけだろうか?
物語自体も、とにかく読ませてくれるし面白い。長編なんてのはとなく最後まで読む間にだれてくるものが多いけれど、この作品に限ってはそんなことはなかった。今回もあまり暇がなかったので、ちらりと目を通してすませちゃおう、だって前に読んでるんだも〜ん、などと考えていたのだが、気がついてみれば一気に全部読み直してしまっていた。読みごたえが一味違うって感じかな?
とにかくこれだけ「読みごたえ」なんてもののある作品はとかく世の中には少ないんじゃないかと思う。特に同人誌、それも小説ってことになると無いよねえ。この“広い世界?”の中で、読後にごちそうさまでしたと心から言えるほどの作品が一体どれくらいの確率で転がってるって言うのか? いつだって私は活字に飢えているのに…。
この「神の名を呼べ」という作品はそんな私の飢えを多少なりとも満たしてくれたように思う。
全体的に見て完成度が高いとか、崩れがなくて読みやすいとか、物理的に文字数が多くて長いって言うような通り一遍の肯定要素ももちろんある。けれども、そもそもこんなふうにして文章としての完成度が作品の基盤として備わっているような場合には、むしろそれによってはじめて生かされてくる作者の意図する「表現」、文章中にちりばめられた文芸作品としてプラスアルファされたものに目を向けることができる。
この作品の魅力を高めている物の一つに作品の内外に感じられる時間要素というのがある。基本的にこの本はシリーズ化した作品を集めている訳だけれど、巻末の初出一覧によれば、だいたいこの作品の第一作目が初めて世に出されたのは何と1988年、今年は1997年だからもう10年近くも前ってことになる。
作品中においても、主人公である天野祐は高校生からやがて27歳の青年まで、それこそ10年の時を生きている。
同人誌の醍醐味というものは制作者のスピリットがダイレクトに感じられる点にあると思う。逆にいえば制作者の誠意と気合いが感じられない本は紙くず同然だ。「神の名を呼べ」は十年という長い期間そのものが強烈な気合いとして感じられる。また後書きにおいて著者自身も、「祐の動きと共に、ここ四年間の作者の成長がはっきりと現れてしまっていますが…。」と語っている通りに、この十年という長い期間に微妙に変化していく文体や主人公の姿が、まるで作家として変化していく著者自身を映し出している‘時の鏡’のようで、その点においてもまったくもって秀逸だ。
それにしても、著者はヴァージニア・ウルフが好きらしい。中巻を占めている長編「ウルフの遺書」はもちろんのことだけれど、そのほかの作品もその多くはさまざまな形で捉えられた物語(と主人公天野祐)を語りつつ、その実それぞれの登場人物をウルフばりに描き出していて、何というかウルフに対する著者の思い入れが怖いくらいに伝わってきます。
(KSR)

*サークルコメント*

★「神の名を呼べ」の主人公、天野祐(アマノタスク)は疫病神だ。彼がよかれと思って他人様のために働くと、しにびとが出る。学習能力がないのか、おとなしく幸せを待つことができず、同じ悲劇を繰り返す。なんとも困った奴である。
★天野祐は厄介者だ。作者の肩に止まってうるさく注文をつけては、私生活をやたらに妨げてくれた。連作の数年間は公私ともにトラブル続き、挿し絵描きも印刷屋も土壇場まで困らせた。また「神の声を聞け」という宗教の本と間違われ、うさん臭い目で見られたりもした。自分で産んだ子とはいえ、涙涙の日々だった。
が、考えてみれば、長年やりたかった連作物の主人公ではないか。いろいろと実験もやれたし、何百枚も書いて自信もついた。いじめてストレスも発散できた。男性読者に好評という意外なオチもあった。途切れなく売れて儲けさせてもくれる。こうして見ると、厄介どころか親孝行者――ちょっと複雑な気分である。
(Narihara Akira)

(初出/文章主体イベントWORDS書評誌『text jockey autumn*1997』1997.10)

《評論・エッセイのページ》へ戻る


copyright 1999
Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/