■私の中のキース像

小説というのは、パロディであっても、自分自身や親しい人の性格が出てしまったりする訳だが、キースに限っては何より強いモデルがある。
一言でいって、私のキース像は、羽田紗巳さんが描くところの“キース様”である。

1996年の夏コミで買いあさったサイキックフォース本の中でひときわ目をひいたのは、羽田紗巳さん(ワンダフルでいこう!!)の本だった。彼女の描くキースには血が通っていた。ほのかな体温が感じられ、その肌に触れると柔らかいだろうと思われた。原作のキースにあるのは若者らしい単純な思考と孤独だが、彼女のキースは、もう一段深い奥行きを持っていた。そして、何より愛らしかった。このキースに出会っていなければ、私はサイキックにどんなに夢中になっても、自分で本など出さなかっただろう。

その本の設定――キースに個人授業をしていたウォンは、ある夜ふと、この総帥がまだコドモだということに気づいて戯れに口づけ、籠絡するために「今夜一晩」と口説く。キースが承諾したのでウォンは事に及ぶが、相手の反応の意外な愛らしさについ本気になってしまい――というもので、書き始める時、私はその設定の一部を流用させていただいた(ただし、ご本人の談によれば、羽田さんのウォンとキースは相思相愛ではない)。2冊目の本からは羽田さんに挿し絵をお願いするようになり、以後、キースの出てくる本は毎回絵を描いていただくこととなった。まったくもって幸せ者である。

Nariharaにとって“キース様”とは、サイキックフォースのオープニング画面で空を飛ぶ彼であり、津久井教生さんが演じるところの彼である訳だが、基本はやはり羽田さんのキース、その強い愛情によって産みだされた青年キースである。もし私の書くキースに深みや愛らしさがあるとすれば、その大半を羽田さんに負っている。
感謝の意を込めて、その事実をここに記しておく。(2000.3)

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Written by Narihara Akira
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