『あなたのために』

どうしよう。
離れたく、ない。
「ウォン」
「はい?」
「いいのか、そろそろ出かけなくても」
「今日は、いいんです」
「そうか」
言葉を失ってしまう。
重くしたたる、雨の音。
留守番が寂しくて、外へ出たウォンにこっそり逢いにきたら、なにやら迎えにきたような形になってしまった。彼が仕事を終えるのを待って、ホテルで休んでいると、ウォンは急いで戻ってきた。そして、服を脱ぐ間ももどかしく抱き合った。
一昼夜が過ぎ、一時の激情は過ぎたのだが。
ベッドの中、ウォンの片足はキースの脚の間に割り込まされたままだ。それを軽く上へ引き上げられたら、それだけでまた達ってしまうかもしれない。それぐらいキースは敏感になっていた。口吻ひとつ、囁きひとつ、吐息ひとつも欲しくなかった。足りていた。ぬくもり、眼差し、ただ静かに流れていく時間。これ以上何が必要だろう。
一緒にいたい。
ウォンも同じ気持ちだったら嬉しい。
だって、離れたくないから。

可愛い。
余韻に浸っているのだろう、それでも眠ったと思われたくないらしく、霞んだ眼差しで懸命に見上げてくるキースを腕の中に抱き込みながら、ウォンはしみじみと幸せを感じていた。
この人はセックスで汚れないのだなと思う。荒淫と呼ばれてもおかしくないほど、幾度となく犯してもすさまない、疲れない。それは若さゆえの回復力かと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。純粋さが汚れを寄せつけないのだ。もちろん、愛する者と肌身を重ねるのは一つの清らかな喜びといえる。健康的なセックスは癒やしにもなる。頭の中が空っぽになれは、凝り固まっていた考えもほぐれて心も軽くなる。
しかし、こんなに彼が輝かしいのは、その愛情に一片の曇りもないからだ。私のせいで辛い思いをさせ、今もまだ日なたに出してあげられずにいるのに。
その歪みのない、まっすぐな愛情に、私は値していますか?
「本当に、いいのかウォン。日が暮れてしまうぞ」
おずおずとした呟きに、ウォンの背筋はゾクリと震えた。
念を押してくるのは、出ようとせがんでいるのでなく、離れがたくて、か。
さあ、この可愛い人を、どうして抱かずにいられよう。あらゆるテクニックを使って喜ばせたい。しなやかな銀色の身体を隅まで舐め回し撫で回し乱れ狂わせよう。恥ずかしそうに息を殺して堪えるその姿、それは演技でなく、貴方は自分が淫乱だと思いこんでいるのだ。それで乱れすぎまいと、可憐な喘ぎで更に私を煽ってしまう。
どうしてくれよう。
私がこんなに欲情してしまったのに、貴方は緩やかな抱擁を求めているのでしょう?
よくもそれで淫乱などと、自分を貶める。
「そうですね。では日が暮れる前に、もう一度してもいいですか?」
囁いた瞬間、キースの欲情の波が再びうねりだしたのを感じて、ウォンは思わず微笑んでしまった。
ビクン、と震える身体。脚の間で熱く脈打ちだすもの。
素敵だ、キース・エヴァンズ。
「そういう意味で聞いたんじゃない」
言い返す声もわずかに掠れて。
帰るのをのばして良かった。こんなに素直な貴方を抱けるなんて。
たまらない。
「では、その気にさせて、あげますね」
「あふ……んっ」

愛撫する時、ウォンはあまり音をたてない。
抱きすくめられながら、キースは思考をさまよわせていた。
丹念に胸板を撫で、硬くなった突起を口に含み、歯をたてる時、ぴちゃ、くちゅ、と舌の音をさせない。音で煽るのが嫌いなのかもしれない。キースからする時、わざと音をたてると、ウォンはとても嫌がる。いちど股間に顔を埋め、頬ずりをしようとしたら、恐ろしい勢いで飛び退かれた。そこには絶対口をつけないで下さい、と激しく拒んだ。それ以上無理強いしようとしたら、テレポートまで使いかねなかったので諦めたが、自分はためらいもなく口に含むくせに、と思うと悔しい。巧みな舌技に達かされるたび、自分もウォンにしたいのに、と思う。下で乱れる君も可愛くて大好きだよ、と意地悪く囁いてみたい。できないけれど。
ウォンが愛撫の合間に呟く。
「本当に綺麗ですね、貴方という人は」
そう、わかっている、ウォンが僕を神聖視しているのは。
だから、あまり淫らに責めないのだということも。
大事に思ってくれているのは、もちろん嬉しい。ウォンはまだ僕に飽きてない、だってこんなに大切そうに抱きしめてくれて、こんなに優しく愛撫してくれるんだから、と安心する。それがどんなに失いがたいものになってしまったか、ウォンだって知らないだろう。だから今さら怖くなってしまうのだ。淫らな願いを口にしたり、あられもなく求めたりして、本当に軽蔑されないだろうかと。
ああ。
今だって、失神しそうなほど感じてるのに。
「まだですよ、キース・エヴァンズ」
濡らされて痛いほどの赤い突起、腹につきそうなほどそりかえった塔、ウォンを飲み込んで二度、三度と痙攣する秘孔。
大きな掌が身体の中心から離れそうになると、キースはそれを引き戻し、そして上から握りしめた。君が中で出さないのなら、僕が君の掌に、と喘ぐと、駄目ですよ、でももう少し堪えて、もっと良くなりますからね、とキュッと根元を締め付けられる。ウォンのものがズッと引き抜かれ、胸から愛撫をやりなおされる。我慢しきれず、そんな、早く、と切なく身をよじると、やっと入ってきて、キースの一番感じる箇所でククッと腰を揺らした。
「あ!」
驚くほど濃い、熱いものがほとばしる。
ウォンもそれにあわせて震え、深い、満足げなため息を吐いた。
キースはだが、恋人の豊かな腰に片脚を絡め、乱れた息で訴える。
「まだ欲しい」
うめきは甘く潰れた。
欲しかった。達したばかりなのに、まだ突いてほしかった。きつく触ってもらいたかった。
するとウォンは、低く囁くように、
「それでは交代しませんか」
「え?」
耳に口唇をよせ、ゆっくりと、
「キース様のが、私も、欲しい……」
ゾクゾクゾクッ、とキースの背筋を新たな快感が走り抜けた。
こんな時に。
ウォンから誘ってくるなんて。
どうしよう。
誘われるって、ねだられるって、こんなに興奮するものなのか。
でも。
「そしたら、つけなくてもいい?」
まだ濡れている切っ先で、ウォンの敏感な部分に分け入りたい。あの狭い鞘を直に味わいたい。僕しか知らない秘密の場所を。
「だめですよ。私が準備しますから、ちゃんとつけてからです」
「待てない。それならやっぱりウォンがして」
「そんなに欲しい?」
キースはからめた脚でさらに腰を押しつけながら、
「我が儘だって、わかってはいるけど」
「我が儘なんて」
ウォンの指先がキースの口唇をそっとなぞった。
「貴方に【欲しい】と言われることが、どんなに嬉しいか……貴方にはわからない?」
それは、わかる。
そんなに幸せそうな顔をされたら、誰だって。
「もっと欲張ってくださって、いいんですよ」
そう囁くウォンの全身が熱かった。下半身だけではない、全身全霊でキースに打ち込んでいることがあまりにはっきり伝わってきて、一瞬たじろぐほどだった。
「ウォン」
それでもキースは、小さく囁き返した。
むさぼって……。

次に目を覚ました時も、ウォンに抱きしめられていた。
窓の外は明るい。雨もすっかり上がっていた。
その眩しい光が、キースを正気にかえらせた。
「君はまだ、世界が欲しいんだろう?」
「え」
ウォンが問い返す前に、キースは不機嫌に畳みかけた。
「君が欲しいのは世界だろう。こんな風にグズグズしていてもいいのか。何日もまるまるつぶして、僕につきあわなくてもいいんだぞ。それとも僕を抱きながら、例によって新しい企みでも考えているのか」
「そうですねえ」
ウォンは澄まして答えた。
「確かに、頭の後ろでいつもカタカタと進んでいるものがありますよ。【両雄並び立つ】の日を、今度は何時にしようか、考えているので」
「ウォン」
毒気を抜かれたキースに、ウォンはいつもの微笑を向ける。
「策を弄するのが私の仕事ですからね。私と貴方にふさわしい器をもう、いくつか準備してありますよ。あとはお好みです。どんな形がいいか……予定どおり新しい街で復活するか、それとも新しい結社をつくってそこへおさまるか。偽名を使ってもいいですし、実は生きていた、という形で蘇っても構わないでしょうし。それは本当にお好みです。考えなければならないのはタイミングぐらいで、あとは何なりと、ご希望をお申しつけくだされば」
ひとつため息をつくと、キースも微笑を浮かべた。
「ぜんぶ新しくやり直すのがいいだろう。一度堕ちた偶像の、指導者としての魅力は半減する。それだけじゃない、忘れられたカリスマについていきたいなどというのは、だいたいロクな連中じゃない。君の隣に並ぶのなら、僕は別の名になろう。僕を知る人間に再会したとしても、別人で押し通せばいい。それは暗黙の了解だと、互いに苦笑いしてすむはずだ。どうせ裏社会で活躍するんだ、気にする者も多くはあるまい?」
これが二十歳の物言いか、とウォンは内心舌を巻いた。
この青年の透徹した頭脳についてはよく知っていたつもりだが、ここまで客観的な台詞を、この若さで吐いてしまうとは。彼が何を学び、何が通り過ぎ、何をあきらめたゆえにこんな思いに至ったか、それはウォンの想像の外だった。自分が成人したばかりの頃、眼差しは未来へのみ向けられていた。それ以外の視野など持たなかった。
しかし、この人は。
「別人になってしまって、構わないんですか?」
「ああ。なんと呼ばれようと僕は僕だ。それに、二人きりの時はキース、と呼んでくれるんだろう、君は?」
それで、充分だ、と口唇の動きだけで補うキース。
胸がつまって、ウォンは即座に返事ができなかった。
そんなウォンを見て、キースは真顔でつけ加えた。
「だから、あんまり僕ばかりに、夢中になりすぎないで欲しいんだ。君の優秀さを、僕で無駄遣いしないで欲しい。だから……」
「キース様」
ウォンも一瞬、真顔に戻った。
「なぜ、そんな気兼ねを?」
すぐに例の微笑を浮かべて、
「信用がないんですねえ。貴方ひとりも守れなくて、なにが暗黒の帝王です。パートナーと登場する舞台の一つも用意できないものに、世界征服など出来る訳がないでしょう。私の今の才は、貴方との暮らしに使って、充分にあまりあります」
「そうじゃない。気兼ねじゃないんだ」
真剣な眼差しがウォンを射ていた。
「わからないか?」
僕が何を言ったのか、君は本当にわかっているか、とキースが呟いた瞬間、やっとウォンは気づいた。
一緒にいられるのなら名もいらない、とこの人は言った。二人きりの時にキースと呼んでくれれば充分だと。そう、グズグズとつきあわなくていいんだぞ、というのは反語なのだ。今だけ熱く愛しあうのでなく、死が二人を分かつまで共にありたいという願いなのだ。互いの目的を捨てることなく、互いを大きく損なうことなく、常に良きパートナーであり続けたいという。
「年月が情熱を薄れさせるというのは、私は信じていないんですよ。だって、もうこんなに離れがたい」
抱きしめた腕に、力と思いを込めてウォンは囁く。
「滅びないことを誓いましょう。貴方のために」
だが、キースの眼差しに宿る光は、まだ強い。
「ああ。僕のせいでしくじった、なんて言われたら、かなわないからな」
「そうでは、ありませんよ」
二人のために永遠を生きたいのです、その低い呟きに、やっとキースは目を伏せた。
その声はまだ不機嫌だったが、
「うん。……それならいい」

(2002.2脱稿)

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Written by Narihara Akira
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